第6話 氷の女王


 彼女から渡されたネックレスは、なんの変哲もない、細長い水晶のような石に紐を通しただけのものだった。

 それだけのものなのに価値としては100万、つまり元の世界の通貨に換算して一億近い価値がある。

 貴族でもなければ、そんなものを手に入れることもできない。


 ゲーム内のフレーバーテキストでは、水晶の内側に高濃度のエーテル結晶体があって、それが奇跡的な働きで魔力を供給してくれているそうである。

 そんなものが壊れたら、エーテル中毒で廃人になるのではとも思うが、ゲームだからアイテムが壊れたりはしないのだろう。


 エーテルとは、この世界における力の根源で、なんとなく放射能に近い説明がなされている。

 エーテル結晶体はそのまま放射線物質のようなものであり、少量であればエーテルは人間を強くしてくれるが、高濃度を浴びすぎれば精神が崩壊して廃人になってしまう。

 ネックレスは、ごくまれにモンスターが落とすアイテムだ。


 装備してみると、たしかにMPがどんどん回復するので、価値のあるアイテムだった。

 5分で2しか回復しなかったものが、10秒おきに2回復する。

 しかしインターバルが無くなったことで、痛みの方は最初にも増して俺の精神をむしばむようになってしまった。


 彼女のヒールによって、火傷の傷は元通りになるのだが、なぜか痛みだけは残る。

 今の俺でも数回はボルトに耐えられるが、彼女は一回一回律義に回復してくれた。

 二人で壁際の石に腰かけ、無言でひたすら魔法を使い続ける。

 彼女は魔法使いのクラスであるはずなのにヒールを使っているから、治療の覇紋を入れているようだった。


「白紙の本がそんなに面白いのかしら。この私と一緒にいるというのに、こちらを見もしないのね」


 不意に彼女がそんなことを言った。


「余計なことに興味を持つな。それよりも覇紋を見せてくれないか。治療の覇紋だ」


「そんなことは彼女にでも頼みなさい、と言いたいところだけど、いいわ。特別に見せてあげましょう。でも残念ね。私は腰に入れているのよ。あなたが期待するような所には入れてないわ」


 そう言って、彼女は制服のブラウスをまくり上げた。

 さすがの俺もドキリとして、昨日今日知り合ったばかりの異性に頼むことではなかったかなと反省した。

 花ケ崎の覇紋は、治療Ⅲという裏技的なのを抜いたら最もレア度の高いものだった。

 陶器のような肌に彫られた覇紋はまだ小さいので、育ってはいない。


「第3世代の複雑なやつだな。さすが貴族様だ」


「よく知っているわね。つい最近まで、ある貴族家の秘伝だったから、知っている人は少ないのよ。そんな知識を自慢するために見たいと言い出したのかしら。やはり下心から出た言葉のようね」


