第四章:門出②

 水銀魔術。

 それは先祖から受け継がれてきた「血統魔術」の一種。

 魔術には限界がある。風を操ることはできるが、それは決して空気の分子ひとつひとつに力を加えているわけではない。もっとマクロな単位での話だ。

 だがそれにも例外が存在した。私たちの場合は、そのイレギュラーこそが水銀。水銀であれば、原子ひとつひとつに力を加え、移動から状態変化まで自由自在。

 水銀は常温で液体であるためとても扱いやすいし、生物にしてみれば強い毒性がある。原子単位での水銀操作であるため味方に想定外の影響が出ることもなく、水銀を確実に手中で支配できる能力は、魔術全体で見ても非常に強力だ。

 それ故、我が家系は「ウィザード・マーキュリー」と呼ばれ、「太陽王」に仕える宮廷魔術師としての使命を受けている。



 私は、そんな水銀魔術を何よりも嫌った。



「……!」

 幻想種の粉砕、即ち物理的に砕くこととは、構成しているものを削り取ることだ。だが幻想種は実体を持たない、言わば「純エネルギー存在」。故に魔術を用いて裏世界へ転送し、上手く扱えれば魔力に変換できる。

 しかし幻想種のような膨大、異質なエネルギーを裏世界へ送るのは、他の一般的なエネルギーを送るのとはわけが違う。幻想種を構成するエネルギーは他の一般的に言われるエネルギーとは区別され、「イマジナリーエネルギー」と称される。

「ルディア、あたしにできることは?」

「今は応援してくれているだけで大丈夫です」

 それより、この幻想種、思っていたより強力じゃないか?

 やはり杖が普段使っているものとは違うからか。性能もそうだが、そもそもの性質が違う。本来全く異なる種類の魔術を使うための杖だったのだろう。私とはあまり相性が良くないようだ。

「うーん…そうだ、くらえっ!」

 何をしだしたのかと思って振り向いてみた。

 すると彼女は、持っていたCDの一枚を幻想種に投げつけたのだ。

 CDは幻想種をすり抜けて通過すると思われた。しかしCDは空中で静止し、その場で落下した。

「未紅、もしかして…」

「うん。軌道はもう見えない」

「私もです。そこには何もいない。つまりは…」

 CDの中に保存されたというのか?

