第4話 薄っぺらいにもほどがある

 作家の名前を知っていても、作家の顔まで覚えているというひとはどれだけいるのだろうか。私は確かに雑誌のインタビューで顔を出すことはしていたが、そこまで積極的に顔を出した記憶はなかった。できれば顔出しはしたくなく、館林に言い連ねるほどに、控えていたくらいで……。

 

 私の混乱をよそに水着の少女は、どこかぶっきらぼうな調子で言ってきた。


「私、先生の本を何冊も読んでました、インタビューも……」


 もしかしてファンということなのだろうか。私はとっさに顔を隠したくなった、自分の。恥を感じたのだ、読者が目の前にいるというのに、こんな体たらくな自分に……。

 彼女はなんだか冷めきった目でこちらを見ていた。何も事情を話しているわけでもないし、奇行に及びそうな自分はなんとかこらえているのだが。少女の目の凍てつきぶりが気になりすぎて、私は思わず声をかけた。


「本を読んでくれてありがとう、確かに私は村田だけど……」


 表情険しいし、もしかして調子が悪いのかい? そう言おうとした。しかし彼女の切っ先の鋭い言葉が打ち込まれる。


「一つ質問があるんですけど……先生の作品って、とっても優しいですけど、辛かったら逃げろとか、休んでいいとか……先生自身もそういう考えなんですか? 本当にそうしたら幸せになれると信じているんですか?」


 感情が止まった。え、となってしまった。この世で一番聞かれたくないことだった。とっさに表情すら取り繕えなかった。

 え……え……どういえばいいんだ。彼女の真剣な問いに目を泳がせることしか出来ない。

 私は自分の描く理想が、自分で信じてないから……ウケを狙いまくっているという意図はないが、騙しているような、人を間違えた方向に導いているような自覚はある。え……え……どうすれば……。


 少女は肩を落として言った。


「もしかして、自分でも信じてないことを、書いているんですか」


 心臓が掴まれるような衝撃を受けた。心に触れられた、人に見せられないような心のやわい部分を。思わず、許してくれと小さく言ってしまって、それが更に動揺を誘う。がたがたと膝が笑いだして、私はぐっと浜辺に砂に足の力をこめた。


 何も言わなくても、図星をつかれたことは明白だった。少女はため息をついた。感情のこもってない表情で吐く息だった。


 彼女はそうですか、と言った。そして少し寂しそうな顔をした。


「なんだ、自分でも信じられないんだ……そんなビビっちゃうなんて、私の言葉に。あーあ、そうなんだ……薄っぺらいにもほどがあるじゃん」


 返せる言葉はなかった。反応も出来なかった。

少女は呼び止めてすいませんと一礼すると、私を置いて去っていた。

 水着を着た健康的な肢体に、シャツを一枚羽織って。眩しかった。

 少女という存在は眩しい。しかし彼女は私の弱いところを、袈裟斬りしにきたのかと言わんばりに、つっついてきた。休暇をとりに島へ来たはずなのに、ここでまさか断罪されるとは。


 この世は無慈悲だ。


 私はとぼとぼと宿に帰り、ぼんやりと布団も敷かずに、横になった。繊細すぎる自分が、本当に嫌になる。


「夕食の時間ですよ―」


 宿屋の主である秋雨(あきさめ)の声が部屋の外から聞こえてくる。廊下から、ツアーのお客に声をかけているようだ。

 食事の時間は決まっていて、そのときだけは集団行動になる。私は空腹のせいなのか、気落ちのせいなのか、それともないまぜになっているのか、とにかくよくわからない体の重さを抱えつつ、動き出した。


「優那ちゃん、これを持っていって」


 厨房から声が聞こえてきた。


「はーい、わかりました」


 聞き覚えのある少女のような声が聞こえる。

えっ、となって思わず立ち止まってしまうと、おかずの入ったおぼんをもった少女が、一生懸命な顔をしながら通り過ぎた。

 私に辛辣な言葉をぶつけた少女だった。

 ここの宿の関係者なのか……呆然としそうになる。

 そこへ、秋雨が厨房から出てきて、私は思わず声をかけた。


「あの、あの子も従業員なんですか?」


 一瞬秋雨はキョトンとしたが、すぐにいやいやと大笑いをした。


「あのこ、優那は私の姪っ子ですよ、手伝うと言うので、ありがたく力を貸してもらってます」


 ……なんということだ、神様がいるとしたら、底意地が悪すぎないかと思う。この宿を手伝っているということは、彼女とこれから何度も顔を合わせることになるのか……。

 私は子供のように戸惑い、目をぱちぱちさせた。

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