天安寺裏参道 その2

 天安寺てんあんじの墓所には多くの僧が葬られたが、時代を遡り、忍仁大師にんじんだいしの頃は小高い丘がひと繋がりのこぶのようにこんもりとして、草木が茂るだけの場所だった。

 忍仁大師の死後、遺体は釈迦堂しゃかどうのある場所に葬られ、その上に釈迦堂が建立されたが、当時の僧は、忍仁大師の遺徳にあやかるためにその言動を模倣し、死してはその周囲に墓が掘られた。

 暫らくすると釈迦堂の着工に備えて、周囲に埋葬された僧達は新たな墓所に葬られたのだった。そこは、今では黒松の大木がそびえる墓所の中央付近だった。

 それより以前に鳳来山ほうらいさんで身罷った者が5人いたが、この辺りは猟師以外は滅多に人が来ないところだった。その5人は都で悪行を重ねたが、都を守る侍に追われて逃げ延びた盗賊一味だった。5人のうち2人が仲間同士のいさかいで殺され、2人が追手の侍に殺された。残る1人は頭目だったが、猟師を襲った時、逆に打ち取られたのだった。忍仁大師が天安寺を開く10年ほど前のことだった。

 5人の悪党は、4人までが死後直ちに地獄に堕ちて行ったが、1人はこの世に悪鬼あっきとなって残ったのだった。

 人が悪鬼となる時、様々な条件を伴なうのだが、頭目の場合は罪を裁かれる前におにによって魂を抜き取られたのだった。鬼とは不善を成す悪のかたまりが知恵を得たもので、多くは地獄の縛りの中で暗躍するだけだった。

 鬼は一味いちみの頭目の魂を抜き取り、支配しようとした。その鬼の名は、地伏妖じふくようと言う名を持つ、普通程度の鬼だった。鬼には格があり、妖の上位が鬼で、その上にも下にも厳しい格付けがされていた。鬼の最高位は留智得留るちへると言い仏道には名のない未知の存在だった。

 地伏妖は、頭目を手先としてこの世に不善と退廃を蔓延させるために現世と地獄を行き来していた。このような鬼は滅多に存在しないのだが、人の心のありようが悪く傾く時に現れるのだった。

 地伏妖の手先になった頭目は、生前の名を桑原博堂くわはらはくどうと言う藤原某ふじわらなにがしの家人だったが、同僚3人を斬殺し、金を奪って逐電して以来、悪行を重ね続けることになったのだった。桑原博堂は極めて自分本位の人間だったため、人を我が意のままに扱うことを当然としていた。鬼の手先となった初めの頃、地伏妖の意のままに動かされることを嫌い、反骨の牙を剥いたのだが、所詮鬼の敵ではなかったため、永い年月を己の骨の中に封じ込められたのだった。

 地伏妖は、桑原博堂を骨に閉じ込める時、赦しの日を約束していた。

 地伏妖が言った。「お前がおのれの骨を離れる日を決めておかねばならぬが、その日が1日でも早まることを毎日毎晩祈り続けることだ。よいか、この鳳来山に於いて百の落雷を以って、汝の罰を解くこととする。また、首尾よく赦された後は2度と我が意に逆らわぬことだ」

 地伏妖はそう約束したが、実際にはその百倍の数を以って赦しの日としていた。鬼にとって、偽りや騙しなどで桑原博堂を苦しめることは、己の喜びを倍加させる何よりの喜びの種だった。桑原博堂はただ待ち続けた。待てど暮らせど約束の日は来なかった。百回の落雷があっても赦されることはなかった。

 やがて、何百回と言う落雷があっても赦されない絶望の毎日が続き、とうとう鬼への絶対服従を自ら誓うに至った。鬼は、悪鬼と言う人の魂の成れの果てを見下していた。悪事に掛けては鬼を凌ぐ者などなかったからで、桑原博堂のような小悪党にめられることなど決して赦すべくもなかった。しかし、鬼は人に姿を見せられず、人であった魂に取り付くことで、人の姿を装うことができたのだった。地伏妖が、桑原博堂を手放さなかったのは、このことがあったからだった。

 ある日、桑原博堂は赦しを受けた。

 魂に力が漲り、骨から離れ暗い地中から陽の光の中にでた時、魂の自由を感じた。悪鬼が陽の光の下で自由を得ることは不思議だったが、悪鬼となった魂はまだ悪事を成していなかったからで、人を取り殺した時から闇の世界だけが生存の場となるのだった。

 桑原博堂が天安寺の墓所に頭をだした時、魂を責め立てるような経の響きが聞こえた。苦しさに耐えて命からがら逃げだしたが、そこら中、経の絶える場所がないほどでその身を責め続けた。天安寺門内に悪鬼が生きる場所を見出みいだすことなどできよう筈がなかった。桑原博堂の魂は天安寺の大木の上を目掛けて飛び立った。

 こんな自由が死後の世界にあることなど思いもしないことだった。上に上にと上昇し、天安寺の伽藍を目にした時、とんでもないところに頭をだしたものだと思った。命を失った時は、鳳来山の草木の他は何もなかったのだが、よりによって寺が幾つもできていたのだった。

 桑原博堂は地上に降り立つ場所を探した。疲れを癒さなければならなかったが、桑原博堂には最早もはや一片いっぺんの力も残っていなかった。そのまま気を失い、風に乗って鞍馬谷くらまだにの方に流され、地に落ちた。悪鬼がこのようになった時は、人を取り殺して精気を戻さねばならなかった。谷間たにあいの木陰なら人目に付かず朽ち果てるばかりだったが、幸い沢に通じる小路に着地した。しかし、人を取り殺すまで、もうここから動きだすことは決してできなかった。

 桑原博堂は人が通ることや、鬼が助けてくれることを願った。数日のうちに朽ち果てる予感に怯えながらひたすら願ったのだった。

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