四神降臨 その5

 素空と明智は天安寺の大門の前に立っていた。四神降臨ししんこうりんの時、2度の稲妻によって門柱の先端から1間ほどが焼け落ち、残りは門扉もんぴと共に黒焦げになっていた。

 明智が言った。「これは凄まじいですね。急場仕立てとは言え、宇土屋様がしっかり造られた物でしたのに…」素空も明智もそれから暫らく眺めるだけだった。

 素空が言った。「宇土屋様うどやさまにはもう1度お働き願わねばなりませんね」

 「何かお考えがあるのですか?」明智には先ほどの沈黙の間に、素空が確かな構想を得たと思った。

 素空と明智は大門の様子を眺めた後、薬師堂の栄覚大師を訪ねた。

 葬儀が終わった本堂はがらんとして、西院からの加勢の僧達が後片付けをしていた。2人が本堂で経を唱えていると、栄覚大師が本尊の薬師如来像を運んで来た。

 「お2人がお見えだと分かりましたので、御本尊様をお連れいたしました。これからは御本堂の中央にお祀りいたします」栄覚大師が笑顔で素空の傍らに遣って来て言った。

 明智が言った。「それは良いことです。さすれば厨子を御誂えいたさねばなりませんね?…素空様、宇土屋様にお頼みするのが良いのではありませんか?」

 素空が言った。「私も同じことを考えていました。栄覚様、埋葬の帰り道に明智様に申し上げたのですが、四神降臨の痕跡である大門を改修いたしたいと思っています。大門の改修と共に厨子の建立も宇土屋様にお願いすることになるでしょう」

 栄覚大師が言った。「素空様が成すべきことはお決まりなのでしょうか?」

 素空は、栄覚大師に笑顔で語った。「御本山に上がってより今日まで、栄覚様にはお導き下さり心から感謝いたしております。瑞覚大師亡き今となっては、兄弟子あにでしとしてより一層大切いっそうたいせつに思うばかりです」栄覚大師は敢えて答えなかった。

 明智が言った。「私には、お2人の息がぴったり合っているようで、これまで何度も羨ましく思っていました。お心の内をすべて存じていなければできないことでしょう」

 3人は暫らく語り合った後、それぞれの用件を持って釈迦堂に向かった。3人が、興仁大師の前に座したのは間もなくだったが、先ず明智が、玄空大師の用を告げた。興仁大師は法要の知らせを出す諸国名を挙げた。「東は越中えっちゅう飛騨ひだ美濃みの三河みかわまでとし、大津おおつの飛脚問屋、日の屋ひのや美濃みの光雲寺こううんじに真っ先に伝えておくれ。光雲寺は法灯の火種をお守り願っているのじゃが、加えて遠方の諸寺への知らせも頼んでいるのじゃよ。西は因幡いなば播磨はりままでとし、きょうの飛脚問屋、二見屋ふたみや播磨はりま無音寺むおんじに真っ先に遣わしておくれ。無音寺は光雲寺と同じく灯明を守り、遠方の諸国に知らせも頼んでいるのじゃよ。それから、淡路あわじ照温寺しょうおんじ讃岐さぬき法泉寺ほうせんじに知らせを送り、淡路あわじ四国しこくのすべてに取り次ぐよう頼んでおくれ」

 興仁大師はフッと一息吐ひといきついて、3人の顔を見比べながら言った。「3人の姿をこうやって眺められるのも、もう暫らくのようじゃ。寂しゅうなるな、明智や?」明智は俯き加減の首を更に下げ、本当に寂しさに耐えているかのようだった。

 興仁大師は、明智の姿を眺めながら首を大きく上下させ、思いは同じだと言うことを伝えた。

 興仁大師が言った。「素空が間もなく天安寺を去るとなれば、寂しく思うものがなんと多いことであろうか。正倉しょうそう憲仁けんにんも然りであろうよ。明智よ、諸国の寺の所在は釈迦堂の書庫にあるのじゃが、憲仁が預かり、維垂いすい臥円がえんが司書をいたしているのじゃよ。必ず憲仁に願い出るようにするが良かろうよ」興仁大師は話し終えると、明智に念を押したように笑顔を向けた。

