第八章:漠現ノ幻想種=散蝶
「準備しましたよ~じゃーん」
朝の食卓上で、私がオーダーした“それ”がコップに入れられていた。
「どういう風に食べるのかと悩んだ結果、安易にコップに入れちゃったんですけど、合ってますか?」
「はい。ありがとうございます」
水銀で一服。
久しぶりの味だ。この特有の苦みが癖になるのです…良い子はマネしないでね。
「水銀って飲めるんだ…」
「いや、飲んじゃダメですよ。私たちが特別なだけです」
これで水銀魔術もあと数回分のストックを溜められた。
次の幻想種がどんなやつでも、確実に仕留められる。
「それで、次の幻想種なんですけどね、どうしましょうか」
「どうしましょうか、ってどういうこと?」
「実は、幻想種十三勇士は僕が既に5体捕獲していました。昨日ので6体目です。一方で、既に3体が他の何者かの手によって回収されています。おそらく夜波藍端らの仕業ですね。できればそっち側の奪還にも向かいたいわけですが、どうしましょうか」
「先に残ったやつを捕まえたほうがいいんじゃない?あたしたちは3人しかいないけど、向こうはたくさんいるんでしょ?もしあたしたちが奪還に向かったら、その間に残ったやつを捕まえられちゃって、結局もう一回攻め込まないといけないし」
「そうですね。でも、相手側も私たちがそう考えることを予期して、一刻でも早く回収に向かうのでは?」
「はい。なので…速いもん勝ちですね」
そうか。持っている6体、あっちの3体、残すは4体。
「あ、そういえばなんですけど。ドレスさんはどちらに?」
「ああ、ドレスさんですか。そうですね…何してるんでしょうね」
「え」
「あの人、何をしてるのかよく分からないんですよね。でもあの人のことだから、私たちの計画に関する何かをしていることは確かです」
「そういう感じなんだ」
「神出鬼没、って感じです」
ドレスさんか。彼の協力を仰げたらと思ったが、その様子だと無理そうだ。
「さて、行きましょうか。一刻も早く、ですよね」
今回は來さんも同行することになった。
「重力を利用した空気抵抗を無視した高速飛行…勉強になります」
「ただ、この文明の技術力で果たして重力を操れるかは分かりませんよ」
今回向かうのは、とある港町。
幻想種の名前は「散蝶」。特性は不明。
「着きました。ここですね」
訪れたのは四国沿岸の港町。さて、調査に入ろうか。
「未紅、何か見えますか?」
「今のところは何も見えないけどね…來さん、いそうな場所とか心当たりないの?」
「散蝶が本当に蝶なら、餌を求めて植物の多いほうに住まうはずですけどね。もう少し山の方向に行ってみますか」
そのときだった。
「うっ......痛.........」
未紅が立ち止まった。
「どうしました?未紅?」
「いや...ちょっと......目が...軌道が......」
「軌道?」
咄嗟に魔術眼を発動する。
「來さんも見えますか?」
「そういうの僕できないので、お二人を頼ることしかできないんです......」
ああ、見えた。山の方向に堂々といる。
魔術眼を通して見えるのは、巨大な黒い靄。
違う。未紅が目を傷めるほどの情報量、これは群れなんだ。
入道雲のように立ち上るあの黒い影は、細かく見れば全て蝶。
「あれが全部か…」
「蝶の群れですね。未紅ちゃん、行けますか?」
「直視しなければ、大丈夫よ」
― 水銀魔術、抽出開始。―
「僕は拘束を担当しますので、うまく削ってください」
「分かりました」
霊符が飛び回り、散蝶を覆い始める。
腰に巻かれた二本のベルトのうち一本を引き抜き、振り下ろす。
「祖の祈りに通ず。絞首の布布、赤く染まらんと」
霊符は溶解し、赤い液体へと変わっていく。その奔流が蝶たちを囲み、一種の網のようになっている。
「少しずつ圧縮していきましょうか。それに合わせて、爆発でもさせちゃってください。絞首の鮮血網は液体なので、爆発してもすぐ再生します。思う存分やっちゃってください!」
「任せてください」
― 汎用:爆発型。領域設定、確保。抽出量最大、インターフェース:指定空間、形式:球体。 ―
蝶の群れが爆散する。そしてその衝撃で飛ばされた個体は、絞首の鮮血網を通過すると同時に引き裂かれる。
「ナイスです!…ってあれ?なんか増えてないですか?」
「増えてる?」
確かに。私たちが攻撃したのとは関係なく、もともとから明らかに増殖している。しかもその速度は、この距離から目視で確認できる程度...。
「困りましたね……このままじゃ日本中あいつの生息地になっちゃいます」
「使いましょうか…水銀魔術、抽出開始」
右目の眼帯を外し、水銀を絞り出す。
「いてて…と。さて、未紅が戦えない以上は私たちがCDを投げるしかありませんが、あんなに遠くの相手に投げても届かないでしょうし。武器を使いましょう」
水銀の形状を変え、凝固させていく。
「二本のレールと電磁力の場を利用して高速射出する射撃兵装。こういうのを…」
「レールガンですか!」
言われてしまった。
「CDの穴にも水銀を詰めて…装填すれば、あの群れの中に吹っ飛んでいくはずです」
行け、射出。
ディスクは真っすぐ飛んだ。群れの中に確かに届いた。
光が見えた。
何の光だ?
成功か?失敗か?
視界を何かが遮った。
音が消えた。
凄まじい何かが、何かを打ち消している。
そんな中でも、はっきりと聞こえる声があった。
「危ねえじゃねえか」
黒い鎧。赤い鎧。兜から靡く金色の髪。
前に聳え立つその雄姿は、まるで私がかつていた世界の第一騎士のよう。
「せっかくバカンス楽しんでたのに…なぁ、なんかうるさいと思ってきたら、あんなデカブツをたった三人で世話しようだなんて、無理な話だ」
彼もまた、あの姿が見えるのか。
いや違う。彼は私たちとは違って、はっきりと幻想種を視認している。
「お前らみたいなやつを見てると懐かしく思うんだ。昔会ったことがあるような気がする。だから俺は守らずにはいられないんだろう。子供が戦っているのを見て、突っ立っていられる大人がいるかって話だ」
両手の槍を地面に突き立てる。
胸部の発光体が変形して、そして、光の炎が放たれる。
「あ」
騎士の男は振り向いていった。
「あれ倒しちゃいけなかったやつか。いたからやっちゃったけど」
私たちは三人とも唖然として、彼になんの言葉も返せずにいた。
「どうしたんだよ、黙ってちゃ分からねえよ。まあ、無事そうだし大丈夫か。ついてきな、きっとお前らが“喉から手が出るほど欲しがってるもの”が手に入るぞ」
男は兜を外した。
私たちよりもずっと年上の、隆々とした男性は、私たちに不敵な笑みを投げかけていた。
そしてどうしてか、彼は私たちの事情を既に知っているようだった。
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