第16話 恭子16
風が吹き抜けた。
夜明けだ。
ウインドブレーカーがはためく。
すぐそこにあるように見える二つの山肌。その谷間を通る遊歩道。
周囲はずっと見渡す限り草花で覆われている。
湿った緑の香り。
冷たく澄んだ空気。
空にはまだ星が見える。
けれど、すぐに山の稜線が金色に輝き始めて、幕が上がるように朝がやってきた。
薄紅色の雲が流れていく。
心細い。
この世界にたった一人だ。
後ろを振り返る。
こちらも遊歩道が伸びている。
でも、どちらに向かえば良いかはわかる。
どちらを選べば良いのかは。
気がつくと、私は一人で芝生に座っていた。
幻を見た。
夢だったのかもしれない。
昔行ったことがある高原。
その風景は一瞬で私を通り過ぎていった。
他の参加者たちも、校庭のあちこちで座り込んでいる。
ぼんやりと空が明るくなるのを、みんな見ていた。
そして、一人また一人と立ち上がって去っていく。
始発が動き始める時間だった。
疲れた顔をしているのに、どこか満足げだ。
私も亡霊のように、立ちたがり、何も考えずに、ただ歩いた。
途中、動けなくなったところで知らない人に助けられた。
水を飲んで、頭の中のごちゃごちゃした騒がしさが、少しだけ晴れた。代わりに、その人が残していった言葉が頭を巡るようになった。
吸血鬼になりかけている。
どういうことなのだろう。
あの人もまた、あの廃校の関係者で、私は担がれているのだろうか。
結局、家に帰り着いた頃には、お母さんは自室から出てきていた。
「朝帰り?」
「うん。ごめんなさい」
素直に謝った。
誤魔化せるほど頭が回らない。
「面倒事に巻き込まれてる?」
涼子の家出は面倒事だろうか?
「大丈夫。涼子のことを探してるだけ」
お母さんは徹夜明けで、疲れて死にそうな顔をしていた。きっと私もそうだ。
「当てがあるのね?」
「まだわからない」
お母さんは黙って私を見ていたけれど、しばらくしてから一つ息を吐いた。
「危険なことはしないで、何かあったら言いなさいね」
「わかった」
お母さんは私に近づくと、手櫛で私の髪を整えた。
「必ず?」
「必ず」
それからお母さんはキッチンへと向かった。
遠くから朝ごはんを食べるか聞かれたけれど、私はすぐに寝ると答えて自分の部屋に引き上げた。
起きたのは夕方だった。
すべて夢だったのではと勘違いしそうだった。
でも私はまだ出かけたときのままの服装だったし、床には昨夜買ったスポーツドリンクが転がっている。
お母さんは出かけているようだった。
シャワーを浴びると、頭がはっきりとした。昨日の出来事も、ちゃんと思い出せる。
私の手をひいた、あの人のこと以外は。
濡れた髪をタオルで拭きながら、今後のことをかんがえた。
結局、涼子には会えなかった。
でも遠ざかってはいないはずだ。そう思いたい。
昨夜の女の子は、涼子は特別な存在になっているかもしれないと仄めかしていた。
そして今朝の男の人は、私を吸血鬼になりかけていると言っていた。
吸血鬼は永遠に歳を取らない特別な存在だ。
ならばあの公主と呼ばれる男の子は、吸血鬼ということなのだろう。
すべてが本当のことだったとしたらだけど。
手のひらを見た。
親指の付け根の膨らんだ部分。
小さく穴があいていた。もう塞がりかけている。
痛みはない。
一応、写真を撮っておく。
涼子を見つけられるだろうか。
いや、それよりも、まだ私は涼子を見つけたいのだろうか。
それが涼子の望むことではないかもしれないのに。
奇妙なイベント、選ばれた参加者たち、そして吸血鬼。
あの花火を見た瞬間、私もほかの参加者と同じように高揚して、混乱して、そして幸せだった。
涼子は騙されて、ついていってしまったのだろうか。
だとしたら助けたい。
吸血鬼が本当かどうかは、結局のところ関係がないのだからどうでもよい。
また廃校に行こうか。今度は遠慮なんかせず、聞きたいことを聞ける気がする。
この傷を見せて、警察を呼んでやると大騒ぎしても良い。
その前に。
今朝の人。
助けてくれた人にもう一度会いたかった。
あの人に事情を説明して、助けてもらうべきだ。
声をかけてくれたのだから、無下にはされないと思う。
もし、彼もグルで、私を騙すために声をかけてきたのだとしたら、あの人がトオルさんである可能性がある。
どちらにしても、もう一度会っておきたい。
ドライヤーで髪を乾かして、身支度を整えた。
会う方法はわからない。
だからもう一度、出会った場所に行くしかない。
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