第一章:この太陽と共に②

「ふう」


 少女は息をついて、私の横に座った。


「買ったのに取らないの?」


「…あ、そうですね」


 私は機械から円筒を取り出した。


 私がしばらくそれを眺めていると、野球少女は呆れながら、


「貸して」


「はい」


 彼女はその円筒の底についていた板を器用に回し、きれいな穴を開けた。


「すごい……」


「あんた缶ジュースの開け方も知らないの?あとそれエナドリだし…どんなとこで育ってきたわけ?」


 正直なことが言えず苦笑いしていると、彼女も気遣ってくれたのか笑って“缶”を渡してくれた。


「ありがとう」


「夜中に一人で歩くと危ないわよ」


「あなたこそ一人で…」


「いや、あたしは」


 野球少女が後ろを振り向くと、実はその背後の闇の中には、相手側と同じように、何人もの屈強な男がこちらを見守っていた。


「ギャングみたいでしょ。あたしが集めたのよ」


「集めたんですか?」


「うん。“これ”でね」


 少女は自分の肩を叩いた。


一見、少女が一人で勝てるような相手ではないが…。


「喧嘩慣れしちゃったのかもね。あと」


 少女は声のボリュームを落とした。


「あと、昔から変な“線”が見えるのよ。動く物体がこれから動くであろう未来の軌跡を、色のついた光みたいなふうにして。これのおかげでケンカじゃ負けなしよ!」


 自慢げに語る姿は、私と同い年の少女さながらといったところだろうか。


「って、変な話よね。ごめん、今の忘れて。それじゃあ、あたしたちはここで」


「はい。ありがとうございます」


「いつでもここいるから。それじゃ」


 私は少女と別れ、今晩はひとまず公園で寝ることに決めた。








 翌朝。突然私は、この世界の言語を理解できるようになった。


 前日までは読むことさえできなかったのが、発音までできるようになったのだ。まだ名詞の意味までは完全に理解できないが、ある程度の会話は成立しそうだ。


 そういえばあのとき会った紫髪の男が、情報を封入したと言っていた気がする。


 それが時間を置いて機能し始めたのだろうか。聞いたところ、私が昨日見ていたあの物体は自動販売機というらしい。それで、昨日買った飲み物には糖分とカフェインのほか多くの成分が含まれていた。個人的には好きな味だった。ただ他の飲み物よりも値段が高いのが考え物だが。


 さて、今日から私は理由もなく旅をし続けなければいけない。


 私はひとまず道路に出た。道路には4つの車輪がついた乗り物が走っている。中に入り、ハンドルを使って操縦するみたいだ。私の世界の乗り物といえば「スレイジ」で、車輪はなく、魔力線が埋め込まれた道路とスレイジが、それぞれが持つ正負の魔力価に引き合って、その引力と斥力を利用して走行していた。あとあの乗り物は完全に箱型であるが、私の世界のものにはない。あれでは外の景色が見えにくそうだ。鏡を使って死角を無くそうとしているようだが、もっと他の手段はないのだろうか?


あの路傍に立つ複数色に点灯している機械は、この世界の交通整理におおいに貢献しているみたいだ。色の識別。確かに聴覚に訴えるよりかはよほど効果的だろう。それでも不完全な気がしてならないが。


それより、この世界の人々が揃って持ち運んでいるあの薄い機械はなんだ?モニターがひとつついていて、それ以外の構造はここからだと見当たらないが…。


「聞いてみるか…」


 私は道行く若い女性に声をかけた。


「すみません。野暮な質問かもしれないのですが、その…異郷の地からここに来まして。その手に持っている機械はなんというのですか?」


「…これのことですか?スマホですけど」


「“すまほ”。何に使うのでしょうか?」


「まあ、いろいろするよ。電話したり、音楽聞いたり、動画見たり、ゲームしたり」


「ゲーム?その機械でどうやって遊ぶんですか?」


「この中にアプリを入れればできるけど」


「あ、アプリ…とは……」


 会話はできるが、固有名詞が多すぎて全く分からない。


「そのスマホは、どこで買うことができるんですか?」


「ケータイショップとか行けばあると思うよ。ここらへんだと…」


 女性は画面に表示された地図を私に見せた。


「ここ、分かる?」


「この辺りの地形には疎いのですが…向かってみます。ありがとうございました」


 私はそのケータイショップという場所に向かうことにした。






 歩いて20分ほど。


「ケータイショップと思わしき場所。展示されているのもおそらくすまほ」


 今思えば、どうしてあの男は、こう不完全な情報しか与えてくれなかったのだろうか。すまほはおそらく一般的に流通しているだろうし、それくらいは教えてくれても良いのではないだろうか。


