空ノ竜

「はっ……」

 息を呑み、目をしばたたいた。

 零れ落ちんばかりに見開かれた少年の目に、その影は青々と映った。

 紛れもなくドラゴンだった。絵本や映画に出てくるような、大きな大きな皮の翼と長い首、鞭のような尾と太い鉤爪――スカイブルーの艶めく鱗と、星を宿してぎらりと光る青玉サファイアの瞳。

 が翼を一打ちすれば、凄まじい空気の波が押し寄せる。どうやら吹き荒れる風の源は、竜の羽ばたきであるらしかった。


 溢れ出る威厳に圧倒され、額に手をかざしながら、開いた口を閉じることも忘れてただ見上げた。

 その視線を感じたのだろうか。

「俺が見えるか、少年」

 牙の合間から発された声は、遠雷。ずしりとした質量を持って耳朶を打つ。

「見えます」

 かき消されないように声を精一杯張り上げた。

「そんなに怒鳴らなくとも聞こえるぞ」

「そうなんですか」

 グルル、と竜は喉の奥で唸った。笑い声らしかった。

「あの、あなたは一体」

「何、単なる空の放浪者だ。遠い昔に地上から放逐された、な」

「……放逐?」

「そうだ。昔からドラゴンは、姫を攫う悪役と相場が決まっておろう」

「そんなこともないような……」

「冗談だ」

 竜も冗談は言うらしい。そもそも、見た目は西洋のドラゴンのくせに日本語が使えるらしい。ごく普通に会話が成立していたことに今更気がついた少年であった。

「ずっと一人で空を?」

「ああ、そうだ。地上には降りられん。大地に――地に繋がっているものに触れている間は、姿が見えてしまうからな。そういう呪いだ」

 相変わらず突風を巻き起こしてホバリングしながら青い竜はそう言った。

 たとえば木などに身体の一部が掠めたら、その瞬間だけ忽然と虚空から姿を現し、一瞬で掻き消えるということだろうか。なかなかの怪奇現象になってしまうわけだ。随分と難儀な体質である。

「どうしてそんな呪いを?」

「さあな。もう大昔のことだ、忘れたさ」

 そう、竜は自ら名乗った通り、『空の放浪者』。ろくに羽を休めることもせず延々と飛び続け、空の中を流離い続ける旅人なのだ。

 驚きと興奮とが怒涛の勢いで通り過ぎ、Uターンして返ってくる前の、束の間の冷静。竜の肩書きが、大空に焦がれる少年の冒険心をかき立てるには十分だった。

 しかし俺の同類がいたとはなぁ、と独りごちている空の住人に、思い切って言ってみるのだ。長年、願い続けてきた言葉を。

「あの、お願いがあるんですけれど」

「何だ、少年」

 カメラストラップを握り締める手に力が籠もる。


「あなたの背中に僕を乗せて、飛んでくれませんか」


 ――彼の白いTシャツは、風を孕んだ帆のようにはためいていた。

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