 素空が言った。「お大師様、四神降臨の際に落雷で焼け落ちた大門の改修をお任せ願いたいと思いまして参りました」

 興仁大師が言った。「素空の頼みとあらば許すほかあるまいて。四神の残した唯一ゆいつの痕跡の意味を考える時、これも御仏の御計らいのような気がするのじゃ。宇土屋に頼み大門建立にひと働きしてもらわねばなるまい。素空は既にどのように作り上げるか、構想ができているのじゃろうかな?」

 素空が答えた。「大門は、稲妻の多い天安寺において仏閣を守るための守護神としての役目を持たせたいと考えています」興仁大師は、素空が願い出ることはこれが最後のことのような気がして、胸が熱くなる思いだった。

 最後に栄覚大師が言った。「本日、薬師堂の御本尊をお祀りいたしましたが、如来様をお納めする厨子を、宇土屋様に依頼するお許しを頂きたく参りました」

 興仁大師は、栄覚大師の顔を見詰めながら言った。「御本尊を素空が献上した薬師如来立像やくしにょらいりゅうぞうにすることは、瑞覚様もお喜びのことであるよ。御本尊はまことの御仏で御座おわせばお守りする厨子は宇土屋喜兵衛をおいてはあるまい」そう言うと、栄覚大師の顔を見て優しく微笑んだ。興仁大師は永く天安寺に居ながら、この3人のような顔ぶれに接したことがなかった。

 興仁大師が最後に言った。「瑞覚様は僧として満足の一生いっしょうであった…重畳、ちょうじう重畳」瑞覚大師の決め言葉を借りて締めくくった。

 その後、3人は忍仁堂に入り明智の部屋で歓談することにしたが、素空だけがその前に、玄空大師に目通りを願った。

 「素空が参る時は何か新しいことが始まる前触れであるな」玄空大師は笑顔で迎え入れた。

 素空は大門の建立と太一たいちのために地蔵菩薩じぞうぼさつを作り、墓所に祀りたいので、道具を一式貸して欲しいと願った。

 「10才の素空が地蔵様を彫りたいと願った時のことを今でもハッキリと覚えているよ。あの時は、まだ早いと木彫りを勧めたが、今のそなたであれば、初めて使う鎚や鑿も難なく使いこなせるであろう」玄空大師はそう言うと、大門のことに触れて語り始めた。「四神の残した唯一ゆいつの痕跡である大門の落雷は、御仏の御計らいであるよ。そなたに示された最後の仕事と言うことなのじゃよ」

 「それはどのようなことでしょうか?」素空は自分が思ったことを口にすることなく尋ねた。すると、玄空が優しく微笑んで答えた。

 「素空や、そなたが天安寺に門を作ったのは、寺にとっては大きな意義をもたらしたのだよ。忍仁大師の昔より、天安寺は修行の場として多くの僧を受け入れたが、僧も色々なのじゃ。門を設けずとも自主心を身に付けようとした修行の志もこころざし、何時しか盆の物売りが入り込んで商売の場になってしもうたのだが、そなたが天安寺の悪しき風習を諫めたのだよ。寺も人の集まり故、時に応じて修正しながら未来に繋ぐべきものなのじゃよ。御仏は大門を壊したのではなく、作り直して御仏の意向を示すようにお考えではなかろうか?つまり、天安寺の仏閣を落雷から守護する、更に強固な門を所望なのかも知れぬな」

 素空は今、玄空大師が同じ思いを持っていたことを知り、喜びと更なる敬意で全身が満たされた。

 「素空や、そなたが成すべきことは、もう1つあるのではないか?」玄空大師の問い掛けに、素空がすぐに答えた。

 「私が成すべき最後のことは、仏師良円様ぶっしりょうえんさまのお骨を里のご母堂様にお返しすることです」キッパリ言い切った言葉は、瑞覚大師が生前、玄空大師に漏らしたことがある、素空への希望だった。玄空大師は、素空がすべてを心に留めて決して忘れることのないことを、改めて知って大いに喜んだ。

 玄空大師が言った。「そなたの言葉を聴いたら、瑞覚様もお喜びなさるであろう。わしとそなたが再会して間もなく、良円が召された話を聴いた時、瑞覚様がそう望まれていたのだよ。わしは今、心から嬉しく思うと共に、何と鼻が高いことか」

 素空は、玄空大師との充実した時を長く過ごしたかったが、明智と栄覚大師の待つ灯明番の詰め所に向かった。

 素空が去った後、玄空大師はもう暫らくすると、今のこの気持ちがもっと強く感じる日が来ると思った。天安寺が1つの節目に向けて時を刻み始めたようだった。

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