天安寺龍門 その3

 2日目に大半を回り、残るは2寺となった。最後の寺で酉の刻とりのこく(午後6時)に近付いたので、宿泊を願い出た。寺の名は光山寺こうざんじ、住職は三蔵以宣さんぞういせんと言う還暦を過ぎた老僧だった。三蔵以宣はちょっと風変わりな僧だった。寺には慮石りょせきと言う32、3才の僧がいて、5年ほど前まで天安寺で修行をしていたと言う。

 光山寺は、洛中らくちゅうの寺社に共通することだったが、寺本来の仕事のみで運営できた。京の檀家衆は財力があり、競って寄進した。金子はお布施や謝礼として相当の額を受けていた。品物となると、仏像や仏具から、野菜や米まで多種多様に持ち込まれ、何をするにも以宣いせんが金子をだすことなどなかった。その始まりは、以宣が40才で天安寺を下りた時、西院大師の認可を受けて光山寺に戻って来てからだった。檀家衆は大いに喜び、以宣の自信に満ちた言葉と、堂々とした態度が尊敬と信頼を集めていた。以宣は僧としての寺での生活に満足していた。弟子の慮石にも檀家衆にも尊敬され、『我が世の春』を謳歌しているようだった。

 栄至えいし芙才ふさいは夕食の膳を見て驚いた。「これはおご馳走ですね。私達のためにこれほどのご馳走を振舞って下さり、本当にありがとうございます」栄至が笑顔で語ると、住職の以宣が2、3度手を横に振って答えた。「何も、御本山からのお使者に特別のお持て成しをしているのではないのだよ。京には裕福な檀家が多く、皆が競って寄進するのでな!初めての者には贅沢そうに見えるだろうが、わし等は何時の間にか慣れきってしまっていたようじゃ」

 慮石が言った。「和尚様の仰せの通りです。栄至様に言われて、5年前に御本山から戻って来た頃のことを思い出しました。私も栄至様と同じように思いながら、毎日続くご馳走にすっかり慣れてしまっていたのです」

 以宣と慮石がしんみりとした表情になったので、慌てて栄至が語りだした。

 「これはとんだことを申しました。檀家衆の寄進を受け入れて、ありがたく頂くことは御仏の御慈悲に適うことでしょう」

 すると、以宣が言った。それは、以宣が他の僧とはちょっと変わったところがあると認めざるを得ないことだった。

 「栄至殿、わし等は檀家の罪を喰らっているのだよ。檀家は銭で徳が買えると勘違いをして、せっせと寄進をするのじゃが、わしはそれを拒むことなく頂くばかりなのじゃよ。御仏の御慈悲に適うものではないが、所詮寺とは信徒の寄進に頼るしかないのじゃから仕方のないことだよ」

 栄至も芙才も驚いた。これほど言いにくいことをハッキリと言い放つ僧を見たことがなかった。悟ったような申し様に釈然としない思いがあったが、2人は以宣を論破することはできそうにないと思い、これ以上話を長引かせないように話題を変えた。芙才が初めて口を開いた。「ご住職様、お名前の三蔵とは如何なる由来がおありかお教え下さいませんか?」

 以宣が言った。「その昔、とうの国に玄奘げんじょうと言う偉いお方が御座おわしたのじゃが、そのお方は経・律・論に精通したお方であったそうなのじゃ。忍仁大師が天安寺を始められるより、ずっと以前のことじゃが、わしはそのお方にあやかりたいがために、そのお方の通り名を頂くことにしたのじゃよ。お陰でわしを打ち負かす論客は未だに出会ったことがないよ」そう言うと高らかに笑った。

 慮石が言った。「和尚様は物知りで、私が不思議に思うことや、疑問を抱くことはすぐさまお答え下さいます。お陰様で私も少しは物知りになりました」

 栄至と芙才は、師弟共に鼻持ちならない自信家だと知って、すっかり打ち解ける気をなくしてしまい、夜の勤めをすませると床の中に潜り込んだ。光山寺の夜具は、今までに経験したことがないほど寝心地の良いものだった。柔らかで暖かく、2人はすぐに眠りに落ちて行った。

 栄至は暫らく熟睡したが、夜中に目が覚めてかわやに行った。それからなかなか眠れず、本堂に行って経を唱えることにした。天安寺には多くの僧が居るが、あの三蔵以宣のような僧は居ないと思った。以宣の自信に満ちた言葉は、仏の慈悲をわきまえない屁理屈をこねる若造が、そのまま老僧になったようだと思った。

 『素空様ならどう思うだろうか?私には論破するだけの知識も、知恵も、気概もないが、僧があのような心栄えでいいのだろうか?』栄至は自分の未熟さを嘆いた。そして、この寺の檀家衆と、三蔵以宣と慮石のために経を唱えようと思った。光山寺の本尊は阿弥陀如来だった。しっかりとした厨子の中に納まっていたが、栄至の経が始まると、厨子の格子戸が金色に輝き始めた。それは、1本目の経が始まってすぐだった。薄暗い本堂の祭壇の奥から、蠟燭の炎より明るい金色の輝きが溢れ出た。

 慮石は夜中に目覚めると、何かに導かれるように本堂に向かった。『こんな夜中に誰か居るのだろうか?』慮石は目の玉が飛び出るほど驚き、金色の輝きの前にいる者が栄至であることを知ってまた驚いた。

