第六章:飛障ノ幻想種=牡牛山ノ風見鶏①


 翌朝目が覚めると、既に未紅がいないことに気づいた。

「未紅ー」

 目を擦りながら閑とした部屋を出る。

 先から足音が聞こえる。どうやら二階にいるようだ。

「おはようございます」

「はい、おはようございます。朝ご飯ですよ。ルディアちゃんの生まれ故郷の食文化については詳しくないので分かりませんが、郷に入っては郷に従え、というわけで、日本の朝食を」

 米、味噌汁、魚。

 そういえば、いつの間にか随分言語が達者になった。知識の導入が完全に終わったのだろうか。目に入るものは理解できるようになった。

本音を言えば、ちゃんと全部終わってから転生したかったものだ。

「いただきまーす!」

「いただきます」

「はい、どうぞ」

 うん、おいしい。漁業は私の出身でも行われていたと聞くが、稲の収穫はほとんど無かった。スープに関しては、そもそも飲んだことがなかった。日頃から食に無関心だったからかもしれないが、こう機会があって食べると、多少の関心を惹く。

 食事を進めるにつれ、私は、食卓の上に並べられていないものに気づいた。

 私は來さんに声をかける。

「すいません來さん」

「はーい」

「水銀がないんですけど」

「え、水銀?飲むの?」

「はい」

「あ、飲むんだ水銀。まあ昨日見た感じ体内から出してたっぽいですし…でもごめんなさい……水銀はうちの台所にはないですね…」

「そうですか…」

 昨日の戦闘で一気に水銀を使ってしまったから、そろそろ補給しないと。経口補水銀も残り三本。一本は一昨日の戦闘で使ってしまったから…。

「今度買っておきますね、水銀」

「ルディア大変なんだねー。あたしなんてお米食べれば回復するのに」

「羨ましいです…」


 そこで、來さんが水を飲み干して話を始めた。

「さっそく今日、第一の指定幻想種を捕まえに行きます」

「おおー!初陣ね」

「どんな幻想種なんですか?」

「うーん、ドレスさんいわく『風の力を操るから風見鶏』ってことらしいけど」

「え?風見鶏って風が吹いたらそっち向くやつじゃないの?」

「はい、そうだと思います」

「風の力を操るから風見鶏って、なんか変だね」

「たしかに」

「僕の推測だと“見たほうに風が吹く鶏”なんじゃないかなって思います。逆的に、また別の意味での風見鶏」

「へえ。よく分かんないけどすごそうね」

「特徴が風なら、異常な風の軌道を見れればすぐに見つかりそうですね」

「僕の見込み通り、やはりルディアちゃんはかなり戦術慣れしてますね。頭の回転が速い」「そうですか?まあ、これでも魔術大隊の…」

 おっと。あんまり正体はばらさないように、と。

「指定幻想種って、大まかにどこら辺にいる、とか分かるの?」

「はい。僕の占術で、まあ、だいたいですけど…」

 占術か。占術とはあれか…観測魔術の呪術版か。

「そこまで行けたらあとは未紅の能力で見つけて、確保、ですね」

「あたしのCDを使えば捕獲は簡単ね。それじゃあさっそく行きましょ!」

 未紅が椅子から立ち上がって、意気揚々と一階に降りようとするのを見て、來さんが言った。

「あ、僕行きませんよ」

「え?」

「僕が直接行かなくてもいいようにお二人にお願いしたいんです。僕には他にやることがあって、幻想種の捕獲と並行して進めないと間に合わないかもしれないので………」

「そうなんだ」

「それと未紅ちゃん、CDを一枚貸してもらえませんか?」

「うん。はい」

「…どうも。それじゃあお願いしますね。期待してます」

 彼女は私たちににこりと笑いかけて、初陣を見送った。



 再び飛行魔術を使う。今回は急がなくてもいいようなので、前回よりも魔力の消費量が少ないように重力場を点在させながらゆっくりと移動する。

「來さんの言伝によれば、さっきの宇気比町から西側…関西方面ですね」

「おお、関西観光ってわけね!」

「観光する暇があるかは分かりませんけどね」

 などと明るく振舞いつつ、私にはかなり心配していることがある。

 まずは今回が初戦だということ。彼女が十三に絞った幻想種は、貴重なだけに強力でもあるはずだ。未紅のCDは当たらなければ意味がないから私が拘束する必要があるし、そのためには協力して相手の力を削ぎ落とす必要がある。

