天安寺龍門 その5

 天安寺龍門は弁柄べんがらで鮮やかな赤になり、彫り物の龍が白と青とに塗り分けられ、赤い柱にへばり付き、時に天空を駆け昇る生きた龍そのもののようだった。大門の色付けには4日を掛けて、鮮やかな赤い門柱ができ上がった。

 残る仕事は、銅線の敷設ふせつのみだった。既に、和泉国いずみのくにさかいの金物屋から銅の地金が100貫届き、親指大の丸棒に仕立て直していた。長さ1間(1,8m)の丸棒は8本でき上がり、別誂えの金具を支柱にして4本ずつ付け終わっていた。次の日はいよいよ2本の門柱を立てることになった。大勢の人手を要する作業には、東院の僧達が必要で、その指揮を取るのは栄雪を置いて他になかった。明智が人選し、栄雪が指揮を執るのは当然のことだった。皆、栄雪の指揮を信頼し、力を合わせて縄を引き上げて、少しずつ以前の大門の立っていた場所に垂直に立った。すかさず、石材で固められ、堅牢な門柱が1本立つのに1時半(3時間)掛かり、昼食を挟んで、もう1本も立て終わった。

 「栄雪様、さすがに要領よく作業を終えられましたね。これで、大門の半分の工事がすみました。ありがとうございました」素空が礼を言った。

 「まだ門扉がありますよ。人手は半分以下の10人ほどで良いでしょうが。それが終わるまでは気が抜けませんね…」

 素空は、栄雪の尽力に感謝した。

 甚五郎は柱の前後に大鳥居の補強と同じ要領で補強を取り付け、以前のような姿に近付いた。2本の門柱は2間と2間5尺の高さで繋ぎの梁材を取り付け、更に堅牢にした後その下に門扉を取り付けた。門扉の上には梁の高さで瓦屋根が取付けられるのだが、瓦職人が来るのはまだ先のことだった。

 「栄雪様、ご苦労様でした」素空は、門扉の取り付けが終わった時、栄雪に感謝した。これが栄雪との最後の仕事であることが、名残惜しいと言う気持ちがしていた。

 素空は感傷的になることは滅多にないのだが、天安寺の僧達の中では、心に残る思い出の多い僧の1人だった。

 「素空様、柱の彫り物に付いて、少々お尋ねしても良いですか?」栄雪が何時になく素空の彫り物に付いて疑問を持った。「左の柱の内側の球は何故黒いのですか?下り龍は4体で、3体の龍が金箔の球を探しているようなのに、この1体だけが黒い舌で黒い球を追っているようですが?」

 「さすがは栄雪様。よくぞお気付きになられました。この龍は地獄に堕ちる者を探している姿なのです。他の7体は赤い舌の龍で、天安寺の異変がある時、7人の霊を浄土に導き、1体の龍だけは国中の死者の中で、地獄に堕ちるべき者を必ず地獄に導くのです。私が考えた、即身成仏の使者の形なのですが、それが成就する時、浄土に上がる霊は全部で8体となり、四神より3人多い霊達が昇霊されるのです」

 栄雪は実に感じ入った顔で、素空に微笑んで言った。「素空様が願うことは、きっと御仏はお聴き入れになられるでしょう」

 素空と栄雪は久し振りに語り合った。そして、東院からの加勢の僧達の後を追って帰って行った。

 素空の地蔵菩薩はまだ仕上がっていなかった。天安寺大門は宇土屋の工事も、双悦の銅線も殆んど終わりに近付いた。殆んどの人々が、門柱の外側に沿って降りている銅線が何なのか分からなかった。宇土屋喜兵衛が、素空に尋ねたが、雷除けと言うことが理解できず、呪いだと決め込んだ。

 それから2日後、天安寺大門が完成した。

 「おお、見事に仕上がったものじゃ」興仁大師の感極まった声がした。宇土屋喜兵衛は、興仁大師の横に付いて、笑顔が止まらないほどの上機嫌だった。

 宇土屋が言った。「お大師様、焼けた大門はあの頃に必要だっただけのものでした」宇土屋の意味ありげな言葉に、興仁大師が聞き返すと、宇土屋喜兵衛はキッパリと言った。「お大師様、御仏が御用のすんだ大門を壊しなさったのじゃないでしょうか?そして、天安寺を守る新しい大門を所望したのじゃないかと思っているのですよ」

