第8章 天安寺裏参道 その1
素空は
初めての
素空は
途中で2度ほど玄空大師が覗いたが、素空の彫り方をジッと見るだけで、言葉を掛けずに帰って行った。素空は、玄空大師に借りた道具を上手に使いこなしていて、既に玄空大師の指導を受けることはなかったのだった。
素空はジッと目を閉じ、10才の頃を思い出していた。路傍の地蔵菩薩に驚きと不思議を感じ、仏師の道を志したのだった。仏の悪戯によって仏師を志して10年の歳月が経ち、素空は既に本物の姿を彫り上げる真の仏師になっていた。
天安寺龍門が落成して暫らく後に、墓所の
桜の蕾が膨らみ始めた頃、素空は最後の仕事に手を付けることにした。それは、
素空は墓所に立ち、良円の墓前でジッと目を閉じ、夢想の中で良円との短い月日をすべて蘇らせていた。目を開くとそこに良円が居るのではないかと思うくらいに鮮明だった。『良円様、随分長らくお待たせいたしました。私が御本山を去る時に、良円様を里にお連れするつもりでしたが、いよいよその日が近まりました。玄空大師にお許しを頂くまで、もう少しお待ち下さい』素空は心の中でそう言うと、3本の経を唱え始めた。
素空の経は静かに墓所を這うように響き渡り、静寂の中に凛とした厳しさを醸しだしていた。素空は気付かなかったが、その時墓所の1番奥の草むらにただならぬ
素空は、良円の墓参を終えると、瑞覚大師の墓前に額ずき、3本の経を唱え始めた。経がまたも地を這うように響き始めると、瑞覚大師の姿が、素空の眼前に笑顔を見せた。素空は、
やがて、素空は太一の墓標の前で、地蔵菩薩に黙礼した。地蔵菩薩は、素空をチラッと見ると口元を緩め明らかに笑顔を向けた。素空は10才の頃のように驚くことはなかった。ジッと目を閉じ、3本の経を唱え始めた。
墓所を去ると、忍仁堂に行き、玄空大師の部屋を訪ねた。目的はただ1つ、良円の墓を掘り上げ、遺骨を掘り出すことだった。
「素空が思うままにいたすが良かろう。
素空は灯明番の詰め所を訪ね、明智に墓掘りの相談をした。
「素空様の最後の仕事になったのですね。人選にはきっとご満足の行く方々を揃えますのでご安心下さい」明智はそれっきり押し黙った。
素空は、玄空大師の時と同様、早々に暇乞いをした。
その日の午後、
それから灯明番の詰め所に移動し、明智の部屋は、嘗ての仏師方で賑わった。今は明智に本物の仏像を彫る力も、真贋を見極める力もなかったが、詰め所には明智が彫り上げた数多くの仏像が並んでいた。
栄至が言った。「明智様、見事な御姿ばかりですね」
明智は自嘲気味に答えた。「灯明番の
仁啓が、明智に問い掛けた。「では、明智様は御仏の真贋を見分けることもできなくなったのですか?」
明智はまたも自嘲気味に答えた。「御仏の降臨があっても、今の私には目にすることはできないでしょう。そのことが分かっていたから、四神降臨の時、仁王門に配されたのでしょう。御仏は卑しき者には御姿を現さないようです」
淡戒が言った。「当時、栄信様が灯明番の長から、伊勢滝野の薬師寺に参ったのは、瑞覚大師の臨終の際に、御仏の御降臨を見届けられるようにとのお計らいだったそうです。明智様が本当の御姿を彫り上げるためには、お役を降りなければならないのでしょうか?」
淡戒がそう言った時、皆、思いもしない展開が脳裏をよぎった。
法垂が思わず尋ねた。「明智様はお役を退かれるのですか?」皆も、明智に視線を向けて、明智の言葉を待った。
「忍仁大師の昔から今日まで、灯明は絶えることなく灯し続けられ、灯明番は東院で最も尊いお役目なのです。無論、他のお勤めと同じく、私から退くことを申し出ることはありませんし、そのつもりもありません。今はただ、素空様のおっしゃる通り、彫り続けることしか考えていないのです」明智はキッパリと言い切った。
明智は自分のことから話題を変えて、明日の良円の墓掘りの話を始めた。
「明日、
明智の言葉は皆の心配を更に大きくした。皆一様に、素空の様子を気にしていたのだった。
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