第20話 恭子20

 伊織さんは立ち上がると、トオルと呼ばれた男性のところへ歩み寄った。

 二人で話をし始める。私のことを話しているようだが、全ては聞き取れない。


 理玖くんは二人を興味深そうに眺めている。


 ああ、そうか。


 廃校に初めて行ったときに見た男性と子供だ。

 さっき理玖くんと会ったときにはわからなかった。二人が揃ってやっと気がついた。


 理玖くんはあの男性に信頼を寄せている。あの日、遠くから見ているだけでも、それが感じられた。今はより実感できる。

 そして男性が理玖くんのほうに時折向ける眼差しも、家族のように優しげだ。


 理玖くんの命を助けるために血を分け与えたのは、彼なのだろう。

 命の恩人ということなら、その圧倒的な信頼感も納得できる気がした。


 だからといって、私の彼に対する疑いが晴れるわけではない。


 あのとき二人はなぜ廃校に行ったのだろう。

 頭の中で丹念に記憶の糸をほぐす。


 たしか、そう、あの笑い顔の人が言っていたはずだ。


 自分が呼んでも来ないから、代わりに誰かに呼んでもらったんだと。


 私は二人を追って校内に入ったけれど、途中で見失ってしまった。隣の校舎に移れるルートがあったのだ。

 その先で二人は誰かに会っていた。

 あの男性は、笑い顔の人のことは断れるけれど、その誰かのことは断れない。それだけの重要人物。


 その人も吸血鬼なのだろうか。

 あの笑い顔の人や、無愛想な人はどうなんだ。

 彼らもそうなのか?

 それとも、吸血鬼の近くにいたいだけの人間だろうか。


『そういえば鏡を持ってますか?』


 あの声を思い出した。

 一瞬、耳元で囁かれたかと勘違いするくらい鮮明に。


 あの日抱いた恐怖がうっすら蘇ってきた。


 考えないようにしよう。


 私も理玖くんと同じように話す二人を眺める。内緒話をしている様子ではないが、私を会話に入れる素振りもない。私の話をしているのに。


 すると、伊織さんは片手で男性を制した。電話のようだった。呼出音は鳴らなかった気がする。

 その場で電話に出ると、何度か相槌を打ち、すぐに電話を切る。


 伊織さんは私のほうにやってきて、急用ができたことを告げた。


「申し訳ない。すぐに戻ってこられると思うけれど、とりあえずはトオルと一緒にいてくれ」


 それから肩をすくめて「信用するのは難しいかもしれないけど」と付け足した。


「なにかあったらここに電話を」


 そう言って名刺を差し出された。いつどこから取り出したのかわからなかった。


「……はい」


 私はゆっくりとした動作でそれを受け取る。


 途中でほっぽり出された感じがしてしまう。けれど、それは勝手な思い込みだ。

 そもそも彼は、私のことを助ける義理はないのだ。こういった手助けを仕事をしているとは言っていたけれど、ただの学生から、たんまりお金が貰えるなんて思っていないはずだ。私だって高額請求されても払える自信はない。


 私の返事をきき、理玖くんに手を振ると、伊織さんはエレベーターを素通りして非常階段へと消えた。

 そのほうが、エレベーターを待つよりも早く下に降りれるのだろう。


 もうすぐ夕食の時間だというので、私たちは理玖くんの病室へ移った。


 理玖くんは真っ先に部屋に入ると、隅においてあったパイプ椅子をベッド脇に置いて「どうぞ」と言ってくれた。

 私がその椅子に座り、二人はベッドに腰掛ける。


 そしてもう一度、私の話をした。今度は少し詳しく。


 ここで涼子のことをはっきりさせよう。そういう気概があった。理玖くんは私たちの会話を、はらはらした顔で見ているのはわかっていたけれど。


 もし、涼子が私と同じように吸血鬼になりかけていたとしたら、早く見つけて保護して、人間に戻ろうと説得もできる。


 自分の意思で吸血鬼になるのなら、説得で気を変えさせるしかない。


 けれど。


 伊織さんは、涼子が戻れない道を進んでいるかもしれないとも言っていた。


 それは、既に吸血鬼になってしまっているということ。

 それなら、涼子が家出をしたことにも説明がつく。


 歳をとらなくなるのだ。家族とは一緒にいられないだろう。

 もとの日常には帰れない。


 それでも私は涼子を見つけると決めたのだから。

 迷わずに突き進むしかない。



 今の世の中、無差別に人間を吸血鬼にしてしまう吸血鬼はいないらしい。


 確かにそんな危険な吸血鬼がいれば、もっとたくさんの被害者がいるだろうし、吸血鬼という存在も、もっと認知されているはずだ。


 ということは、私と涼子を吸血鬼にしようとした人物は同じである可能性が高いのではないだろうか。

 特定できれば、そこから涼子にたどり着けるはずだ。


 私はその人物の顔を覚えていない。

 けれど、会えばわかるらしい。

 親のような存在だから。

 それは二人を見ればわかる。


 そうすると、私もその人物に会ったら、同じように親愛の情を抱いてしまうのだろうか。


 それはとてつもなく、恐ろしいことに思えた。

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