 慮石は畏れた。初めて見た仏の証を、本山の使者が呼び出していたのだった。慮石は本堂の入り口にいたが、震えながら後ずさりして庫裏の方に引き返して行った。この時、栄至の後ろに付いて、経を唱えるなど微塵も考えなかった。

 翌日、栄至と芙才は、三蔵以宣と慮石に深々と頭を下げ、持て成しに感謝して光山寺を発とうとした時、以宣和尚が言葉を掛けた。

 「栄至殿、そなた夜中に本堂で経を唱えたそうであるが、本当かな?」

 以宣の問い掛けに、栄至が素直に頷くと、以宣が少しばかり怒ったような口調で語り始めた。

 「そなたが経を唱えた時、御本尊様が金色に輝いたと聞いたが、そなたの仕業であるのかな?」以宣はどんな奇術を使ったのか問い質したかった。

 栄至が答えた。「私は夜中に目覚めた後、眠れぬまま御本堂で経を唱えていただけなのです。こちらの御本尊様が金色に輝いたことはまったく存じません。私はただ、この寺の檀家衆とお2人のために御仏に御慈悲を願っていただけなのです。経を3本唱え、私の心も穏やかになったのでそれから床に就いたのです」

 以宣は不満を露わにして食い下がった。「そなたは慮石に奇術を使って金色の光を見せたのではないか?本山からの客人と思い、礼を尽くして持て成したつもりだが、とんだ結末になったものだ!」

 栄至は、以宣の言葉で溜まっていた不満が一気いっきに膨れ上がって、我慢ができないほどの怒りで満ち溢れた。『こんな時、素空様ならどうなさるのだろうか?』栄至は怒りを抑えて考えた。そして、おもむろに口を開いた。

 「ご住職が仰せのように、競って寄進をする檀家の心を哀れんで経を唱えたのです。この世の徳は金銭や財物では得られないからです。ご住職と慮石様にはそのようなことをいさめもせず、黙って寄進を受け取り、その行為を善業であると言ってはばからなかったことです。これは宗教者にありがちな詭弁と言うもので、人の犯したる罪の中で、御仏が最も嫌う『偽善』と言う罪なのです。お世話になりながらこんなことを申すのは心苦しいのですが、ご住職と慮石様のために敢えて申します…」栄至は一昨夜宇土屋で金色に輝いた観音菩薩の話をした。

 「お2人が、真に御仏に倣いて仏道を歩んでいたら、金色の輝きを目にした時、御仏に近付いていたと思います。また、それを耳にした時、疑いを持たず素直に信じたことでしょう。ご住職の罪はもう1つ…心の中に巣食う傲慢な思いです。『傲慢』は御仏が最も嫌う罪の親玉なのです。回心なさることです」

 栄至は最後に1つ付け加えて言った。「以宣様、時には御本山に赴き、東院・西院の貫首様方に教えを乞いなさるが良いでしょう。この小さな寺から離れ、目の位置を変えられるのも修行と存じます」

 栄至は深く頭を垂れて光山寺を後にして、最後の寺を目指した。

 昼前に陽善寺ようぜんじの山門を潜った。

 「栄至殿、お久し振りです…」海童和尚かいどうおしょうはいつものように明るく迎えた。芙才は同じ京の町中にある寺なのに、光山寺と陽善寺の住職の違い様に驚くばかりだった。

 「実にお偉いお方であった。何度かお会いしたが、慈悲深いお方であった」海童和尚は感に堪えないような顔をして悔やみを言った。そして、玄空大師が貫首になったことは知っていたが、そのことに触れ、改めて喜びの涙を見せた。栄至は四神降臨の際に、角松屋久兵衛かどまつやきゅうべえが浄土に上げられたことを伝えた。

 栄至からの報告をすべて聴き終わると、感慨深げにひとこと言った。

 「わしらは安易に極楽往生を口にするが、そう思って祈ることをしないでいると、亡くなった者は金輪際浄土を踏めなくなるのじゃな」

 栄至は最後に光山寺の三蔵以宣住職のことを話し始めた。すると、海童和尚から意外な言葉が返って来た。

 「あの和尚はちょっと変わったお方じゃが、たいそう学識のある名僧と聞いているのじゃ。わしは何度かお会いしたが、無駄なことは口にしないし、相手の思いや考えは良く心得て、気配りのできるお方のようじゃったが…」

 栄至と芙才は、予想に反した海童和尚の評価に唖然とした。海童和尚が以宣住職を庇っているとしか思えなかったが、このほかの答えは人を貶める言葉になるとして避けたのだと思い、話題を変えて1時(2時間)ほど歓談して天安寺に戻って行った。

 天安寺の参道に入った時、芙才が、光山寺での栄至の言葉を褒め称えた。

 栄至は宇土屋での金色の輝きを思い出して言った。

 「御仏は先々を見越して、三蔵以宣様と慮石様に御慈悲を御与えになったのかも知れません。私を通して仏道から外れようとしているあのお2人を、正しい道に導かれたのでしょう。信心深い者達に御仏の御印である金色の輝きを見せ、あのお2人が金色の輝きと程遠い暮らしをしていることを御諫め下さったのでしょう。そして、私には、素空様ならどうするのかと深く考えさせたのです。素空様に倣うことは御仏に倣うことに今思い当たりました。芙才、私達は御仏の掌の上で生きているのですね?」天安寺に戻った2人の心は、実に晴れやかだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る