 そんな軽口には付き合っていられないので、最低限の言葉で返すことにする。


「どう解釈しようが、お前の自由だよ」


 このお嬢様は、ずいぶんと自分に自信があるらしい。

 いや、現実を正しく把握していると言うべきか。


「それで最強を目指すあなたは、どんな覇紋を入れる予定があるのかしら。参考までに聞かせてほしいわね」


 暇つぶしのためなのか、花ケ崎は興味もなさそうにそんなことを言いだした。

 俺はどうせ信じないだろうとわかっていたので、本当の予定を話そうとした。


「第4世代の治療と──」


「治療は第3世代までしかないわ。私の話を聞いていたの」


 まあ、この世界の常識で言えばそうなのだが、俺は本当にそれを入れる予定がある。

 しかし、それをここで言っても仕方がない。


「もういい。それ以上は秘密だ」


「あらそうなの。私には話せないというわけね。じゃあボルトを続けましょう。なんなら私もボルトの方を手伝いましょうか」


 花ケ崎に小さな手のひらをかざされて、俺は大きく飛び上がった。

 花ケ崎の魔力で魔法など使われた日には、俺などイチコロで消し炭になってしまう。

 どうやら冗談だったらしく、花ケ崎はかわいい顔でけらけらと笑っていた。

 こんなところで俺をからかって、こいつになんの得があるというのか。


「お前も暇な奴だな。自分のレベルでも上げてくればいいじゃないか」


「気にしなくてもいいわ。レベルが高すぎてパーティーを組む相手がいないから暇なのよ。私の魔法をそこまで恐れるなら、素直にレベルをあげたらいいじゃないの」


 花ケ崎はとっつきにくい印象なのに、話してみると意外にも話しやすかった。

 しかし、レベルが高いから組む人がいないという話は信じられない。

 むしろ誰もが一緒にやりたがるはずである。

 なんのためにそんな嘘をつくのだろうか。


 嘘をつくからには、なにか裏があるのだろう。

 やはり警戒心を高めておいた方が良さそうだ。

 しばらくしてスライムが現れたので、回復魔法があることだしと、物理まわりのスキル上げもすることにした。

 回避が成功しなくとも物理耐性は上がるので、ヒールを貰えるのは有難い。


 夕食をはさみ夜遅くまでやって、最後まで付き合ってくれた彼女とダンジョン前で別れた。

 そして休日である翌日も朝早くから同じことを繰り返した。

 スライム相手に転げまわる俺が面白いのか、花ケ崎はニヤニヤと笑っている。


「とっても無様よ」


「同感だ」


 そんなのは自分が一番よくわかっている。

 嫌にはなるが、今は他人の視線など気にしている場合ではない。

 俺は、必死になれよと自分に言い聞かせて続ける。

 こっちのスキル上げは集中力こそ大事なのだ。


 しだいに花ケ崎が体裁きについてアドバイスしてくるようになったが、わりと技術に裏打ちされたアドバイスで、それなりの心得があるようだ。

 なぜそんな心得があるのか知らないが、ありがたく聞いておくことにしよう。

 魔法耐性の方も、二日間、それほど進歩がなかったが、三日目になってやっとスキルがあがり始めたのがわかるほど急激に成功回数が増え始めた。


 彼女には何も見えていないので、なにが起こっているかもわからないだろうが、体感としては回避成功がスキル上昇を招き、スキル上昇が回避成功につながる理想的な流れになっていた。