 なんてことだ。今までさんざん苦労して粉砕してきた幻想種。粉砕、浄化以外にも「保存」という対策があったなんて。

「これどうしよう。一応持っとこうか」

「うーん…。そのCDから逃げ出すことはないんですか?」

「たぶんないよ。昔はよくバッタとか捕まえて入れてたし」

 そうなんだ…。

 それなら、しばらくは入れておいても良いか。そんなことより、そのCDの仕組みを解明したい。あれも裏世界に繋がっているのだろうか。

「さーて。一仕事終えたし、ご飯といこうじゃない!」

「はい。朝ご飯もまだですし、行きましょう!」





 あっという間に日は暮れた。

 この町でただただのんびりと過ごしてしまった。未紅しかお金を持っていないため満足はしきれなかったが、非常に充実した一日だったことは事実だ。

 すると未紅は、またあの山のほうを指差して言った。

「ねえ、また行ってみない?」

「今夜もですか?」

「あそこなら人目につかないからのんびり寝れるし。あと、もうひとつ疑問に思うことはない?」

「疑問、ですか」

「“幽霊船は何隻あるのか”」

 まるで探偵のように、人差し指を立てて自信満々に言った。

「幽霊船が一隻しかないなんて誰も言ってない。もしかしたら、他に何か分かることがあるかも!」

「…まあ、言われてみれば。行ってもいいかもしれませんね」

「わーい!」

 何が嬉しいのかはよく分からないが、今夜もまた赴くとしよう。



 昨夜と同じようにテントを張って、寝る支度をする。

「いいよ。準備はあたしがするから、ルディアは幽霊船が来るかどうか見てて」

「本当にいいのですか?」

「いいってことよ」

 未紅が親指を立てて笑ったのを見て、私もつい笑みを零した。

「いやぁ、ここは星がよく見えますね」

「本当だね。東京だとぜんぜん見えなかったのに」

 はあ、と息をつく。未紅と一緒にテントの外に座る。

「なんか遠くに来ちゃったね」

「帰りたいですか?」

「うーん…あんまりかな。思い入れがあるわけでもないし」

「公園での仲間たちは?」

「あいつらはあたしがいなくても、自分の力だけで生きていけるよ」

「未紅がいないと悲しむのではないでしょうか?」

「悲しむ?そんなのあたしには分かんないよ」

 未紅の顔は笑っていた。

「分からないことばっかりなの。あたし、みんなより知らないことが多すぎて」

「そうですか?」

 私には、彼女の真意を汲み取ることができない。

「私は、世界のいろいろなことを知ってきたつもりです。でもこの世界にはきっと、私の知らないことがまだまだたくさんある。そしてそれを知っていくことはきっと“楽しいこと”なんだって」

「そうかな。知りたくないことのほうが、世の中いっぱいあるよ」

 輝く星の隙間を縫って進む線があった。

「だからあたし……ってあれ、幽霊船じゃない!?」

「本当ですね。こっちに来ます」

 幽霊船はまた昨日と同じ場所に着陸した。

「入ってみますね」

 私がまた船体を壊して中に入ろうとしたとき、私の服と船の破壊跡が擦れた。

 そして同時に悟った。

 私は今まで、この見た目から、この船は木で出来ていると思い込んでいた。

 だが質感はまるで違う。それは布のよう。

「さらさらしてますね」

「うん。うん?」

 未紅が人差し指を口に当てる。

 誰かがいる。

 私たちは足音を殺して中へ進む。ここで私たちが危険を冒してまで進むという行動に移ったのは、これ以上なく単純な「子供の好奇心」というやつのおかげだ。

「あ、あの…」

 声がした。

 それは船の中ではない。

 私たちは振り向いた。

 すると、私たちが空けた大穴から誰かが私たちを覗き込んでいた。

「あの…何してるんですか?」

「いいいいやぁ、こんなところに船なんて珍しいなって思って」

 未紅が強引にごまかそうとしている仕草に全く疑う様子もなく、覗き込んでいる誰かは私たちに手を招いた。私たちも従って船から出る。

「この船、ご存じなのですか…?」

「はい。昨日も見たので」

「そうですか…ふふふ、この船、“能力者”にしか見れないし入れないんですよ」

「そうなんですか~」

「はい…僕が作ったので…」

「へえ…って、ええ!?」

 図星だ。全部正解だ。

 彼の予想は全て合っている。

 私たちに手招きしたのは、茶色の短髪、スーツを着こなした若い男性。声に覇気は感じられないが、彼の言葉のひとつひとつは、私たちにとってはかなり効果的だった。

「あの船に入っていたということは、能力者で間違いないはずですよね…僕の術に間違いがなければ…」

「間違っていたのかも!」

「そ、そうかもしれませんが…いえ、僕だけで作ったわけではないので、大丈夫のはずです!」

 彼は私を見た。

「あなたは…あなたは、僕とは少し違った力の持ち主みたいですね」

「私ですか?この世界にも結局“能力者”ばかりというわけですか」

「そうでもありませんよ、ええ。なぜなら…簡単です。はい」

 彼は爽やかで柔らかな笑顔を浮かべて言った。


「僕が殺して回っているんです。なので…大丈夫ですよ」


「いやいや、大丈夫じゃないって!」

 未紅が叫ぶ。

 いや待て。この状況。確実に私たちは狙われている。

「どうしてこの船に手を出したかは知りません。でも、僕たちの敵であることは間違いないみたいですね」

 彼は腰に二つ巻いていたベルトの片方を引き抜いて、鞭のように唸らせた。

「子供相手はかわいそうですが…これも幸せのため、覚悟―っ!」

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