 「御仏が、素空に所望したと言うのじゃな」興仁大師の言葉に、宇土屋が答えた。「お大師様、あっしは素空様の器を何度も測り違いましたが、仁王様に助けられた時にハッキリと分かったのですよ。御本山の偉いお坊様と素空様を比べることの愚かさをね。御仏を前にして、そんなことを比べることなんぞ、とんでもないことでした。それまで、あっしは素空様をお若いのにお偉いお坊様だと思っていたのですよ」

 興仁大師が言った。「素空は人であって、もはや人ではないのじゃ。良いかな、素空は既に悟りを得ているのじゃ。つまり、御仏と同等の尊い境地を得ているのじゃよ。そなたが目違いをしたのは、まさしく人として素空を見ていたからなのじゃよ。そして、仁王様に助けられて初めて分かったのじゃろうが、素空は悟りと法力を備えた数少ない僧なのじゃよ」

 「お大師様、あっしはこの龍の彫り物が本物の龍になって何かのお働きをなさると思えて仕方がないのですよ」宇土屋の言葉に、興仁大師が答えて言った。

 「仁王様がそうだったように、この龍も何かの働きを担っているかも知れぬな」

 弥生(3月)の25日、天安寺門が完成した。

 落成式が東院、西院の殆んどすべての僧が参列して行われ、珍しく、賑やかで華やかな行事になった。僧達は口々に8体の見事な彫り物を褒め称えた。しかし、式の半ばに天空が俄かに掻き曇り、雷鳴がこだまし始めた。玄空大師と素空は、異変の前触れを感じ、落成式を早々に終えることを考え、興仁大師やその他の高僧に諮ることにした。…落成式はすぐに終わったが、僧達が帰途につく前に雨が降り始めた。僧達は帰りを急いだが、雨脚は僧達を追い立てるように大門の周りに広がった。空はどんよりと曇り、稲妻が閃光を放ち始めたが、僧達の1部は残って様子を窺っていた。残った僧は興仁大師と玄空大師、素空と明智、栄覚大師と栄垂。その他に素空と関わりの深い僧達と宇土屋喜兵衛、宇土屋甚五郎がいた。

 雷鳴はひときわ大きくなり、大門の真上で稲妻が激烈な閃光を放った時、その雷鳴は閃光と合体した。…幾度となく響き渡る雷鳴の中で、宇土屋喜兵衛が驚愕の声を上げた。

 「お大師様、龍が雲の下を泳いでいます!」宇土屋が言ったように、低く迫った黒雲を縫うように、2頭の龍が姿を現した。素空が彫った龍ではなく、その数倍の龍が宙を泳いでいた。しかし、宇土屋は、素空の彫った龍だと言い張った。玄空大師が宇土屋に同意すると、1人2人と認めるようになった。僧達の頭上の6間先にあった素空と甚五郎の龍が消えていたからだった。宇土屋喜兵衛は、素空の龍ばかりではなく、甚五郎の龍も雲の下を泳いでいることが不思議だった。

 淡戒が言った。「これは御仏が大門の建立をお認めなさったからではないでしょうか?」そう言うと、素空の傍らで経を唱え始めた。

 素空は、初めから経を唱えていた。玄空大師が加わると、2人の声が2体の龍のように絡み合い、うねり合って絶妙な響きを放っていた。

 龍は雷鳴と共に舞い降り、稲妻が治まり始めると黒雲の中に姿を消した。

 やがて、辺りは明るくなり、落成式の前のように穏やかになった。雨は嘘のように消え去り、濡れた僧衣が何時の間にか乾いていた。

 興仁大師が言った。

 「玄空様、ご覧の通り落成式は御仏の手によって行われたのじゃ。我らが成すべきことは既に終わったようじゃ」

 玄空大師が合いの手を打つように同意し、残った僧達は大門から去って行った。

 天安寺の大門は、この日から『天安寺龍門』てんあんじりゅうもんと呼ばれるようになった。また、落成式の時に隠れた2頭の龍はその日の夜中に戻って来た。

 天安寺龍門が完成し、素空が天安寺を去る日がだんだんと近付いて、残す仕事は2つになっていた。



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