 とりあえず入ってみる。


 展示されたすまほを眺めていると、あることに気づく。


 高い。値段が高いのだ。


 私の所持金では到底買えない。負けてもらえるだろうか。


「うん…」


 私は後ずさりしてお店を後にした。






 空腹に襲われた頃。


 偶然にもこの辺りは飲食店も多いようで、適当に入れば何か食べられそうだ。


 あの自販機の飲み物の値段から推察して、量さえ気をつかえばお金が足りないことはないだろう。


 私の祖国にも飲食店はあったので分かる。ここは喫茶店だろうか。メニューを見てみても何が書いてあるんだかよく分からない。


「すいません、店員さん」


「はい」


「こ、あ、なんでもないです。コーヒーをひとつ」


「かしこまりました」


 話すときに名詞の前に「この」とか「というものを」とつけるのをやめよう。


 昔外国語を習っていたときにも、よく分からない名詞は前に「この」や「というもの」をつけて伝えようとする癖がついていることを自覚したが、この日常にいち早く馴染む、馴染むふりをするためにも、言葉遣いには気をつけよう。


 注文の品が来るまで、私は今後の生活について考えていた。


 寝床はあの公園でも十分だが、お金は増やさないといつか尽きる。


 働かなければいけないか。あの男が言うに、「魔術のない世界」らしいが、先日の夜の件を鑑みると異能の力を持っている人間はいるらしい。そっちのほうは一般的なのだろうか。スマホと比べてみて。


 もし本当に魔術のない世界なのであれば、手品師として大成したかもしれない。


「お待たせしました。ホットコーヒーのブラックでございます」


 熱そうだ。


「ごゆっくりどうぞ」


「どうも」


 そこまで待ってないが、気にしないでおこう。この世界なりの気配りなのだろうか?謙虚で素晴らしいことだ。


 せっかくだしゆっくりしよう。就職先はどうしようか…。


 水銀を使って何か作れば商品として売れるだろうか?


 いや、いっそのことこの魔術そのものを芸にすれば……。




「いや」










 公園に戻ってきた。


 突然、何もかもを忘れたくなった。


 私はどうして、ここまで来たんだろう。


 ここにいるんだろう。


 なぜ二度目の生を受けたんだろう。


「私は」


 私は。


 私は、何を理由に生きていけばいいんだろう。


 そんなもの、誰かから与えられないと分かっていても。


 何かに寄り添いたかった。


「あ、昨日の」


 声をかけられて、私は振り向いた。


「やっほー。まだいたんだ。危ないって言ってるのに」


「ここ以外、いる場所もないんです」


「何?家出?」


「違います。なんと言えば…」


「まあ、言えないことなんて誰にでもあるよね」


 少女は私の隣に座った。


「今、いくつなの?」


「14です」


「同じだ」


 少女は笑った。


「あたしも家出したんだー。いろいろあって。いやなことって誰にでもあるけど、やっぱり一番いやなことって、“意味が分からないこと”だと思うんだ。」


「そうかもしれません」


「何、敬語じゃなくてもいいよ。同い年だし」


「でも、お名前を知りませんし。友達でもない…ので……」


「友達ってさ。そんなに大層な関係性じゃないよ。あたし、加々野未紅。ヨロシク」


 どこにでもいそうな少女だった。


 だが、どこにでもいる少女ではなかった。


「それで、行く当てもないの?」


「はい。まあしばらくはここでいいかなって思ってます。以前もこんな感じなことありましたし」


「以前もって、どこで育ったのさ」


 すると少女は、自販機の方を指さした。


「買おっか?」


「え?」


「おごるってこと」


 彼女は自販機に駆け寄り、慣れた手つきで飲み物を買った。


「昨日これ買ってたよね。健康には悪そうだけど、たしかにおいしそう。今度買ってみようかな…」


「未紅さんが持ってるのは?」


「ただのコーラだよ」


 未紅さんはまた私の横に座って、プラスチック容器の蓋を開けた。


「それ……」


「これ?ペットボトルだよ。ほんとに何にも知らないの?」


 プラスチックの容器に飲み物を入れる文化はなかった。


「じゃあ何に入れてるの?」


「これです」


 私は経口補水銀を取り出した。


「何それ?」


「必需品です」


「金属でできてるの?ちっちゃい容器…」


 大きさを表現すると、長さ厚み含めて人差し指くらい。


「不思議な場所から来たんだね…もしかして宇宙人?」


「うーん…分からないです」


「分からないことないでしょ」


 私たちは時間を忘れて語り合った。


 分かり合えないことが多いからこそ、いろいろことを話すことができた。


「明日もここ来るの?」


「ええ、まあ、他に泊まる場所がなければ」


「そっか。風邪ひかないようにね。それじゃ」


 そう言って突然別れを告げられた。


 明日も会えるだろうか。








 明日は明日の風が吹く。


 だから特に何かを考えるわけでもなく眠る。


 たいていなんとかなるものだ。








 そんな目新しくも馴染みある日常を送っている私だった。






 私は、今まで何を考えていたんだっけ。










「この新しい太陽とともに」


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