第31話 恭子31

 ふと目が覚めた。


 部屋が薄暗い。

 自分がどこで寝ているのかわからなかった。


 かたいシーツの感触とベッドの周りにあるカーテンで、ここが病院であることを思い出す。


 お母さんとの電話のあと、部屋に戻りベッドに入ったのだ。


 きっと眠れないだろうと思っていたのに、すぐに眠りに落ちてしまったようだ。

 自分が感じている以上に疲れていたのかもしれない。

 それは、そうだろう。

 いろいろなことがあった。


 目を閉じると、まだあの廃校にいるような感覚がする。

 身体がざわざわした。

 けれど、深呼吸をして自分を宥める。

 人間ではなくなってしまったなんて、これ以上の悪いことは起こらないだろう。少なくても今夜は。

 そして、その悪い状態も、最悪ではない。


 そのとき、窓の辺りから何か物音が聞こえた気がした。きっとその気配で目が覚めたのだ。

 私は身体を起こすと、耳を澄ます。近くに誰かがいるのかもしれない。

 すると、控えめに、窓をノックする音が聞こえた。


 私はベッドからおりて、窓に近づく。

 予感はしていた。だから恐怖感はなかった。


 カーテンを開ける。

 窓の向こうに涼子が立っていた。

 立っていたはおかしいか。おそらく足場になるようなものはないはずだ。


 涼子は笑って、私に小さく手を振る。

 あたたかい気持ちが胸に溢れてきた。ほっとした気持ちと泣きたい気持ちの両方ともがそこにはあった。


 これは友人に対して湧き上がる感情ではない。

 そうか、会えばわかると聞いていたけれど、これがそうなのだ。

 もしかしたら、両親に対してですら、ここまでの親愛の情を抱いていないかもしれない、そう思ってしまうほどだった。


 顔を合わせたら怒りたかった。それなのに、これでは怒れない。


 窓を開ける。ストッパーがあって、ほんの十五センチほどしか開かなかった。

 夜の香りが流れ込んでくる。


「久しぶり」


 私がそう言うと、涼子は「そうでもないよ」と答えた。


 そうだったっけ? もう随分と会っていなかった気がする。

 涼子を探して、奔走していたからだろうか。なんだか会いたかったのは私だけのようで面白くない。

 いや、そうではない。

 私たちはあの夜、廃校で会っていたのだ。私がちゃんと認識していなかっただけで。


「入っても良い?」


 涼子が尋ねる。

 吸血鬼が吸血鬼に入室の許可をするというのも変な話だ。

 迷ったけれど、「どうぞ」と私は答えてベッドのほうまで下がった。


「ありがとう」


 涼子は笑って、窓の隙間から入ってくる。

 どう考えても人が通り抜けられる隙間ではないのに、ずっと見ていても違和感なく入ってきた。


 窓枠からそっと床におりる。

 音はしない。

 艶やかな髪とスカートが優美に広がる。

 外からの微かな光で、涼子のまつ毛が煌めいたように見えた。

 それがはっとするほど美しかった。


 ずっと探していた。

 なんで何も言ってくれなかったの。

 みんな心配してるよ。

 あの毎日は不満だったの?

 言いたいことが浮かんでは、口にする前に消えていった。


「どうしてここに?」

「うん。恭子が探してるって聞いて」

「そうだよ」

「何も言わずに家出しちゃったし」

「うん」

「一昨日のこと、あまり覚えてないでしょう?」

「うん。もしかして、こういった話をそのときした?」

「していないよ。大丈夫」


 本当だろうか?

 涼子は優しい目でこちらを見ている。私は目を合わせていられなくなって、涼子の足元まで視線を下げた。


 素足にサンダルを履いている。

 指にはペディキュアが塗られてあった。暗くて色はわからない。


 涼子はこんな服装をするタイプだったっけ?

 私の知らない時間が流れている。

 まるで恋人に対する嫉妬みたいだ。

 おかしくなったので少しだけ笑う。


「どうしたの?」

「なんでもない」


 また涼子のほうを向く。


「これからどうするの?」

「そうね。まだ、わからない」


 少しだけ不安そうな顔をしたように見えた。


「もうそろそろ行くね。実は人を待たせてるの」


 涼子はそう言って、また窓の外へするりと出ていく。


 私は動かないで、その姿を見ていた。

 何故だろうか、引き止めようとは思わなかった。

 好きなように生きてほしい、そんな気持ちになっていた。


「好きな人と一緒にいるんでしょう?」


 最後にそう聞いてみる。

 涼子は悪戯っぽく笑った。

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