第6話 自棄な残酷と、清廉な誠実
頼まれた以上、無責任に放置するわけにはいかない。妙に昔から生真面目なところがある私は、以前彼女と会った海岸へと向かった。なんとなくそこにいるような気がしたのだ。しかし繊細そうなあの瞳に向かって、また何かを言うとなると勇気が必要だった。出来ればすぐに会いたくないと思っていたのだが……
浜辺に彼女は体育座りをして海を見ていた。すんなりとした彼女の背中が見える。小さく細く、少し頼りのない感じすらする背中だった
大義名分上、探していた人が見つかったのだ……声をかけないといけない……私はぐうっと息を呑んで、優那に声をかけた。
「なに」
優那が私を見るなり浮かべた顔は、露骨な警戒だった。
まあ、それはそうだろう……いきなり声をかける存在ではない。ただのツアーの客なんだから。
それでもと、秋雨から預かった話をすると、優那は明らかに苛立ち始めた。子育て中の、周囲に敏感になって怒った猫のようだった。
「別に必要ないです、あなたに教わることなんて……」
私はその言葉にどこかホッとしていた。むしろその言葉をかけられたいからこそ、少女を探しに来たと言っていい。優那が断れば、私も無理やり宿題の様子を見るわけに行かない。つまり体よく断れる……私は胸をなでおろしていた。
しかし優那はここで、予想外のことを言い出した。
「私の宿題のことより、私、村田先生に聞きたいことがあるんですけど」
「え?」
彼女は私を食い入るように見ていた。下手に目をそらそうとすれば、喉に噛み付いてきそうなレベルの、怖い目だった。私は恐れそうな自分をこらえる。
「えっと、なんだろうか」
優那は低い声で言った。
「先生はどうして、癒やし系と言われる小説を書くんです? 仕事だから、しかたなしに?」
その質問の答えは、正直優那に言う必要はなかった
。私の心にあきらかに踏み込むような内容であったし、少なくとも読者である優那に知らせる必要はない。けれど何故だろう、私は答えようと思った。それは悪戯心で目覚めた残酷さだった。私の弱さや信条のなさを知れば、彼女はとても苛立つだろう。嫌いという感情を仮に持っているとしたら、炎のように燃え立つだろう。
私は非道な男だ。
少女を「自分の心を語ること」で傷つけようとしている。
私は低く笑っていた。ヤケクソだった。
私は一つ呼吸して、こんな話をした。
私はもとから人と上手くコミュニケーションがとれなかったこと。自由気ままにしたい気質と、いい子の気質を兼ね備えて、学校にも馴染めなかったこと。
それでも人とコミュニケーションをとりたくて、そこから人の望むことを発言したり、書くようになったこと。
【癒やし系】と呼ばれる小説は、人の願望から生まれたものであると。
好きでも嫌いでもなく、ただ望まれたから生まれた物語であると。
まったく自分の意見を持たない、道化みたいなやつだ私は。道化の仮面を外せなくなった人間かもしれない。
それでも私はつながりたかった。誰かと心を通わすためには、自分の気持ちなんて二の次で、本当に本末転倒な話だ。
私のどこか酩酊しているような口調で語られることに、少女は黙って聞いていた、目を見開き、一言一句聞き逃すまいと言った真摯さすら感じた。何故、彼女はこんなに真剣なのだろう。私はイライラさえ感じた。
少女は私の話が終わると、なにかの痛みを堪えるように目を伏せ、小さく訊ねた。
「先生は、それで後悔しなかったんですか? 誰かの思うがままの小説を書き続ける、商業の小説家としては正しいかもしれないけど、何も思わなかったんですか」
少女の瞳に感情が見えなかった。
凪の海のような穏やかさがあった。まるで私の話を理解し、受け入れると言わんばかりの……。
ぐっと心臓が掴まれるかと思った。ずっと私より若い少女の瞳に、どうしてこんなに狼狽しているのだろう。
私は視線をさまよわせた。何かに助けを求めるような勢いだ。ここには少女と私の二人だけなのに。
彼女は見抜いているのだろうか。
私が優しい言葉やセリフを書くたびに、人を惑わしている、おかしな救いをあたえているのではと考えていることを。罪悪感とおそれを感じていることを。
「君は……」
その後の言葉は続かなかった。なんと言えばいいか分からなかった。私は恥の感情を覚えていた、少女にすらかなわない、自分の器量の狭さにそわそわしていた。
優那はうろたえるばかりの私にこう言った。
「先生は、自分の好きなことを書いても、良いと思います、仕事じゃないところでも」
きっぱりとした口調だった。香り立つような清廉さだった。心の底からそう思っているような誠実さを感じた。
私はいいのかと、気が遠くなる。
そんな私の横を少女は通り過ぎて、海に向かう。
ここでの話は終わりということか……私は理解する。そうしてほっそりとした身体で海に向かう、少女の背中を見た。
そこには頼りなさはなかった。
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