 それに関連して二つ目、私の体力が劇的に落ちているということも念頭に置かなければいけない。最悪のケースは、私が魔力切れを起こすこと。魔術師は光や音を除いたほとんどのエネルギーを使って魔術を行使するが、魔術が切れるということはすなわち体内に何もエネルギーが残されていないということでもある。つまり魔術師にとって魔術切れとは、死そのものを意味する。

 それだけは避けなくてはならない。私のためにも、他のみんなのためにも。


「着きました。ここら辺が來さんの言っていたポイントです」

「なんか山奥ね」

 見渡す限りの森。ここは山頂。人気は全くないが...。

「未紅、見えますか?」

「うん。ここからならよく見える。でも、特におかしな動きをしているものは見当たらないなあ…」

「うーん…もう少し下ってみましょうか。ここからだと遠すぎるのかもしれません」

「そうね」


 山を下りた先には、小さな集落があった。村とも呼べない小さな集落だった。

 遠くには来たものの、国は同じはずだ。言葉も理解できるには相違ない。

 だが、話しかけるかどうかは別だ。相手の素性も分からないままに話しかけるのは、リスクが大きいとも...。

「すいませーん!」

 間に合わなかったみたいだ。先に止めておくべきだったか。

 未紅は私が想定していたよりも遥かに早く、住人の家に入り込んでいった。フレンドリーと言うのか、危機感が無いと言うのか。

 家の中からは数人がこちらを覗き込んでいて、私と目が合うなり中に逃げ込んでしまう。

 「ルディアも早く来て!あたしたち、歓迎されているみたい!」

 その言葉を疑いながら、未紅に呼ばれて家に入る。

 そこは祭壇だった。

 村人たちが左右に並び、まるで私たちのために道が用意されているみたいな状況。

「ようにじゃないわ。本当に、歓迎されてるのよ!」

 まさか。

「旅人よ。こちらへ」

 正面、祭壇の前に座る老人が蝋燭の火に照らされている。暗すぎるとも言えない屋内で、ひっそりと顔を伺える。

「交渉ですか?」

「願い事じゃ。我々牡牛山の一族からの」

 牡牛山の一族。心当たりは全くない。この国にはまだ、族という言葉を使って集団を表現する概念が残っているらしい。国としての統一政策が進んでいないのか、それともその方針自体が無いのだろうか。

 老人は安心したような表情で言葉を綴る。

「我々は遥か昔、数千年以上昔からこの山の牡牛の神を信じ、そして救われると信じていた。幾度の戦を乗り越え、いつか予言に示された救世主がここへ現れると、そう信じていたのじゃ、ずっと」

