第二十一章:水銀のマリオネット
水銀魔術、抽出開始。
「.........」
來さんが来ている。
彼女の強さは、エトさんと同等か、もしくはそれ以上。
「ずばあああん!」
彼女の声と共に、私の左腕が飛んだ。
治療は最大速度で。無傷で勝つなど不可能。
血塗れになっても勝つ。
「水銀!」
水銀の針が彼女の目を狙う。
「とまれえええええ!」
止まった。全ては彼女の思うがままだった。
私の水銀魔術までもが。
「なんでもアリじゃないですか」
「死ね」
即時、首が逝った。
まだ治るはずだ。私はウィザード・マーキュリー、常人程度の死は受け付けない。
杖の先が彼女を狙う。
「刃形...」
今度は、水銀のブレードが彼女の胴体を引き裂いた。命中して出血したものの、まだ動いている。
「あれもマリオネットか…」
彼女には、既に生体としての機能など不要だった。
下半身を能力で無理やり動かしている。
「おりゃあ」
無気力な声が這い上がってくる。
敵が増えた、切ると頭数が増える。
「お返し」
今度は私の体が二つになった。
治療、治療を急がなければ。
押されている、どうすればいい?
「水銀魔術、気化」
相手が人間であれば、毒で死ぬはず。
気体水銀は神経毒にもなる。そこで勝機を作るしか…。
「止まれ」
それも止まるのか?
「僕は空気中の水銀分子もちゃんと操れる。これが何を表すか」
「私の水銀魔術の、完全上位互換……」
私が操れるのは、水銀に限られる。
だが、彼女の対象は”全て”だ。神も人も現象も、彼女の人形劇の一要素に過ぎない。
少なくとも、私と比べれば強い。
「いや、違う。まだあるはず」
「ない」
思い出せ。まだ何かあるんじゃないか。
勝機があるから、エトさんとクラウディオは私に任せたんじゃないか。
私が来た理由。
私に為せる手段。
思い出せ。
思い出せ。
思い出せ。
最初に立ち戻れ。
何かあるはずだ。
水銀魔術とは何だった?
「があ…あ……」
痛い。
治療はできるが、痛みは消えない。
マリオネットの能力者は強い。
彼女は無理やり上下の半身を繋ぎ合わせた後、足を振るわせて立つ私の前に歩み寄った。
「ルディアちゃん。どうしても他に誰もつれてこなかったの?」
「私は……皆を信じているから…」
「信じていたなら、連れてくればいいじゃん」
「違う………」
そうじゃない。
私は友達も信じてるし、でも、それ以上に信じているものが、今はある。
「私は自分を信じてる……だから、死なない」
そのとき、ポケットから赤い龍のキーホルダーが抜け落ちた。
この世界に来たばかりのとき、未紅の弟から貰ったもの。
そうか。
私が忘れなかったこと。
この世界に来る前に、私が知っていたこと。
― 水銀は-39℃で融解するといわれているが、此処はその限りでない。―
師匠が残した最後のメッセージ。
何を意味するかは分からなかった。
でも、考えはある。
「何をしてる?水銀がだんだん…」
忘れろ。
刃のようにして構えていた水銀が、どんどん液体に変わっていく。
融点か。
最初に来た時から、自然に対応していた。
なぜあのとき、水銀で作ろうとした指輪が勝手に融解したのか。
あれだけ完璧に身に着けた水銀魔術の使い勝手が違ったのか。
ちょっとした感覚の違いが、その証拠だったんだ。
師匠は世界を越える能力を持っていたが故に、世界ごとに物理法則の一部が僅かに違うことを知っていたのかもしれない。それで、私がいずれ異世界に行くであろうことを予期して書き残したのがあのメッセージ。
しかし、もし彼が私を信用してくれていたなら、私がたかだか融点の違いで水銀魔術をミスするとは思わないだろう。あれは忠告ではない。もっと他のメッセージ性があったのだ。
「此処はその限りではない」
口に出して言うとはっきりする。
「どうした?何をしている」
「そうだ」
「水銀は-39℃で融解するといわれているが、此処ではその限りでないんですよ、來さん」
水銀魔術は、水銀の形と状態を操るだけじゃない。
水銀に関してであれば、“なんでも”操れるのだ。
「それは僕も同じ…いや」
「あなたの能力は“動かすだけ”で変えることはできない。そう、変化。変化こそが最も重要だった。本質そのものを変化させてしまうような」
杖を振り上げると同時に、來さんの内部から水銀の刃が、四方八方へと飛び出た。
「あなたの体内に入っていた水銀分子の数を増やしました。これは分子数操作です」
「それは、物理法則を無視している……」
「何をいまさら。神様が出てきた時点で、そんなものに意味はありませんよ」
もし、可能なのであれば。
私ももっと強くなりたかった。
魔術は万能ではないし、私は特別強いわけではなかった。
私が最年少にしてウィザード・マーキュリーの座につけたのは、戦闘力からではなくその魔術の扱いやすさからだった。
水銀が持つ毒性、そして私自身の”弱い立ち位置”。
私は独りだった。友達もいない。
師匠という存在を除いては。
本当に最強の魔術師は、私じゃない。
でも私はせめて、父親の後を継ぐために、強く在る姿でいた。
今も実感する、水銀魔術の不甲斐なさ。
水銀はいつも私の心を捕まえていたのに、いざ自分で使うと全く強くない。
だけど、今は違う。
「そうです。私の本来の能力は水銀魔術ではなく、”水銀魔法”。今の私は、当世に残された希代の魔法使い。その本質は、水銀の性質や特性を”変化させる”こと」
來さん。
あなたはどうだった?
