第二十二章:元に戻るより、先へ進むということ。

 うん。これでよし。

「何してるの?ルディア」

「元の世界に帰る前に、お土産を持っていきたいなって思って。この世界の植物を数本持っていくことにしたんです。向こうでも育つかは分からないんですけど」

「いいじゃんお土産。あたしもどっかで……まあいっか。それより、社長たち呼んでたよ。お礼言いたいって」

「お礼ですか。せっかくだし、バシバシお礼浴びちゃいましょう」

「そうね!あたしたち、頑張ったし!」




「この前はありがとね。それじゃ」

「ちょ、ちょっと待って!お礼それだけ?」

「うん。ほかになんかあったっけ……あ、パーティーのときはごめん!」

「いや謝罪じゃなくて」

 はあ、流石は天才クラウディオの娘。やはり奇人だったか。

「TREE SPIDERの破壊は終わって、幻想種はエトとクラウディオにお任せ、シンはいつもみたいに籠って新型開発中、ベルンがここに残ってる。いつも通りになったね。もっとも、君たちは“元通り”とはならないわけだ」

「はい。次の場所へ向かうだけですから」

「うん。これからも楽しみなよ」

「お二人の活躍をこれからも願っております」

 ふうん、と未紅は疑う。

「社長、お父さんのこと呼び捨てなんだ」

「うん。クラウディオと私は、ほとんど面識はない。生まれてすぐ別々になったからね。それにあいつクソ野郎だし、尊敬なんて欠片もしてない。だって私たちアイツに殺されかけてんだからね!」

「そうだったんですか」

「あ、あとこれだけは言っておきたいんだ。來さんのことだね」

 はい、と返したものの、正直私もあの感覚を拭い切れていない。

「まさか、とは言えないけど、來さんが敵だったことは私たちにとっては苦しい現実だった。彼女の来歴を調べなおしたところ、やはりほとんどが不詳。來という名前も本名ではなく、『迫り来る者』としてつけられたニックネームらしい」

「ハンターでしたものね、來さん」

「うん。君たちは、來さんを恨んでる?」

 私が返答に迷っている間に、未紅はきっぱりと答えた。

「ええ。ムカつくわ。なんも話してくれなかったし、最後の最後に急に敵でーすだなんて、納得できないわよ」

「うんうん。ルディアちゃんは?」

「私は………彼女にも、幸せになる権利はあったんじゃないかと思います。全ては彼女の育った環境が原因です。もし、それがなかったら…」

「随分人情深くなったね、ルディアちゃん。人間の過去に“もしも”なんてないけど、世界単位で見ればもしもは存在する。たしかに、彼女が幸せな人間として生きる世界もある。だが忘れないでほしい。彼女は今回、君たちの敵として登場し、人を殺す“悪”だった。君たちは正しかったんだ」

「本当に正しいことなんてあるんでしょうか」

「あるよ。よりたくさんの人が幸せになるのが正義だ」

「それじゃあ、幸せになれない人もいます」

「そういう人を救うためにその力があるんだ。この世界だって、君の世界だって、誰でも何でもできる世界じゃない。だから、“力を持つ人”がせめて頑張らなきゃいけない。と、私は思うんだ」

