第8話 その夢(フィクション)は、現実(リアル)への抵抗なのだ
話の口火を切ったのは、優那の方だった。
「先生ってさ、不登校だった頃あるんでしょ……あの時黙って聞いてたけど、私も不登校なの……驚いちゃった、そんな話を一度もインタビューとかで話してなかったから」
私は一度ためらいながらも、興味が止められず彼女に口を開いた。
「ああ、そうだ……君までとは考えていなかった……ただもう、学校に行くのかい?」
「うん……進学の考えるともう限界だし……だいたい、学校に馴染めないって理由での不登校だし……我慢すれば、なんとか……」
いやいや、しぶしぶといった様子がありありと伝わった。それでも彼女は学校に行こうとするのだから、胆力がある……まるで昔の自分のようだ。このままではいけないと、歯を食いしばって学校に行った、あの頃……。
優那はあーあと腕をあげて、体を伸ばした。肩の力が抜けたのか、腕をだらりと下げる。
それからどこか夢を見るような表情になり、私を見た。
「私、先生の描く世界が大好きなんですよ」
え? となるほどに思いがけない言葉だった。話としては優那は私の小説を何冊も読んでいることを知っていたが、本人の言葉がきついので、アンチなのだろうかと思いそうになっていた。
私はお礼を言うべきなのに、そうなのかとかすれた声が出た。
「嫌なことが合っても、先生の小説があれば心が落ち着いた。私を安定するために必要なものだったんです……正直、現実はきつすぎて……」
彼女は続けて言った。
「だから、インタビューとかも読んでました……でも先生って、どのインタビューでも同じ表情で、言い方で……まるでロボットみたいだった。なんかそう言わないといけないって思いこんでいるような……いや、全部妄想なんですけど、自分の学校にいるときとよく似ているなって思ってました。だから一度聞きたかったんです」
彼女はすっと息を吸った。
「本当に、小説に書いていることを信じているのかなって」
ドキリとした。何日か前の、彼女のナイフのように鋭い言葉が、頭に蘇る。私は目を見張ったまま、彼女を見つめた。彼女は眉をひそめた。
「いや、あの態度は……自分でもびっくりしちゃうくらい、がっかりしました……」
優那は悲しそうな顔をする。そのガラスの破片に触れてしまったような、痛みをともなった表情に、私は申し訳なくなった。私の小説を愛した読者に、失望を与えるなんて……と頭が抱えそうになる。
けれどそこから優那は優しく微笑みかけてきた。
「だけどそこから、先生の話を聞いて、先生なりの迷いがあるんだなって……私なりに感じちゃいました……これが正確な言葉かわからないですけど、いい人っていうか」
彼女はへへっと笑い声を上げた。
「なんだか、がっかりしていたことがどうでも良くなりましたよ」
「だが私は……」
私は優那から目をそらした。思わずか細い声が漏れる。
「信じてない理想を、さも尊いように、小説で書いて提供しているんだ」
優那はそんな私の肩をぽんぽんと叩いた。
「やっぱ先生はいい人……自分のやっていることは、人を導いているっていうやつが多いけど……先生は迷うの、人を騙しているんじゃないかって、辛くなって」
「事実だろう?」
「そんなことないよ、私は救われた、そして迷う先生を見て、ほんとに優しいなって思った」
優那は見たこと無いほど晴れやかに笑った。
「物語くらい、甘っちょろくていいんですよ……信じてない理想だったとしても、あったらいいなって思う夢でもいいじゃないですか……私は先生の描く世界が大好きです、それこそが事実です」
まるで救世主の声をきいたかのようだった。
本当にいいのかと思う……こんな風に私を救ってくれる言葉を、私が受けてもいいのかと。彼女は微笑んでいる。ただ無垢な笑みを。
理想ではない、だって絶対に現実に起きることが万が一といえる奇跡だから。そして奇跡は起きないから奇跡なのだ……。けれど甘い夢だって見ないわけじゃない……どこか諦めきれない感情が私を揺り動かしているのかもしれない。人に甘く優しい夢を見せるのを。
その夢(フィクション)は、現実(リアル)への抵抗なのだ。
「なんだ、私は、間違ってなかったのだな……」
声が震えた。ああと息を吐き、私は笑う。それを見て彼女も嬉しそうに笑う。私たちは月の下で笑い続けた。
私はひとしきり笑うと、まだ楽しそうにしている優那にこう言った。
「ありがとう、君のおかげで、私は奇跡に出会えたよ」
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