「ああああああああああ」
水銀の鋸で、彼女を刻み続ける。
「痛い、痛みが心を……」
……そうか。
なるべく、そのままであってくれ。
痛みを忘れたあなたに、せめてもの手向けとして。
次の瞬間だった。
ベルトの帯の一本が、私の首に巻き付いた。
「…」
なんだこれは、と声も出ない。
何かすごく強力な力によって動いている。
魔術でも魔法でもない。
人の心を原動力に動く、謎の物体。
蛇帯とは、何か。
「……っ…………」
仕方ない。
もうこれで最後だから、派手に行こう。
ぶすぶすと音を立てて蛇帯が唸る。
今、私が自分の首の内側から、水銀を針として抽出しているからだ。
だが蛇帯は逃げない。宿主である來さんが死ねば、自分も死ぬからだ。
「所詮は蛇か…」
気道に穴が開いている。
あとで治す。
「............よし」
ようやく死んだ蛇帯を引き剥がし、鏡を見てみると、まるで首の周りがトゲ付きの首輪みたいになっていた。
「はは、お洒落」
來さんがからかった。もう四肢はなく、胸と首、頭が胸像のように残っているだけだった。
「戦う意志もありませんか」
「もう、いいや。楽しかったから」
そうですか、と言いかけたそのときだった。
とてつもない爆発に巻き込まれた。
熱く、痛い。まるで手元でダイナマイトが弾けたような威力。
私は爆風で地下の工房から外に追い出され、路上に寝そべっていた。
「ルディア!」
安心感のある声がする。私はまた、怒られてしまうんだろうか。
ひとりでいかないでって。
「ルディア」
未紅は倒れている私の顔を覗き込んだ。
「ナイスファイト!」
はあ、と情けない声が出てしまった。
私は今、少しだけ泣いてしまったかもしれない。
「ルディアが時間を稼いでくれたから、準備が終わったのよ。ずーっと、どうやって倒すか考えてたの」
「何を?」
「今から出てくるわ。とうとう最後の敵よ」
私の見る先、天空まで聳える黒い柱がある。
いや、柱じゃない…よく見ると、人型ではないが、何か生き物のようなものが。
踊る肋骨のような巨大生物が…。
「十三の幻想種の話があったでしょ?実はまだ全部捕まってなかったらしいの。一匹は実は、來さんの中にずっと憑りついていたっぽくて。あれが最初で最強の幻想種ってエトさんが言ってた」
この世界に、それを形容できる言葉も仮令もない。
大気圏を突き抜けて突き上がる、謎のオブジェクト。
あんな、何百キロメートルもあるようなやつが。
最後の敵なのか。
「ルディア、起きて。今度こそ最後よ」
「本当に?」
「多分!」
はは、と声が出る。
一緒にいると笑っちゃうんだ。
喉が痛むけど、まだ笑っていたい。
まだ笑っているために。
「片付けちゃおうか」
「うん」
私は立ち上がり、敵を見据える。
「どこが弱点かも分からないような形してるわ」
「全部壊せば、倒せるんじゃないですか?」
「ルディア、そんなに脳筋だったっけ?」
「考えてますよ、ちゃんと」
思考能力が落ちているのは確かだけど、と付け加えた。
「それじゃあ、早めに終わらせましょう」
「おっけー」
私は魔術杖に未紅を乗せ、空に飛び立った。
「いーい、ルディア!ここに十二枚の幻想種入りCDがあるから、これを全部投げつけてから、攻撃でできるだけ削って、空のCDで捕獲よ!エトさんはいつも通り能力が使えないから、あたしたちでやるしかない!」
「了解です!」
まずは十二の幻想種を開放する。
黒い嵐のようなものが一斉に噴き出す。保存されていた天変地異が暴れ出したのだ。
「さあ行くわよ、突撃―っ!」
私の名は、ウィザード・マーキュリー。
太陽に仕える魔術師。
「ル、ルディア!?ちょっと何してんの?」