 老人の表情を見て、私は唖然とした。

 泣いているのだ。

 神、予言、彼らからすればそんなに曖昧なもの、信じても意味があるかは分からないのに。

 否、それははなから、言葉自体が意味を持っていたものではなかった。私の故郷では既に失われていた、「救い」の概念がここにはある。

 その“信じていたもの”に今、涙を流しているのだ。

「そんな、おじいちゃん…泣かなくてもいいのよ、あたしたち、助けになるから」

「そうか……」

 私は魔術眼を使うつもりでいた。だがもう、その必要はないようだ。

「未紅、彼を信用できますか?」

「ええ。大丈夫」

 これで確実だ。

 私も、彼らに協力するとしよう。期待された救世主としての役割、この魔術で、確かに果たしてみせよう。

 そう思えたのは、きっと私が、以前よりも少しだけ賢くなったからだ。


 今日の間は休息を貰えるようだった。

 私たちは別の宿、草と木で組まれた小屋に招かれ、食事も用意してもらった。

「この野菜何かしら?見たことないわね」

「あっちの畑で取れた山菜です。しっかり煮るとおいしいんです」

 信用する、とは言ったが、念のため…うん。毒はない。

「それでは、いただきましょうか」

「うん!」

 ああ。美味しい。確かに美味しい。とても美味しい。

「あっちに干されてるのも全部この山菜なんですか?」

「はい。この村はお肉が食べられないので、この周辺に生えているものを使って料理しているんです」

「なるほど。私の故郷にも果実や野菜を主食とする人たちがいましたっけ…」

「お二人とも、どこからいらしたんです?」

「あたしたち、天国から来ました」

 こらこら。救世主の名を借りてジョークをいうのはやめておきなさい。

「彼女、未紅は東京から。私は…遠く離れた場所から」

「東京。以前、江戸から名が変わりましたよね?」

「以前って、結構前だけどね」

「そちらの銀色の髪の方は、海外から、ということですか?」

「そんなところですね」

「ルディアの故郷はどんなところだったの?」

 私の故郷か。うーん、出身と育ちの場所が違うけど。

「私が育った町も、未紅と一緒に行った宇気比町と同じ、山に囲まれた町でした。のどかで、美しくて…」

「いいわね、田舎町。都会は人も建物もいっぱいでうるさすぎるわ」

 故郷トークに花を咲かせ始めた辺りで、先の老人が小屋に入ってきた。

「どうかね。満喫してくれているかね?」

「はい。おかげさまで」

「そうかい。よかった。それよりもお二人とも、探しているものがあるんじゃないか?」

 未紅と目を合わせる。


「よかった。ついてきなさい」




 招かれたのは、鉱山だった。

 洞窟の中はかなり整備されているようで、住居も林立していた。

「かつて戦争があったときは、この中で暮らしていてね。その名残がまだ残っているんじゃ」

「戦争…」

「ああ。恐ろしかった。我々の集落は外界と断絶され、兵器や武器など持ち合わせてはおらんかった。だからここに逃げることしかできなかったのじゃ。そして神は、そんな我々を守ってくれていた」

 鉱山の最奥、連なる鍾乳洞を越え、大きく広がった空間があった。

「あの小屋にあった祭壇とは違う、真に神が宿った場所。それがこの場所、“簒奪界”じゃ」

 最奥は開けていた。それも、これ以上ないくらい、あの集落を遥かにこえ、宇気比町まるまる一つ分ほどもある空間。

 洞窟の奥であったはずが、天井は崩れ、太陽の日が差している。

 そして何よりも目を引くものは、ここが簒奪と呼ばれる所以であるそれら。

「この残骸は?」

「戦時中、敵国がこの山々を焼き払おうとしたことがあった。無数の爆撃機が空を舞う中、神は目覚めた。その神風は空を裂き、機械の傀儡の悉くを撃ち落とした。多くの命を奪った死の領域じゃ。何人も入るに能わず、数十年の間放置されていた場所。ここを清めることができるのは、現れた救世主のみ」

「ちょっと待った。救世主の予言を残したのは、一体誰なの?」

「それがわしらにも分からないのじゃ。いつの間にか、我々の共通の記憶として『次にここに現れた人間が神を鎮める』と刷り込まれておった。だがそれこそ神の奇跡、何か意味があるに違いないと思った」

「うーん…謎は多いけど、やらなきゃいけないことは変わらないわ。ルディア、行きましょう。おじいちゃんは離れてて」

「いいや、わしも見届けなければ。見届ける責任が…と、おわっ」

 ふう。申し訳ないが、無理やりにでもご退場願おう。

 既にこの先から、危険な雰囲気が漂っている。人が簡単に殺されてしまうほどの。

 まさしく、死を以て死を生む地獄。

「では未紅、行きましょうか」

「うん。さっきから軌道は見えてるわ、そこにいる、ずっと飛んでいるやつ!」

 魔術眼、解放。



 さあ、早めに終わらせてやろう。


 第一の幻想種、牡牛山の風見鶏。

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