「何言ってるかよく分かんなかったけど、とりあえず頑張れってことね!」

「そゆこと」





 社長の言葉が頭から離れない。

「なんのための力なんだろう」

「いっぱいお金を稼ぐために使いましょ」

「未紅は楽しそうですね。これからどうするんです?」

「うーん、まずは家に帰って、寝る!」

「学校には行くんですか?」

「行くよ。大丈夫、何でも来い、よ」

 未紅は強い。

 私なんかよりもずっと。

「未紅、わがままを言いたいです」

「何?」

「今更ですけど、帰りたくないんです」

「そっか」

「未紅には家族が待ってるけど、私には家族はもういません。みんな死にました。友達もいません。仲間もいません。あっちの世界に、私の味方はいないんです」

「じゃあどうしよっか」

「どうしようもありません」

 子供か、と自分でも言いたくなってしまう。

 でも本心だ。

 あっちの世界に帰ったら、私は居場所を失ってしまう。

「会ってきたら、家族」

「どこで?」

「どうせ会うでしょ、帰るとき」

 …まさか。

 いや、考えるのはやめておこう。なんかあんまり、私的にはドラマチックじゃない。

「あー、めんどくさー!」

「びっくりしたあ。ルディアもめんどくさいって言うのね」

「言いますよ。めんどくさいときは」

 困った、これじゃあ帰れない。

「ルディア」

 未紅が笑った。

「家まで送ってよ。いいでしょ?」

「……はい.でもその前に、寄りたい場所があるんです」




 私たちは、宇気比町にやってきた。このお寺に。

 亨さんのお寺。

「最後に、挨拶をしておきたくて」

「うん」

 既に焼け跡になってしまっていたが、意外と原型は留められていた。上がると、床もかなり脆くなっていて、下手をしたら床が抜けて...。

「うわっ!」

「未紅!」

 未紅は下半身が丸ごと床にのめり込んでしまっていた。木片が刺さらなかったのが幸運だったが、それ以上の幸運が私たちを待ち受けていた。

 それは、一見、幸運と捉えるかに迷うものだったが。

「ルディア、これ」

 未紅が落ちた穴は、燃焼による老朽化が原因で崩落したのではなく、元来から下が空洞だったのだ。そしてその中には、大切そうに仕舞われた一冊の本が、美しい形で保管されていた。タイトルは...。

「Kaleido of Artemis Dover。著者は、グレイス=ドーヴァーと書かれていますね」

「誰か知ってる?」

「さあ」

 辞書のような重さの一冊の内容は、全く不可解なものだった。しかし、その中に一点、目を見張るものがあった。

「...カレイドって、そういう」

「どういうことなの?」

「隣接三次元空間群、則ち四次元空間の構成形態が、万華鏡の形式に似ているんです。我々の世界では、この理論の発表が魔術の実現に直結しました。不思議なのは、それを知っている人間がこの世界にいたということ。と、思うと...」

 そこで言うのをやめたのは、私の考察があまり、世界にとって好ましくないと思ったからだ。

 もう間もないうちに、この世界にも魔術は完成されるのではないかと。それこそ、夜波藍端が引用的に魔術を展開できたように。今度は自らの力で、その魔術に到達してしまうものが現れるのではないか。

「ルディア、もう一冊あるわ!」

 私はそこで現実に引き戻された。未紅はもう一冊を手に抱えていた。


 そっちのタイトルは、「ワンダリング・ドリーマー」。


 これはどうやら、作り物語のようだった。ただ一つ気になったのは、登場人物の名前にどれも思い当たるものがあるということだ。

「これって、団長さんと、シンさんと、エトさんだよね。それで、語り手が亨さん。あと、この不思議な人は?」

 私たちが出会っていない登場人物が一人だけいた。長身で細身の男性は、凛々しく彼らを見守っていた。

 劇団にいながら、私と出会えなかった彼。

 私の師匠。

「へえ。亨さん、こういう話も読むんだ。それとも、劇で使ったのかしら?」

「...これは」

 最後のページに、二枚の紙片が挟まれていた。

 そしてそれはどちらとも、劇場の入場チケットだった。真新しい本とは対照的に、くしゃくしゃになって黄ばんでいる。題目はくすんでよく見えなかったが、彼が大切に保管していたことからしても、きっと思い出のあるものだったのだろう。私たちはそれらを戻して、これからもここに残り、それか、この町に還り、あの人と共に在ることを願った。




