第■章:過去
僕には、記憶がある。
それは僕が小さい頃の記憶。
生きている記憶が。
漠然と生きていた記憶が。
僕は貧しい家に生まれた。それはもう、生きるので精一杯だった。
僕はそのとき辛かっただろうか。
いや、僕は幸せだった。幸と不幸を考えずに済むほど幸せだった。
僕の両親は人を殺していなくなった。金の欲しさに目が眩んだ結果だった。愚かだった。彼らは「お金を持っていれば幸せになれる」ことを知っていた。経験していた。だから、お金を持っていない現状を不幸だと感じてしまった。
そうだ。いつだってそれは、勝者の科白だった。「お金が欲しい」「実力が欲しい」「努力が功を奏す」「才能は覆される」「純潔である」「勤勉である」。
それは、常に勝者の言葉だった。
敗者にはスポットが当たらない。誰かを幸福にする、という高潔な理想さえ、恐ろしく気味が悪かった。
誰かのために生きるんだとか、自分はありのままに生きるんだとか、そんな幻想に憑りつかれた人が気持ち悪い。
こういうことはするなとか、こういう理由があってとか、価値観を擦り合わせている人が気持ち悪い。
でも僕が嫌っているのは、その個人個人じゃなくて、人という現象。そうしなければ生きていけない人の摂理が、最も嫌いだった。常に「自分は不幸だ」と思っている幸福な人々が許せなかった。
真の不幸とは何か、真の幸福とは何かを知っているのは、常に敗者の側ではなかったか。
「自由に生きたい」と思っている連中の脳の中には、仮初の夢想があるだけだ。真の幸福とは、何も知らないことだったのだ。真の不幸とは、人が自らの愚かさに気づかないことだったのだ。
だから、一度全てを終わらせる。人は常に幸福を自覚できない。不幸も自覚できない。それらしい言葉で生きている成功者を一掃しなければ。
自由と背反する「支配」と「征服」だけが、人の意識を幸福へと導くのだと、そう信じた。
僕は両親がいなくなった後、生活を保障された。そこで薄味の幸福に見舞われ、現実の愚かさに嗚咽した。
分からないだろう。分かられないだろう。それでも構わなかった。僕だけが分かっていればいい。誰も気づくべきではない。それに気づこうとしている人間さえ、成功者なのだから。誰かに心を寄せている時点で、共感というものを知っている時点で、程遠く”勝者”なのだから。
まずは施設の同級生の魂と皮質を用いて、「蛇帯」を生み出した。僕は幸福を忘却するため、その心を蛇帯に分け与えた。
そして僕は人を殺し続けた。成功者を殺し続けるのだ。失敗だけが残った世界がどれだけ美しいかを夢見ながら、僕は殺しを続けた。
”彼”に出会ったのは、僕が知り合いをほとんど全員殺し終わった頃だ。
彼はきっと、僕を選んだんだ。
自らの意志で選んだ。僕たちの利害は一致していた。
幻想種は未練。失敗した夢たちの末路。
地球を支配するのは、人でなくともいい。
でもきっと、失敗した夢の中でも「成功した失敗者」がいる。僕はそれが許せない。十分に幸せで成功した人間が、失敗者を気取っているのが許せない。
そうして無限に淘汰されていった先、いつか世界は平定される。
それが、僕の目的だ。
「二つの能力による相互作用が、殺人を動機づけてる」
私はそう解釈した。
蛇帯は邪心を吸い取る。しかし、邪心も心なのだ。あれは心を消費している。
心を取り戻すため、殺人を繰り返して邪心を湧き上がらせる。だがするとまた、蛇帯が邪心を吸い取る。
「呪縛ですか」
「僕はたしかに…囚われているのかもしれない。でも今更、どうしようもない」
「來さん、あなたの目的はなんです?」
「僕は人類に幸福を取り戻す。そのために、今からこの世界を終わらせる」
「そんなことでは取り戻せませんよ」
「やってみないと分かりませんよ」
來さんが霊符を取り出す。
「本当はいらないんですけど。こっちのほうが呪術師っぽいでしょ?呪術なんてほんとはないんです。僕の能力の派生例ってだけです」
來さん。
「さあ、僕をどこまで知るのでしょうか、水銀の魔術師」
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