第5話 ほんの少しの不安と怯えと圧と恥に負けた
数日何もしていなかった、ゆっくりと横になり、食事を食べ、ぶらぶらと散歩する。休みに休んだせいか、それとも休むことに逆に疲れてしまったのか……私も含めて、ツアーの客はソワソワとしだした。自分は本当にこのままで良いのだろうかと自問してしまう、と言う客までいた。私達は暇ということに不安感を持つような精神性になっていたようだった。
だがそんな客に対してツアーもしっかり対策はたてていた。手持ち無沙汰になったなら、島民に声をかけてなにか手伝ったらどうでしょうかと。それを聞いた客たちは、案内役を通してぞくぞくと、行動をし始めた。
心なしか、顔をいきいきと輝かせて。
だが私もなにかしなければいけないという思いが、胸に巡っていた。あまりに何もなく、ただぼんやりとしたり、自分の不甲斐なさを感じて、不安に陥ったりを繰り返していたからだろう。マイナスの沼に落ちた自分から目をそらすために、私もなにか手伝えないかと、宿にいた案内役に声をかけた。
案内役は私の頼みに、うーんと何かを思いを巡らせていた。そこに宿の主の秋雨が通りかかる。
案内役は何かを思いついたように秋雨に言った。
「秋雨さん、そういえば優那ちゃんの勉強が見られないとか言ってましたよね」
秋雨は困ったような笑みを浮かべてうなずく。
「ああ、そうねぇ……なかなか忙しくて」
「こちらの村田さんが、なにか手伝うことはないかと声をかけてくれまして、優那ちゃんの宿題を見てもらうのいいんじゃないですかね」
私はびっくりした。苦手な力仕事でも頑張ろうと思っていたのに、あの少女の宿題を見るなど予想だにしていなかった。秋雨は私をじぃーと見る。
「ああ、あなた何処かで顔を見たと思ったら、優那の好きな作家さんですか? 村田って言いましたし」
「えっ、たしかに私は作家をしていますが……」
秋雨はふむふむと頷いた。私は宿の主にまで職業がバレてしまったことに、ひやひやしていた。それと同時に、優那という、私に辛辣な言葉をかけた少女が、私を好きな作家だとしていたことに、不思議な感慨を持った。露出をあまりしない、作家の顔まで覚えている読者は、なかなか珍しいとおもいつつ……。
秋雨はにっこりと笑ってこう頼んできた。
「村田さん、作家なら書くこと得意でしょう……優那、作文の宿題をしなくて困っているんですよ、手伝ってくれませんか?」
ストンと落とし穴に落ちたような気分だった。予測を超えるにもほどがある。本当に現実なのかと思ったが、現実だった。案内役はそれはいいと、満面の笑みを浮かべている。こ、断るべきだ。あのこはきっと繊細だし、なかなか辛辣だ。心癒やすはずのツアーで、心がしんどくなるようなことは避けるべきだ、避けるべきなのだが、秋雨と案内役の二人の笑みが圧のように感じる。だいたい自分の得意分野である書くことの手伝いを断るって、何かあったと勘ぐられる……私はこわばりかけた笑みを浮かべた。
「はい、任せてください」
ああ、私はなんて意志薄弱なんだ……。
ほんの少しの不安と怯えと圧と恥をおそれて、頷くなんて。
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