第19話 恭子19

 伊織さんに案内されたのは大きな病院だった。


 川と公園に囲まれていて、都心にあるのに静かな場所だ。


 案内図を見ると、建物がいくつもあってそれが通路でつながっているみたいだけれど、正面入り口からは一番手前の大きな建物しか見えなかった。


 自動ドアから中に入る。

 会計を待つ人の列が目立っていた。夕方だから、今の時間帯に訪れる患者はあまりいないだろう。


 警備の人が私たちを見る。

 伊織さんは迷うことなく進んでいく。私もそれに続いた。

 声はかけられなかった。


 エレベーターで上の階へ。

 八階でおりた。


 エレベーターホールの右手には談話室が左手にはナースステーションが見えた。

 入院用のフロアかもしれない。


 伊織さんは私の顔を見たあと、談話室のほうへ歩きだす。


 談話室と書いてあったが、食堂のようだった。一面がガラス張りで、周囲に高い建物がないせいか、ずっと遠くまで見渡せた。


 大きなテーブルが六つ。それぞれに椅子が四脚ずつ置いてある。その一つに男の子が座っていた。


 小学生くらい。本を読んでいる。真剣な表情だ。


 伊織さんはその男の子に近寄ると、身体をかがめて声をかける。

 男の子は最初は警戒した様子だったけれど、伊織さんの話し方や表情ですぐに緊張を解いて笑顔を見せた。


 私はゆっくりと二人に近づく。


 男の子はこちらに気づくと、好奇心いっぱいの眼差しで「こんにちは」と笑った。

 私も自然に笑顔になる。


「こんにちは」

「はじめまして、冴島さえじま理玖りくです」

永廻ながさこ恭子きょうこです」

「恭子さん、理玖くんも吸血鬼になりかけているんだよ」

「え? この子も?」

「もう、二週間くらいになる?」


 伊織さんが尋ねると、理玖くんは頷いた。


「この子もってことは、お姉さんもそうなんですか?」

「うん。昨日から……」

「そうなんですね。すごい、僕はなったあと丸一日寝てたのに」

「きみの場合は怪我をしていたからね」


 切断された足をくっつけるために吸血鬼の血を使ったのだと理玖くんは説明してくれた。そのせいで吸血鬼になりかかっているのだと。


 見たところちゃんと足はくっついているし、自由に動かせるようだったが、子供が無邪気に自分の足が吹っ飛んでしまった話をするのは心臓に悪い。


 どうしてそうなったのかを聞こうとしたところで、理玖くんが急に立ち上がった。


「恭子さんジュース飲みますか?」


 そう言って壁際にある自動販売機に走り寄る。

 ポケットからお財布を取り出すと私を振り返った。

 来い、という意味だろう。


 私が隣に並ぶと「なんでも良いですよ」と言って五百円玉を見せてくれた。


 自動販売機は二つあって、一つはペットボトルや缶のもの。もう一つは飲み物が紙カップに注がれるタイプのものだった。


 自分のぶんは払うと言ったのだが、理玖くんは頑として自分が払うのだと譲らなかったのでご馳走になることにした。


「じゃあ、ホットココアで」


 病院は少し寒かった。


「お兄さんは?」


 椅子に座って待っていた伊織さんにも尋ねる。


「じゃあ僕も」


 カップ入りのココアを三つ買うと、理玖くんはそろそろと歩いてテーブルに戻った。


「恭子さんは警察官なんですよね?」


 静かにココアを飲んでいたのだが、しばらくしてから理玖くんにそう聞かれた。


「私が? 私はまだ高校生だよ」

「えー? じゃあ違ったんだ」


 どうやら警察官が来ると聞いて、談話室で待っていたそうなのだ。タイミング良く私たちが来てしまったので勘違いしてしまったらしい。


「なーんだ、尋問されるんだと思ってたのに」


 理玖くんは残念そうだ。

 さっきキラキラした目でこちらを見ていたのは、尋問を楽しみにしていたからか。


「ごめんね」

「いえ、こちらこそごめんなさい」


 それから私の話をした。

 小さい子に話すのだから出来るだけ深刻にならないように、言葉を選んだ。


「大変だったんですね」


 理玖くんはそう言って、私の手を握った。

 小さい手だった。少し汗ばんでいるけれど嫌じゃない。かわいらしかった。私を励まそうとしてくれている。

 足を失いかけるほうがずっと大変だろうに。


「僕にはトオルさんがいたから、あまり不安にならなくてすんだんです」


 トオル。


 理玖くんの口からその名前が出るとは思わなかった。

 身体が少し緊張する。


 それを感じたのか、理玖くんの手に力がこもった。


「もう大丈夫ですよ。ここにはトオルさんも都築先生もお兄さんもいるし、みんな助けてくれます。僕、二週間もこの身体でいるけれど平気だし」

「うん。ありがとう」



「理玖」


 離れた場所から声が聞こえた。

 エレベーターホールのほうから男の人が歩いてくる。


「あ! トオルさん」


 文学青年だと聞いていたけれど、私がイメージしていたのとだいぶ違う。


 長い手足。

 伸びた髪を無造作に一つ結びにしている。

 図書館で読書というよりは、一人でバイクに乗ってキャンプにでも行きそうな雰囲気だ。


 でも、神経質そうな眉のラインや、ナイーブそうな表情からは、確かに文学青年さが感じられる。


 涼子のいう綺麗な人とは、彼なのだろうか?

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