「私が相手から来る攻撃を全て防ぎます。だから一直線に向かって行ってください!」
「おっけー、一撃必殺ってわけね!」
「全てを使い切る覚悟じゃないと、きっとあれは貫けない」
私は魔術杖を手放し、単独飛行に移る。
自力で水銀を増やして、壁を作る。
「ごめんなさい、來さん。朝食にはもういらないみたいです」
行け、巨大な槍よ。
手中にある全ての水銀を、手向ける。
「ORBITAL!!」
未紅が叫んだ途端、視界が眩く輝いた。
そうか、あのときの神経接続がまだ、少しだけ残っていたか。
無数の水銀の波と、それを行く未紅と私の周りを、たくさんの光が彩り、燦然と私たちを見下ろしている。
「椎奈、最後の“火炎”だよ」
「今からこの水銀を一点に集中させて、火種を作ります。そこを突いて」
魔術杖にまたがる未紅の背中を、やさしく押した。
「幸運を祈ります。グッドラック」
未紅も親指を立てて、私に微笑む。
この一撃に全てをかけないと、おそらく私が失血死するか、全身の筋肉と神経が焼き切れて死ぬ。
脳もかなり限界だ。
こういうとき、詠唱が便利なんだ。
「未紅、一回だけ、約束破りますね」
「え、何?」
使わない、とは言ったものの、何事も使いようだ。
終末魔術。いや、これは私がこの旅の中で見出した生への悟り。
生きる目的、生きる業。即ち、これは。
― 終末“魔法”、起動。魔法名定義、【水銀のマリオネット】―
水銀たちが、輝く金属の赤色に変わっていく。
「設定、融点上昇量極限→∞、分子増加量極限→∞、増加加速量極限→∞、座標は“加々野未紅の正面”。さあ、行け」
赤い水銀が、加々野未紅を守るように集まっていく。
炎と水銀の濁流が、相手の肉体に衝突する。その衝撃波が、数十メートル離れたこちらまで伝わってきた。
軌道もまだ見える。未紅は生きている。
ちかちかと明滅する視界に何度か眩みながらも、その行く先を見届ける。
「まだ足りないか…」
なら、また使うだけだ。
赤い水銀を、背中に纏わせる。水銀の翼として、私は飛翔する。
「飛べ……」
もはや飛行魔術を使う体力すらない。滑空しながら未紅の元へ。
もう水銀の奔流の中に守られていて姿は見えないが、このひときわ明るく光る軌道が、彼女の位置を指し示している。
「はじめてですから……成功するかは分かりません」
できることは、なんとなく知っていた。だけどそれは使い方を誤れば即死。
全身を水銀に変える「解散」の能力。
「未紅なら、どうにかしてくれますかね」
幻想種は巨大だ。
少しずつだけど穴は広がっている。でも、まだ全然貫けはしないだろう。
だったら、この一撃を最後の一押しとして、戦いを終わらせよう。
― 形式:不定形、全ステータス強制解除、保障解除、意識状態維持 ―
詠唱中に口角が痛んだ。
きっと、詠唱そのものが魔術の行使を拒んでいるのだ。
でも、これでいい。
「水銀魔術、解散。ありがとう、未紅」
水銀状態になれば無論、意識というものを失う。
「君の生をそうさせるのは、君の心だぞ」
誰かが語り掛ける。
絶望の淵からこちらを覗く。
「考える力を失った君は、もう生きてはいない。魔術師どころか、人間までやめてしまったんだ。いかなる生物の界にも属さぬ存在になったのだ。それをどう呼ぶか分かるか?」
「…幻想種?」
「いいや。幻想種は肉体が死んだ者たちのことだ。だが君は今、意識の束縛からも放たれた。我々幻想種の世界である“夢の世界”、君たちの世界での一般的な呼び方で言えば“境界の世界”には落ちず、魔術の根源である、六次元の世界へ向かう」
「地獄にも天国にも行けない、ってことですか」
今になって思い出した。
トオルさんに、死ぬな、って言われたのにな。
死んじゃったんだ、私。
トオルさんは?
