四神降臨 その4

 薬師堂の本堂は天安寺の老僧、高僧でいっぱいになり、若い僧が中に入ることができないほどだった。瑞覚大師の葬儀が始まり、かろうじて素空と明智、淡戒、胡仁、栄垂が本堂の片隅に陣取ることができたのだった。葬儀は西院に代わって、東院の司式で執り行われ、玄空大師が故人の遺徳を披歴した。最後に薬師堂の本尊に触れて語った。「薬師堂の御本尊は、瑞覚様の意向によって、大師が生前お祀りしていた木彫りの薬師如来立像にいたします。大師が身罷られた時から四神の降臨までお隠れになっていたのであるが、今こうしてお戻り下さった」

 玄空大師の後に、興仁大師が追悼の言葉を述べて、いよいよ読経が始まった。総勢70余名の老僧、高僧が一斉いっせいに経を唱える姿は壮観だった。興仁大師が葬儀の司式を東院に任せたのは、『瑞覚大師との縁が深い東院の司式が相応しい』と言って譲ったのだった。

 葬列が薬師堂から墓所に向かったのは正午を少し過ぎてからだった。巳の刻みのこく(午前10時)から始まった葬儀は、昼食を挟んで埋葬を残すのみとなった。

 墓所では東院の若い僧達によって既に穴が掘られていた。

 薬師堂の裏参道を通り墓所までの道には、野辺送りの僧達が並んで、落雷で焼け焦げた大門の2本の柱を横目で見ながら通って行った。

 素空達が大門に近付いた時、明智が素空に言った。

 「素空様、ご覧下さい。四神が残した唯一ゆいつの痕跡です。御仏が何かしらの意を込めたもののようですが、さて、如何なることでしょうか?」

 素空は、不意に明智に尋ねられ、暫らく考えた。「明智様、私はこの大門には少しばかり不満を持っていました。以前、この大門の前で宇土屋様配下うどやさまはいか甚太様じんたさまと話したことがあったのです。この門に彫り物をして、もう少し立派な物にしたいと、…その時、私と甚太様が並んで龍の彫り物をする姿を想像したことがありました。御仏の御意思だとしたら、このことがあってのことかも知れません」

 明智は通夜から葬儀までの間に四神について、素空と多くを語るうちに、四神が痕跡を残すことなく即身成仏を成就する筈だと考えた。栄垂からの報告では、瑞覚大師の居室では白虎神に畳1つ傷付けられなかったと言う。栄垂の話では、目には見えるが実体のない感じだが、獣臭けものしゅうだけを残して、アッと言う間にすべてが終わったようだと言った。仏の意思が働いたのなら、やはり素空の最後の仕事として、天安寺門の修復が果たされるだろうと思った。そして、それを最後に、素空が本山を去る日が、今日の葬儀より数倍寂しい日になりそうだと思った。素空の存在は、明智の人生を大きく変え、数段高いところに上げられたのだった。

 葬列が東院と西院の分かれ道まで来た。悠才が身罷った大楠の下には、悠才の事故を思い出す人も僅かであった。そして今は、棺を見送る僧達が立ち並んでいた。

 明智が言った。「素空様、3年もの間自分の死を見詰めるとは、どのような心持ちでしょうか?」明智は、瑞覚大師の3年間を思いフッと呟くように言った。

 素空もそのことに疑問があったので、明智に同意するように言った。

 「そうですね。私が千手観音菩薩を見定めた時、興仁大師と共に薬師堂においでになっておっしゃられたのです。お2人は千手観音菩薩の御姿をご覧になってはいないと…。つまり、その時はまだ、悟りに至っていなかったのだと思いました。しかしながら、悟りの成就の仕方には、決まりなどないのかも知れません。そう思うと、私が御本山に上がった日の夜、御仏は瑞覚大師と語り、その後もずっとそばにいらっしゃったのです。ひょっとして、その時から悟りの境地にあったとしたら、御仏は悟りを得た者として即身往生をさせたのかも知れません」