 私たちはようやく、東京の町に到着した。

「ここここ、あー久しぶりの帰宅。眠いわー」

 玄関で未紅は立ち止まった。

「ここであたしが家に入ったら、今度こそ本当にお別れよ」

「………はい。私も、お別れのタイミングを見失っていました。ありがとうございました、未紅」

 でも、未紅は行かない。

「未紅……?」

 未紅は肩を震わせている。

 まさか未紅、今…。

 と思った次の瞬間、彼女は振り返り私のほうへ走ってきた。

 私の手を、握った。


「こんにちは、私のお友達。あなたの名前は?」


「…あ、はい、スクラッド=ル=ディアといいます。他の世界から来た魔術師で、14歳。水銀を操る魔法を使えて、ウィザード・マーキュリーです。あなたは?」


「私は加々野未紅!あなたと同じ14歳で、えっと、あと……」


「未紅はまだ中学生ですから。この世界では、その歳で就職していないのが普通です」


「なんかムカつくわね! 大人になったらルディア…ちゃんよりもっとすごい仕事してやるわ!」


「私は国の魔術師ですよ?」


「ぐぬぬ…」


「他に、未紅ちゃんの好きなものは?」


「うーん……運動が好き!野球が大好き!」


「そうなんですか。誕生日には何を送ればいいでしょう?そうだ、野球というスポーツにはバットが必要なのでしょう? それを買いましょう!」


「いいわね! じゃあ私は、あなたの誕生日に何を買えばいいの?」


「そうですね…あ、すまほというものが欲しいです。みんな持ってるみたいなので!」


「え、ルディアちゃんは持ってなかったの?じゃあ今度、お姉ちゃんに頼んでどうにかしてみる!」


「ふふ、ありがとうございます」


 手を繋ぐと、温かさが伝わってくる。


「ねえ未紅ちゃん、一人で帰るのって、なんだか怖くないですか?」


「今はそんなに。でも分かるわ、暗いときとか怖いものね」


「はい。そんなとき、未紅ちゃんはどうしますか?」


「私は、帰ってからのことを頑張って考えるわ。あれやろう、これやろう、って考えてると、意外とすぐ着いちゃうわ」


「そうなんですか。私もやってみます。それではお礼に、これをあげます」


「これって、ルディアちゃんの杖? 貰っていいの?」


「家に帰ればたくさんありますから。ひとつくらい思い出にどうぞ。振り回して窓を割ったりしないでくださいね」


「大丈夫よ。私を何だと思ってるの?」


「思い付きで行動するわがまま少女」


「へえ~」


 別の世界に行っても、魔術は解けないはずだ。


 魔術以外にも。


「ルディアちゃんって、魔法使いなの?」


「魔術師と魔法使いは違うと、前言いませんでしたっけ?でも、きっと今の私は、魔法使いです」


「よくわからないけどだいたい一緒よね! ひとつ、お願いを叶えてほしいの」


「…まあ、叶えられる範囲なら」


「あたしたち、お互いのこと、ずっと忘れないでいられるように」


「それなら魔法も魔術もいりませんね」


「一応よ一応」


「はいはい」


 未紅の額に、杖をこつんと当てる。


 もちろん、記憶力を上げる魔術なんてものはないのだが。


「ありがと」


「いえいえ。冗談です」


「なんでよ」


「ないものはしょうがないでしょう?」


「……そっか。魔法使いにも、できないことはあるんだもんね」


 その通りだ。

 私は最強の魔術師になって、世界の全てを手に入れたように思っていた。

 でも実際は、何も手に入っていなかったのだ。

 そうするしか現実を受け入れられなかっただけだ。

「また当たり前のように、明日が来るんですよね」

「昔みたいにとは思わないわよね。昨日と違った明日があったほうが、絶対楽しいもの」

「そうです。そのことを、未紅からたくさん教わりました」

「あたしはルディアから」

「お互い様ですね」

「そうね」


 それじゃあ、と私はとうとう踵を返す。

「行きましょうか。元の世界に」

「いってらっしゃい。気を付けて」


 両足がふわっと浮く。





 この旅は、どんな旅だっただろう、と思い返してみる。

 見慣れないものに困って、未紅にいろいろ教えてもらったっけ。

 迷子の子供に寄り添って、それが未紅の兄弟だったり。

 未紅と宇気比町に行って、來さんと出会った。

 それから幻想種と戦って、シンさんと出会って。

 社長にもベルンさんにもトオルさんにも出会って。

 何回か喧嘩もしたけれど、今日までこうやって戦ってこれた。


「ルディア―!」


「はい!」


「だいすきーっ!」


「私も!大好きですよー!ありがとう!」
















「来たか」

 神殿の中央に、彼は立っていた。

「ここまで大変だったんじゃないか」

「いえ、帰ったら何しようか考えてたら、あっという間でした」

「そうか」

 淡々とそう言うクラウディオは、一冊の本を持っていた。

 知らない言葉でタイトルが書かれていたので読めはしなかった。

「さあ、君にはこれから元の世界に帰ってもらう。何かあっちの世界でやり残したことは?」

「ありません」

「ならよかった。私は最初に、これから起こるいかなる悲劇も、君の責任ではないと言った。覚えているか?」

「はい。でもそれは今になってみれば杞憂でしたね。悲劇は、自分の身に背負っていかなければいけない。そういう風に感じました」

「それが、君が見つけた新しい真実か」

「そうですね」

「生き抜くには十分の解釈だ。送ろう」

 あのカプセルが準備されていた。

「あ、この花も転送されますか?」

「ああ。されるが」

「よかった」

 さあ、どうしようかな。

 いろいろ考えたけど、帰ってから何をするかは、結局思いつかなかった。

 あ、そうだ。師匠が書いた本を読んでみよう。まだ水銀魔術について、いろいろ書いてあるかもしれない。

「ルディア」

「はい?」

「旅は楽しめたか?」

「はい。これ以上ないくらい」

「…君がこの旅で得た最も大きなものは、生きる希望だ。それはきっとこの世界で最も手に入れるのが難しいものだ」

「このような機会があったことに感謝しています。ありがとうございました」

「ああ。それでは、行ってくるといい。君がかつて生きた世界で、もう一度、幸福を手に入れるために。そして、新たな世界を手に入れるために」




 そうして私は、暗闇の中を彷徨い、光の中で目を覚ます。



「あと一つ、言い残したことがあるんです」

「なんだ?」

「ありがとうございました、私の......」




 私の新たなる旅は、今再び始まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る