「君と一緒にいた青年は、境界の世界に救出された。今君はまさに、裏世界に行く最中なんだよ」
じゃあもう、関係ないか。
「ルディアーっ!」
まさか、この期に及んでそんなはずはない。
未紅はもういない。
走馬灯か?幻覚か?
どちらでもいい。
あそこにぼやけて見えているのは幻なんだ。
幻だからぼやけて見えるんだ。
「ボーっとしてんじゃないわよ!バカ、なんでもいいからこっちに伸ばしなさい!」
なんでもといっても、もう私には何もないのだ。
「じゃあ、私がそっちに行くから!」
…え?いやいや、それはムリだろう。
でも、彼女は来た。
私の、存在しないはずの体を抱えて、どこかへ引っ張っていく。
......私の視界がぼやけているのは何故だ?
「エトさーん!いたわ!引き上げて!早く!」
私は光の中、ルディアに抱えられて、落下中だった空洞を抜けた。
ざー。
ざーーーーーー。
「服着ないで寒くないの?」
「寒いです…」
ほれ、と私が来ていたはずの服を渡してくれた。
「どうも」
よいしょ、と立ち上がると、地面が真っ赤であることに気づいた。
「あんたが使ったからでしょ、この赤い水銀。なんか血みたいでこわいわ…」
でも、まさか空から降ってくるとは思わなかった。
「これ、一昨日からずっと降ってるのよ。町の人たちは避難完了、赤い水銀の雨なんて今まで聞いたことないし、みんなパニックになっちゃってるわ」
「私は、水銀で」
「またルディアの姿に戻ろうとしてるんじゃない? なんかここに集まってきてるし」
ここは、來さんの家の前だ。來さんの家は爆発でなくなっているが。
「來さんの家は地下のガス管の爆発で説明されてて、雨のタイミング的に関連は疑われてるけど、いくら地下に水銀を保管してたからって爆発して雨にはならないだろうって言ってるし、大丈夫よ」
「警察とか来てないんですか」
「あたしが全員追い返したから」
「どうやって?」
「こうよ」
ああ、そういうこと。
そして、もうひとつ気になることがある。
私の隣で胸像になって寝ている、來さんのことだ。
「あはは……生きてたんだ」
「こっちのセリフですよ。二日もそのまま生き延びてたんですか?」
「もうすぐ死ぬだろうけど、ルディアちゃんに会うまではと思って…」
來さんの言葉にはもう、感情がない。
おそらく蛇帯と、あの中に潜んでいた幻想種が全てを利用し尽くしていることが原因だ。
「普通に血が出すぎて死にそうなんですけど…はは」
來さんは虚ろに曇り空を見上げていた。
「ねえ、僕もまた、あのときみたいに復活できないかな。社長さんの能力でさ」
「社長はアンタのこと、敵だと知っちゃってるし。それに、アンタ、まだ社長を友達だと思ってる?」
「分からない。友達に対して、どんな感情でいればいいのか。でも二人を見ていると、友達が存在することは分かる。それが僕は気に食わないんだ」
來さんは少しずつ、赤い雨に濡れていく。
「ねえルディアちゃん、未紅ちゃん、僕が地獄に行ったらさ、門の前で、ドレスさんになんて言えばいいと思う?」
「…まずは、話を聞いてあげてください。もう少し、彼の話を聞けば…」
「そうだね。それもそうだ。僕、結局ドレスさんが誰だか分かんなかったし……」
それから來さんは、空虚な瞳から、一筋だけ透き通ったものを流した。
「地獄では人を殺せるかな」
「殺される側じゃない?てか地獄ってみんな死んでるじゃん」
「それもそうですね……じゃあ僕、どうやって心を作ればいいのかな」
「他にやりたいことはないんですか? 欲しいものとか」
「そうだなあ。できれば僕にも、素敵な家族が欲しかったな……ルディアちゃんとか未紅ちゃんみたいに、素敵な親と、素敵な兄弟と暮らしたいんだ………」
來さんは息を引き取った。
私たちはそのあと、特に何か言葉を交わすことはなく、宇気比町を出た。
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