 明智が言った。「お大師様は、如来様が献上されてから身罷るまで、毎日幸せだったのでしょう。人が浄土に上るためには幸福でなければならないのでしたね?」

 そして、明智は確認するように呟いた。『まことに、僧の鑑でした』

 素空が言った。「私が御本山に上がる時、瑞覚大師のお名前しか存じませんでした。初めてお会いする時、緊張したのを覚えています。いつも暖かいお心で見守って頂いたことを思うと寂しい限りです」

 素空と明智が語り合っている時、棺は墓所に入った。東院の若い僧達は、身支度を整え棺の到着を待っていた。明智が怪訝な顔で、素空に語り掛けた。「素空様、ここはお大師様が入るべき墓所ではないのではありませんか?」

 明智は何かの間違いだと言わんばかりに、素空を覗き見た。

 素空が言った。「栄覚大師がおっしゃるには、瑞覚大師と墓参した時、墓所はこの辺り、石塔は修行僧と同じ物を、そして、葬儀は華美にならないようにと命じられ、興仁大師もご承知と言うことでした。瑞覚大師は天安寺の悪しき風習を正したいと考えられたのでしょう。嘗て明智様が彼の老僧、高僧を嫌った如く、誰の心にも相容れないと感じることはあるのです。これは僧としての良心のようですね」

 2人が語り終えた時、棺が墓所に据えられ埋葬の1連の儀式が始まり、やがて、棺に土が掛けられ葬儀のすべてが終わった。

 墓所からの帰りに玄空大師が、明智に声を掛けた。

 「明智よ、ご苦労だが近隣の寺に使者を出し、瑞覚大師が即身成仏を果たしたことを伝えてくれないだろうか。きょう大津おおつあたりで飛脚に託すが良かろうが、寺の所在は西院で伺うことじゃ」そこまで言うと、今度は素空に言った。「西院のこととなれば、素空や手伝ってはくれまいか?」

 玄空大師は2人に言った。興仁様とも話し合ったのじゃが、明年4月20日に法要を行うと触れて欲しいのじゃ月後れではあるが、冬に難儀させる訳には行かないのだよ。10日前から逗留できること、また、同行者数や近況などを半年のうちに知らせるよう頼んでおくれ」そう言うと、忍仁堂に戻って行った。

 明智は思った。『墓所の帰り際に素空様が、良円りょうえん悠才ゆうさいの墓参をしなかったのは、私との話で言いそびれたのだろうか?』

 明智がそのことを尋ねると、素空はキッパリと言った。「明智様、実は昨日お3方の墓参はすませていたのです。気になさることはありません」

 素空は声音を変えて改まった口調で語り始めた。「昨日、墓所で禅を組み、天安寺を下りる日を決めようといたしました。その日までにいたさねばならぬことを考えますと、1月後になりそうです。先ずは四神が残した唯一の痕跡とも言える大門の改修をいたします。次に、太一たいちと言う大津の百姓夫婦の子のために、地蔵菩薩じぞうぼさつを祀りたいと思います。最後に、良円様の遺骨を掘り上げ近江八幡おうみはちまんのご実家にお連れいたします。これらのことをすませた時、御仏の御言葉通りとなるのです」

 明智は言葉がでなかった。目が潤み、何やら頭の中で様々なことを考えているかのように、まったく余裕のない表情になった。

 素空が笑顔で言った。「明智様、まだ先のことですよ。これから何度もお会いできるではありませんか」

 明智は、苦笑しながら言った。「まことにお恥ずかしい限りです。瑞覚大師の葬儀でまったく余裕がありませんでしたから…」

 素空が言った。「明智様、私は天安寺を去った後、再び御本山に上がることでしょう。玄空大師の師である、仏師虚空様は何度となく御本山に参っています」

 2人は久し振りに多くを語り合った。

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