第22話 恭子22
手に温かさを感じた。
理玖くんだ。
私の手を握って、身体をぴったりとくっつけてくる。
子供はたまにびっくりするほど距離が近い。でも嫌な気持ちにはならない。
理玖くんは私をきっと心配して来てくれたのだ。
身体から力が抜ける。知らないうちに力が入っていたみたいだ。
桔梗さんの電話も終わったので中に入ることになった。後輩さんも一緒に。
後輩さんは不可思議な存在に興味があるのだから、チャンスがあれば会いたいだろう。
大人二人は断らなかった。
森咲さんと後輩さんは面識があるはずだけれど、特に会話はなかった。
森咲さんはスタッフだったのだから覚えていないのはわかる気がする。でも後輩さんは確実に覚えているはずだ。森咲さんの存在は後輩さんから聞いたのだから。
親しくしていたような口ぶりだったから、久しぶりに会ったのなら何かしら会話があると思っていたけれど。
最初に入った校舎の二階へあがり、渡り廊下で隣の校舎へ、そしてまた階段をおりる。
渡り廊下の出入り口が少し分かりづらくしてあった。
前に森咲さんと理玖くんを見失ったのは、このためだったのだ。私は出入り口を見つけられなくて、最初の校舎をずっと彷徨っていた。
そこであの二人に会ったのだ。
笑い顔の人と無表情の人。
あれからいろいろあったせいでまだそれほど経っていないのに、随分と昔のように思えた。
途中の教室には、たくさんの人が集まっているのを見た。
騒がしくはないけれど、みんな静かに興奮しているようだった。
メールで呼ばれた人たちなのだろう。
見知った人はいなかった。主さんも、あの女の子も、そして涼子も。
公主の部屋に到着する。
森咲さんが扉をノックした。すると低くて良く通る声が聞こえた。
中にいるのは、あの夜に見た男の子を想像していたから少しどきりとする。
扉が開き森咲さんが部屋に入った。続いて後輩さん。次は私。
緊張しながら足を踏み入れる。
壁一面の本棚と大きな机、その向こうに男の子がいるのが見えた。さっきの声の主が見当たらない。
そのとき目の前の後輩さんが大きくよろめいた。
何かが床を転がる音。
私は咄嗟に身体を支えようと手を伸ばす。森咲さんも振り返って受け止めようとする。
けれど後輩さんは私たちを避けて床に転がると、そのままの勢いで身体を起こした。
綺麗な身のこなしだった。
すぐ次の行動へ移せるような。
私は何もできないまま伸ばした手を引っ込めようとする。
目の端を黒い影が動く。
一番後ろにいた桔梗さんがみんなの前、公主に一番近い場所まで走ってくる。入れ替わるように後輩さんが後ろに下がった。
そこで公主の背後に人が立ったことに気づいた。
ヘルメットにバイザー。防弾チョッキ。
SATとかSITとか、おそらくそういった部隊の格好に思えた。
そこまで大柄ではないが、重々しい装備のせいで存在感が大きい。
あんな人がいたなら、真っ先に目に入ったはず。でも気づかなかった。
ならば、この人はいきなり部屋に現れたことになるのだろうか。
公主は小さな両手を上げていた。まるで凶器を付けつけられているかのようだ。
それでも顔は愛らしい笑みを浮かべている。
「そうだよ。僕がきみらが言うところの三月うさぎ。こんな大袈裟なことをしなくても、普通に会いにきてくれて良かったんだよ。まったく、床が汚れてしまった」
背後をとる人物に声をかけられたらしいが、こちらにその声は聞こえなかった。
「でも、きみにはずっと会いたかったんだ。バックドアくん」
バックドアくん。
公主はその人物をそう呼んだ。
そして、まるで扉をノックするかのように机を叩く。
それから、二人で会話をし始めた。始めたのだと思う。相手の声が聞こえないため、私には公主がひとりが喋っているように聞こえたけれど。
蚊帳の外のまま公主の、低く響く大人の男性の声を聞いていると、ふいに公主の瞳が私に向けられた。
不思議な目だった。深い青色のところどころに金色や紫色が煌めいていた。吸い込まれそうだ。心がざわざわする。
「きみたちは用があってここに来たんじゃないのかな?」
そうだった。
私を吸血鬼化させたのは、公主か否か。それを確認しにきたのだ。
会ったらわかるのだと言われたけれど、正直、なにもわからなかった。
森咲さんに視線を移す。
こちらも同じだった。
感じることといえば、魅了と恐怖だろうか。
理玖くんと森咲さんは、まるで親子のような親密さがあった。
それとは違う。
「あの、自信はないけれど、違うと思います」
私がそう言うと、私たちを庇うように立っていた桔梗さんが、公主に丁寧にお辞儀をする。
「公主、いきなり大勢で押しかけて申し訳ありません」
「構わないよ」
「失礼ついでに一つだけ。この学校に公主以外で、本物の吸血鬼はいらっしゃいますか?」
「いないよ、今はね。いればわかる」
「では、今じゃないときはいるのですか?」
「日本語がおかしいよ……どうだろう。僕がいないときに誰がいるかなんて知らないよ。ここはもう僕の家ではないし」
「そうですか。それが確認できれば我々はここでお暇を」
「待ちたまえよ。こちらの用が済んでいない。きみもだよ」
最後の言葉は背後に立つ人に向けられていた。
きっとこのバッグドアと呼ばれた人物は、私の答えによっては、そのまま公主を確保するためにここに来たのだろう。
答えを確認できたから離脱しようとして、おそらく公主に阻まれている。
遠くから誰かがこちらにやってくる足音が聞こえてきた。
細いヒール特有の硬い音だ。
その足音はこの部屋の前で止まった。
ノックされたけれど、公主も誰も返事をしなかった。
ゆっくりと扉が開くのを、全員が見つめる。
現れたのは女性だった。
はっとするような美人で、唇の端にあるほくろが色っぽい。
女性はみんなを一瞥したあとで、まっすぐに公主のほうへ歩いていく。
着ているワンピースが血で汚れていることが、通り過ぎるときにわかった。ヒールを履いているにしても背が高い。
見覚えのある顔立ちだ。
メイクをしていてもわかる。
あの日ここで会った無表情の人だ。
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