第3話 50万の女


「ああん? ここはオヤジの街だぜ。どこにいようと、俺の勝手だろうが」


 ヒキョンはバサリと黒いローブをひるがえしながら、裏路地をグルリと見回した。


 確かにそうだ。コイツの父親は貴族で、このファースヘイムを治めている。順当にいけば、次期領主の座にはこの男がつくことになるだろう。



 だがコイツの人格は最悪と言っていい。この街ではこの男の悪い噂で持ち切りだ。中には魔族との繋がりがあるんじゃないかって言う奴もいる。


 クソ、よりによってこの街で一番面倒な相手に絡んじまうなんて……。



「それとも何か? お前もコイツで遊びたいってか?」

「え……?」


 ヒキョンはニヤリと笑うと、前方を指差した。その先には地面でうずくまる一人の女。装飾の派手な白銀の鎧を身にまとい、やたら整った顔をしている。


 彼女の表情は苦痛に歪んでいた。髪も顔も土で汚れ、呼吸もゼェゼェと苦しそうだ。


 ヒキョンたちにやられたんだろうか……ん? 立派な白銀鎧って、どこかで聞いたことが――



「魔を寄せ付けず、太陽のように輝く白銀しろがねの鎧……まさか、太陽ソリスの聖騎士!?」


 この国を守護する役目を負った、選ばれし者たち。それが太陽ソリスの聖騎士だ。この国の人間なら誰しもが憧れる最強の騎士だが……どうしてヒキョンたちに襲われているんだ!?



「だ、誰だか知らないが……逃げろ、コイツはヤバい……」

「おい、余計な口を叩くんじゃねぇ!!」

「うぐっ……!」


 俺に逃げろと言ってくれた彼女はヒキョンに頭を殴られ、地面に崩れ落ちてしまった。


 クソ、俺だって彼女を助けてやりたい。だけど俺はただの魔術師だぞ? しかも最弱のF級冒険者だ。そんな俺が、この街一番の大物を相手にできるわけがないじゃないか。



「おい、スラムのガキ。てめぇも俺様に逆らう気か?」

「や、やめろ……こっちに来るな……!!」


 呆然としているうちに、いつの間にかヒキョンは俺の目の前にやってきていた。



「貴様ごとき、簡単に捻り潰せるんだぜ?」

「ガハッ!!」


 奴の右手が俺の首を掴むと、ニワトリをくびり殺すかのようにギュウと絞め始めた。



「ぐっ、うぐぐっ」


 コイツ、魔術師のくせに力が異様に強い。苦しくて変な声と涙が勝手に溢れてくる。ついでに下半身も漏らしてしまった。情けないことに本日2度目の失禁である。


 だがそんなことを気にしている場合ではない。魔法杖は鞄の中だし、きっと発動する前に首の骨を折られるだろう。


 ならば素直に降参するしかない。慌ててヒキョンの腕を叩き、解放してもらうよう懇願する。



「ふんっ、からかい甲斐のない野郎だな……」

「ぷぎゃっ!?」


 最初から殺すつもりがなかったのか、それとも興味を失くしたのか。ヒキョンは俺を地面に投げ捨てた。



「――へっ。今の聞いたかよ、コイツの情けない声!!」

「それでも男か? 少しぐらい抵抗してみろよ!!」


 ヒキョンの手下たちが、地面に転がる俺を見て呆れたようにののしってくる。



「ごほっ、げほっ……た、助かった……」


 ああ、分かってるさ。自分でも自分が情けなくて悔しいよ。でも俺みたいな底辺冒険者は、自分の身を守るだけで精一杯なんだ。


 今のやり取りで、F級ヒキョンA級の格の差を十分に理解した。ファイアドラゴンを倒せたことで得られた自尊心も、どうしようもないくらいにポッキリと折れてしまった。


 だいたい魔術ギルドの長といえば、S級冒険者に近い存在だ。最初から俺なんかが敵うわけがなかったんだよ……。



「いいか? よく聞けよ、小僧。この女は俺に50万ジュエルの借金があるんだ。それとも何か? お前みたいな貧乏人が肩代わりできるとでも?」

「ぐえぇぇ」


 ヒキョンは倒れている俺の胸に足を乗せ、体重を込めてきた。これじゃ潰れたカエルだ――ん、今なんて言った?



