第30話 恭子30
まだ生きていた。
でもそれがかろうじてだということが、ここからでもわかった。
無理だろう。周囲の人も、そして救急隊の人たちもそのことはわかっている。けれど諦めてはいなかったから、私も命を繋ぎとめられるようにと願った。
用意された薄手の毛布を羽織り、アザミさんに連れられて校門から外へ出る。
何台もパトカーがとまっていた。
野次馬は見当たらないから、少し離れた大通りで規制線が張られてあるのだろう。
アザミさんが制服を着た警察官に声をかけて、私たちを示す。その人の運転で病院へ戻ることになった。
「明日には桔梗が話を聞きに行くよ。それまでは病院にいてほしい。ご家族が心配するかもしれないが」
車の外からアザミさんにそう言われる。
「うちは大丈夫です」
まだそんなに遅い時間でもないし、病院で連絡をすれば大丈夫だろう。
アザミさんは次に理玖くんに顔を向ける。
「森咲トオルくんはすぐに帰ってくるよ」
「はい」
「今日か、明日か。まあ、どちらにしても夜になるだろうけれど」
「はい」
あのあと森咲さんと神様がどうなったのか、警察側は知っているということか。
単なる話し合いという雰囲気ではなかったから、きっと戦闘になったとは思う。外で行われたのなら、目撃くらいはしているのだろうけれど。
森咲さんが今どこにいて、どんな状態なのか、簡単にでも教えてくれたら良いのに。
アザミさんはその話はせずに、「出してくれ」と運転席に言った。
病院に着くと、眠っていた理玖くんを起こしてパトカーからおりる。
あまりにも眠そうなら抱っこをして病院に入ろうと考えていたけれど、目が覚めた理玖くんは元気に私たちを案内してくれた。
救急の入り口で、運転してくれた警察官とはわかれた。
私のことを監査するために一緒に来たのかと思ったが、違うらしい。
通路を進みエレベーターホールまでくる。
建物内のそこかしこで人が動く音がしている。
もっと集中すれば、どこに何人いるのか、そういったことが分かりそうな気がした。でも、遠くの人の気配を四六時中感じるというのは、ノイローゼになってしまいそうだ。街中でも学校でも絶えず人は動いているのだから。
そっとため息をつき、それから出来るだけ集中しないようにした。そうすることで、聞こえていた音が気にならない程度にまで小さくなるようだった。
これは訓練次第ではスイッチのオンオフができそうだ。
パトカーの中でも、そして今も、誰かを襲って血を飲みたい、という感覚はまったくない。お腹が空いていないせいかもしれないが、これにはほっとした。
理玖くんは迷子の状態でも血に反応したと言っていたから、吸血鬼になったことで自分の意思とは無関係に人を襲ってしまったらどうしようと不安だったのだ。
耳が良くなったり、傷が早く治ったり、ジャンプ力が上がったりなど、自分にとってはおおむねプラスの変化しか感じていない。
これなら、うまくやっていけるかもしれない。これから先の生活も。
そんな希望が、少しだけれど、私の心を明るくした。
けれど、理玖くんの病室に着いたときだった。
理玖くんはスライドドアを開けて、先に中に入った。私も続こうとした。
身体が動かなかった。
どうしてなのか理由はわからない。
ここには入ることができない。
わかるのはそれだけだった。
理玖くんの背中とベッド、奥に窓が見えた。
目の前でスライドドアが閉まる。
招かれていない家には入ることができない。
確か、そういった特徴が吸血鬼にはあった気がする。
創作だと思っていたけれど、ちゃんと事実に基づいているのかと、妙に感心してしまった。
すぐに気づいた理玖くんがドアを開けてくれる。
目があった。
私は恥ずかしくて笑う。
理玖くんは迷うような目を一瞬したけれど、それを隠して明るい声を出した。
「恭子さん、入ってください」
その言葉一つで、私はすんなりと部屋に入ることができた。
ナースコールで看護師さんを呼ぶ。
それから交代でシャワーを浴びた。その間に私の部屋が用意されたので、理玖くんにおやすみの挨拶をした。
廊下に出たところで、お母さんに電話をすることを思い出した。看護師さんに話すと、小銭を貸してくれた。
談話室にある公衆電話へと向かう。
消灯時間を過ぎているため、照明はついていない。自動販売機と窓の外からの光だけだった。
公衆電話の掛け方は知っている。
携帯電話の番号は覚えていないので、固定電話の番号にかけた。
何回かのコールの後、お母さんが出る。
余所行きの声だった。
今事情があって病院にいることと、怪我はなく元気であるのことを伝える。
「あなた帰ってきたら、その事情とやらをちゃんと全部話すのよ?」
話せるだろうか? 全部は無理かもしれない。
「努力します」
「頑張んなさい」
お母さんは笑って電話を切った。
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