第5話:森の中
土の味がした。鼻がくすぐったい。目を開けると目の前が暗い。
段々と意識がハッキリしてきた。
どうやら倒れて居るようだ。
体を起こして周りを見回すと、森は暗くなり始めていた。
そうだ、そうだった。
目の前に広がる景色を見ながら、ついさっき起こったことが鮮明なイメージを伴って思い出される。
幅5メートル以上、長さは恐らく何十メートルもあるであろう範囲にわたって、目の前の森が抉られたようになっている。
本当に自分がやったのだろうかと、今になっても信じられない。
信じられないが、事実として目の前の森は吹き飛んでいるし、猿の頭や体の一部が落ちているのが見える。
「どうなったんだよ、俺の体…………」
ボンヤリと見える視界の端の文字に目を凝らすとじわじわとはっきり見えてくる。
【名前】カザマ・セロ
【種族】風の下級精霊
【状態】空腹、魔力欠乏
【レベル】1(保留)
【HP(体力)】2.3/6
【MP(魔力)】17/862
【STR(筋力)】2.6
【VIT(耐久)】4.3
【DEX(器用)】10.8
【INT(知力)】159
【AGI(敏捷)】19.4
【称号】黒き風の支配者
【
「…………空腹、魔力欠乏、まぁそうだろうな」
あんな威力の魔法を使えばそりゃ魔力も足りなくなるだろう。意識していなかったが空腹感もかなりひどい。なにか食べないとまずい気がする。そんな風に思って立ち上がると、文字が目の前に表示された。
《ジャイアントキラーエイプを討伐した事によるマナ吸収を保留しています。マナを吸収しますか?》
「…………はい」
そう答えると辺り一面が明るく光った。そして次の瞬間、その光が全て自分に向かって飛んできた。
熱い、馬鹿みたいに体が熱い。前にマナを吸収したときとは比べものにならないほどの熱さが全身を包んだ。
目の前の文字は無感情に切り替わる。
《ジャイアントキラーエイプから放出されたマナのうち21%が森林若しくは小さな生物によって既に吸収された、若しくは時間経過により霧散していました》
そんなことどうでもいい! 熱い! 熱すぎる!!!
「アァッァアアアアア!!!!」
あまりの熱さに叫ばずにはいられなかった。しかししばらくするとその熱さも治まり始め、永遠に続くかのように思われたその苦しみは治まった。
「ハァハアハァっ」
荒い息のまま立ち尽くしていると、森の奥からキラキラと光るいくつもの球が現れた。光はもの凄い勢いで増えていく。
いや、よく見ればそれはただの光ではない。
爛々と輝く魔物の目玉だった。
大型の犬くらいの大きさの魔物、殆ど狼のようなそいつらの見た目は、ただ一点を除けば普通の犬となにも変らなかった。その口の間から覗く長い牙にかかれば、皮膚など簡単に噛みちぎられそうだ。
まずい…………まずいぞ。今のHPは2.3、これがどれくらいの量なのかは分からないけど、少なくともあの牙で噛みつかれたら一瞬で無くなってしまいそうな量だということだけは感覚的に分かる。
猿の死骸が放つ匂いにでも誘われてきたのだろうか?
なんにせよこのまま何もしなければ碌な結果にならないことだけはわかる。
しかし一体どうすればいいのだろうか…………
光る目玉の数から考えると狼の数は大凡20~25の間だろう。
残りのHPは2.3……じゃないな、3ある……。あ、レベル上がったからか。
……まぁどっちにせよ無いに等しい。一回でも攻撃を食らえば負けだと考えた方がいいだろう。そしてMPは残り53。今までの感覚からすると通常のサイズの風の刃10回程度で限界が来るだろう。
狼は20匹以上、攻撃できる回数は10回、一度でも攻撃されたら死ぬ可能性が高いから接近戦は避けるべき。これを踏まえて単純に考えれば一撃につき2匹を、余裕をもつならば一撃につき3匹ずつを倒さなければいけないことになるが、止まっている的でさえ命中率は8割がいいところだろう。であれば動きの素早い狼に、しかも2匹ずつ、かつ一度も外すこと無く攻撃を続けるなどというのは…………
「うん、十中八九、どころか百回やっても一回も成功しない可能性の方が高いだろうな。…………逃げた方がいい、けど逃げ切れるか?」
そんなつぶやきが口をついて出た。しかし狼の群れはこちらが少しでも動くと激しく吠え始める。ただ能力値には敏捷19.4となっているから逃げ切れる可能性はまぁ…………無くは無いだろう。
しかしそうでなかった場合、狼の群れに背中を向けて走りだそうものなら後ろからガジガジと……いや、考えるのは辞めよう。
う~ん、困った。しかし困っていてもどうにもならない。今は取り敢えず生き残る方法を考えなければ。
しかし結局なにも浮かんでこなかった。考えがまとまるよりも先にしびれをきらした狼の群れがこちらに向かって走ってきたのだ。
――バウウっ!! バウバウっ!!!
暗くなった森の中を、脱兎のごとく、というかまさしく脱兎のような気持ちで走り出した。
駄目だ! 追いつかれる!
走り出した瞬間に理解した。
基本性能が違いすぎる。
20メートルほどの距離があったはずなのに、殆ど真後ろから荒い息づかいが聞こえてくる。
まずい……このままでは確実にまずい。
――バシュゥンっ!
無駄撃ちはしたくなかったが、そのまま何もしなかったら確実にやられていただろう。
後ろ向きに放った風の刃がどこへ当たったのかも確認せずに必死に走って逃げ続ける。魔力が消費されたときの疲労感とも倦怠感とも言えない微妙な感覚が体中を襲う。
しかし狼はまだまだ残っているようだ。後ろで元気に吠えている。
「ハァッ、どうすりゃ、ハッ、いいんだよ!」
そんなことを言っても何かが思い浮かぶわけでも無い。
取り敢えず次の攻撃のため、掌に風を集めておく。
しかし走りながら風を集めるというのは想像以上に難しく、定期的に風が暴発してしまう。その度に軽い衝撃が腕にかかる。
「クッソ、やばい風が勝手に……暴発……する。……あ」
誰かが囁いたのかと思うほど突然、閃いた。
そうだ、風は必ずしも攻撃に使わなくてもいいのだ。
――シュボボボボボボボボっ!!
風を掌に集め、それを止めること無く後ろに向けて発射する。
もの凄い速さで体が進み始めた。反動で肩が千切れそうだ。
しかしそんなことを言っている場合では無い。例え肩がイカれてしまうおうとも、狼の群れにガジガジされてしまうよりは良いだろう。
鳴き声がドンドン離れていく。
もの凄い疾走感だ。
しかしその爽快感とは裏腹に魔力がどんどん減っていくのがわかる。
体が重い。
そのまま2分ほど走ると、もう限界だった。
魔力がそこをついたのだろう。
目の前をチカチカと光がちらつき、頭が締め付けられるように痛い。脳がドクドクと脈打っている。
もし魔物が出てきたら今度こそ終わりだ。どうしようも無い。
そんな風に思っていた俺の目の前に現れたのは魔物でも、人間でもなく、ぽっかりと口を開けたダンジョンへの入り口だった。
森の中に点在するダンジョン、その一つ【魔鉱の洞窟】への入り口が広がっていた。
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