「……50万ジュエル?」

「んぁ!? な、なんだよ急に」


 俺は思わず聞き返してしまった。ヒキョンも驚いたようで、素の声が出てしまっている。



「今、間違いなく50万ジュエルが必要って言ったよな?」

「そ、それがどうしたっていうんだよ!? 浮浪者のテメーには関係ねぇだろ!」

「いや、ある。50万ジュエルでその女性を解放するっていうなら、今ここで払うぜ」

「な、なにぃ!? そりゃどういうことだ!」


 ふっふっふ。そういうことなら話は別だ。


 俺はゆっくりと立ち上がる。そして鞄から財布を取り出すと、ヒキョンに手渡した。



「ほらよ! これで文句はないはずだ! 今すぐ彼女を解放しろ!」

「うぉ!? こ、こいつは……!」


 財布の中身を一気に解放すると、ヒキョンの手から50万相当のジュエル貨幣がジャラジャラとこぼれ落ちていく。キチンとは数えてはいないが、50万以上はあるはずだ。



「どうしてスラムのガキが、こんな大金を……」

「し、支部長……どうするんですか!?」

「……え? あ、あぁ。そりゃあ……えぇっと」


 取り巻き魔術師の一人が不安げにヒキョンにたずねる。ヒキョンは驚きのあまり、さっきまでの威勢は消え失せている。


 ――畳みかけるなら、今だ。



「おいおい、ヒキョンさんよぉ。この街の次期領主ともあろう御方が、まさか男同士の約束事を破ったりなんかしねぇよなぁ?」


 俺はここぞとばかりに、格上であるヒキョンを煽っていく。早く逃げ道を断たないと、約束をうやむやにされるからだ。


 コイツも貴族なら、プライドを優先するはず。……ていうか、してもらわないと俺が困る。



「あ、当たり前だ! 俺様は約束は守る男だ!」

「いてっ!?」


 ヒキョンは腹いせに俺をドンと突き飛ばし、手渡したジュエル財布を自分のポケットに突っ込んだ。



「おい、帰るぞてめぇら。長居したら、スラムのくせぇ匂いが身体に染みついちまう」


 尻もちをついた俺の横を通り過ぎ、黒装束の集団は街の中心街の方へと歩き出す。助かった……そう安心する間もなく、ヒキョンがこちらを振り向いた。



「この借りは、後でしっかり請求させてもらうからな。せいぜい覚悟しておくがいい。――クハハッ、アーハッハッハ!!」


 そう高笑いしながら、手下と共に去って行った。



「た、助かった……」


 ヒキョンたちが去ったあと、俺は地面にベッタリと寝転んだ。心臓の鼓動が激しく、呼吸も乱れたままだ。



「はぁ、はぁ……何とかなった……んだよな?」


 正直、生きた心地がしなかった。まさかドラゴンの次は、あんな大物とやり合う羽目になるなんて。



「この騎士様も無事なようだな……」


 漏らしたズボンに美化魔法を掛けながら、隣で倒れている美人聖騎士を眺める。いまだ意識は失ったままだが、ちゃんと生きている。


 今回のせいで、せっかく手に入れた大金が消えてしまったが……まぁいい。憧れの騎士様をこの手で助けられて、俺は満足だ。



「……このまま放置もできないし、連れて帰るか」


 “フェニックスの巣”はまた今度だ。


 さらば、豪勢な食事。待っててねミラちゃん。


 すぅすぅと気持ち良さそうに寝息を立てる美女の顔を見ながら、「50万ジュエルじゃ安いぐらいだな」と笑った。


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