 100になればダメージが半減するので、そのポイントだけは間違えようがない。


 この痛みは嫌というほど知り尽くしているので、その時が訪れたのは明確に認識できた。

 これまで俺を苦しめてきた突き刺さるような、骨にまで届きそうな痛みが、ビリッとするくらいまで緩和されたのだ。

 ここまでくれば、あと50あげるのも簡単な作業のように思えた。


 しかし、最終日の深夜までかかっても、スキルが150まで育つとは思えない。

 俺でさえ、もうここまでやればいいかとも思えたが、ここから先は中途半端に上げても意味が無い。

 150まで上げて、さらにダメージを半減するところまで行かなければ効果が薄れる。

 例えば1ダメージを49%カットしても、それは1ダメージのままなのだが、50%カットできればダメージは0になるらしいのだ。


 だんだんと余裕が出てきて物理耐性の方もあげておきたくなり、スライム一匹では効率が悪いので、さらなるスライムを探すことにした。

 花ケ崎を連れて、ダンジョン一階を歩き回ってスライムを探す。

 やはり人が多くて、観光客までいるような階層だから、新たなスライムを探すのも難しい。


 ついつい歩きすぎてしまって、広場のようになっている場所でたくさんのスライムに囲まれてしまった。

 多すぎるので減らさなければならないが、何匹なら倒しても大丈夫なのか見当がつかない。

 ためらっているうちにスライムが集まってきてしまって、やばいと思ったところで花ケ崎が魔法で半分ほどを倒してくれた。


「なにか特訓をしたいのだと思っていたけれど、大掛かりな自殺がしたかったのかしら。ごめんなさい。邪魔をしてしまったわね」


 その嫌味すら有難く思える。

 まだパーティーは組んでいないので、俺に経験値は入ってこないはずだ。


「助かったよ」


 それで3匹のスライム相手に回避の訓練をしていたら、急にどでかいスライムが目の前に現れた。

 反応もできないでいると、俺とスライムの間に花ケ崎が割って入って来て、スライムの攻撃を受けた花ケ崎は、俺と一緒に壁際まで吹き飛ばされた。

 さすがに俺も木刀を構えるが、足から血を流した花ケ崎がすぐに立ち上がって言った。


「私一人で大丈夫よ。レベルはあげたくないのでしょう。なら、あなたはさがってて」


 その言葉通り、何度か攻撃を受けて吹き飛ばされはしたものの、花ケ崎はボスであるスーパースライムをひとりで倒してみせた。

 怪我をした花ケ崎にポーションを使おうとしたが、それを手で制して、彼女は自分にヒールを使った。


「さっきの場所に戻ろう」


「スライムはいいのかしら」


「そっちは今やらなければいけないわけじゃない」


「そう」


 そんなことがありながら、深夜になって、やっとボルトの当たりエフェクトが出ても痛みすら感じなくなった。

 HPも減っていないから、完全にスキルが育ったことを確信できる。

 そもそも100さえ超えてしまえば、あとからでも苦労すればあげることはできたのだ。


「やっと終わった。これでレベルが上げられる」


「まさか深夜に二人きりになるために、今まで茶番をしていたとは思わなかったわ」


 腕を胸の前でバッテンにしたような、変な構えを取った花ケ崎がこちらに向きなおりながら言った。

 さすがの俺もそれには突っ込まずにはいられない。


「んなわけあるか」


 花ケ崎は両腕を体に回して、俺から離れようとするそぶりを見せる。

 本気かよと思ったが、どうやら冗談のつもりらしい。

 そりゃそうだ。

 深夜に二人きりになったからといって、彼女が俺を恐れる理由など一つもない。


 怪我までさせてしまったし、こんな深夜まで付き合ってもらったこともあって、なんとなく理由を話してもいいかと思えた。

 今日の彼女は寮の門限すら破ってしまっているので、親にまで連絡が行くのは間違いない。

 さすがに名門の子女が門限を破るというのは、体裁やらなんやら色々問題になるだろう。


 さらに、これからレベル上げにまで付き合ってくれるというのだから、ありがたいを通り越して不思議なくらいだ。

 俺はため息をついてから、自分にボルトを放つ。


 ついさっき魔法熟練度も限界に達したらしく、クールタイムも短くなっているので連続して魔法を使う。

 魔法熟練度の方は花ケ崎も知っていたらしく驚かれることはなかった。

 そして彼女に端末を見せながら言った。


「裏ステータスの魔法耐性を上げてたんだ。魔法を受けてもダメージがないだろ。これは自分の魔力が低いうちじゃなきゃできない」


 その言葉を聞いた途端、花ケ崎は出会ってから初めて表情を曇らせた。

 そして俺から一歩後ずさって言った。


「そ、その話が本当だとしたら、そんな国家機密レベルの話を気安くしないで欲しいわね。いったいあなたは何者なのよ」


 やはりそんな話を他人にするのはタブーであるようだ。

 だけど、なんとなく花ヶ崎には話してもいいかもと思えたのだ。

 まだ危機意識が足りなかったとも言える。


「たまたま思いついたんだ。誰にも話すなよ」


「誰にも話すべきでないのは、あなたの方だわ。そんな知識を持っていると知られたら、命を狙われることだってあるのよ。二度とそんな恐ろしいことは口にしないで」


 氷のように無表情を貫いていた花ケ崎がここまで取り乱すくらいだから、よっぽどまずいことを言ってしまったのだろう。

 俺としては協力してくれたお礼くらいのつもりだったのに、彼女の顔色は青ざめている。

 今まで攻略本の情報をまわりに洩らさなかったのは、運が良かっただけに過ぎない。

 自分のうかつさを反省し、これからは本気で情報の漏洩に気を付けよう。


「でも、納得できただろ」


「そうね。でも私にはもう手遅れだわ」


「そんなことはない。魔法系のクラスなら精神も上がるから、同じことをする必要ないはずだ。それより魔法系職業は、スライム相手に耐性と回避のスキルを上げた方がいい。これは後からでもできるはずだ」


 花ケ崎は途方に暮れたような顔で俺を見ている。

 たしかに情報は出すべきでないと悟ったばかりではあるが、説明しきっておかないとモヤモヤしてしまうのだ。



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