四神降臨 その3

 明智は薬師堂の表門に到着すると、2体の仁王尊に経を唱え、2階の櫓に潜むように座した。そこからは境内を挟んで本堂の中も、屋根の上の揺らぎも、その上の天空まで手に取るように見ることができた。既に巻紙には今の時刻とその状況が書き込まれ、見える範囲の風景が描かれた。1度目の稲妻は薬師堂の屋根の向こう側で光ったようだったが、雷鳴と稲光が同時だったところを見ると、天安寺門の2本のうち1本に落ちたようだった。2度目の落雷も同じ場所のようだった。明智は大門の柱の2本共に落雷が直撃したと直感し、そこに何らかの意味があるように感じたのだった。稲妻は黒雲の中で金色の輝きを何度も繰り返し、そのたびに雲の存在を示していた。その時、明智はうねりながら天空を駆け降りる1体の龍を見定めた。龍は10間(18m)ほどの長さだろうか?薬師堂の大屋根にへばり付くように居座った。明智は手早く屋根の上にへばり付く龍を描くと、天から降りて来るさまも描き込んだ。

 『落雷が終わり青龍神がでた後は玄武であろうか?』明智の予感した通り、漆黒の空から大粒の雨が降り注ぎ、境内の中央を池のように水が溢れた。その時、地の底から這いでるように蛇が頭をもたげ、思いっきり伸びたかと思うと、胴の途中から亀の甲羅がでて来た。玄武神は醜い姿を明智の前に晒し、ジッと薬師堂の庫裏の辺りを見遣っていた。明智は境内の真ん中に出現した、畳20枚ほどの池から甲羅をだして、長い首を庫裏の方に伸ばした醜い生き物の図を描いた。その有様は、絵の上部に克明に記された。青龍神も、玄武神も屋根と境内に控えて、更なる使者を待ちかねているようだった。

 何時しか雨が止み、黒雲の下に1本の白い筋が引かれたように降りて来て、初めの柔らかな揺らぎが、強烈な白い帯となってさらに太くしっかりと薬師堂の屋根から、天空の黒雲の先の先まで昇っているようだった。揺らぎの先の黒雲の中が、金色に輝き金色の光を背に乗せた姿の白虎神が降りて来た。白い帯を辿るように揺らぎをかわしながら巧みに駆け降りて、あっと言う間に青龍神の脇の屋根に到着した。

 白虎神は屋根の上で咆哮するような仕草をした。その時、背の上の金色の輝きが仏の姿に変わり白虎神と共に、屋根を引き裂くように瑞覚大師の居室に舞い降りた。

 明智はさすがに驚き、手にした筆を落としそうになったが、それでも気を引き締めて筆を握ると巻紙に、揺らぎの白い筋が大きく帯状になり、白虎神が金色の球を背にして降りて来る姿が描かれた。その次に、金色の球が薬師如来の姿に変わって、白虎神の背に乗って、屋根から舞い降りる姿が描かれた。

 明智は、瑞覚大師の部屋で何があるのか思い巡らした。そして、屋根に戻って来た時、背に乗せた金色の球が瑞覚大師の魂であることを想像した。

 明智が想像した通り、白虎神が屋根の上に戻って来ると、背に金色の球を載せ、揺らぎの白い帯を駆け昇って行った。それに遅れることなく、青龍神も玄武神も中空へと舞い上がって行った。やがて、落雷のあった方角から大きな翼を持った朱雀神が、薬師堂の大屋根の上空で羽を何度か羽ばたかせ、強風を起こしたと思ったら、先の使者達の後を追って上昇して行った。明智は、朱雀神の羽ばたきが櫓に向かった瞬間、目を覆って風を避けた。一瞬のことだったが、目を明けると境内の真ん中にあった池が消え去り、屋根の上にも何の痕跡もなくなっていた。天空は元の青空が広がり、揺らぎも消え、天の上の遠くの方に金色の丸い光が目に入ったが、強く輝いた後、消え去ってしまった。これは瑞覚大師の即身成仏が成就したことを表していた。

 明智は目にしたすべてを巻紙に書き加え、更に細かな姿を描き添えた。周りは既に静寂の中にあり、本堂から聞こえる読経が耳に入って来た。境内の真ん中にあった池は何の痕跡もなく、すべてが幻想のように思えるほどだった。屋根の上を見上げるような仕草をしたが、明智が立ったところからは、瓦までは見えなかったが、ついそんな仕草をせずにはいられなかった。次第に夢か幻のような気がして来たが、手にした巻紙には、これまでの異変が細かく記されていた。明智は表門に戻って、仁王尊に感謝の経を唱えて始めた。

 瑞覚大師の部屋では、金色に輝く亡骸が白虎神の降臨後に輝きを失い、部屋を浮遊していた魂が金色に輝き、白虎神の背に乗って天上へと運ばれて行った。

 白虎神が部屋の天井を降りて、戻るまでの間、部屋の中の者は眼前に信じられない光景を見ていた。畳1畳ほどの白虎神が軽々と部屋に舞い降り、部屋を駆け上がって行ったのだが、音もなく獣の臭いのする風が吹き抜けただけで、目を閉じて経を唱えていた者の中には気付かない者もあった。四神が姿を消してすぐに、薬師如来像が木彫りのままの姿で文机の端に戻って来た。栄垂は、一瞬驚いっしゅんおどろいたがすぐに平静を取り戻して、このことを巻紙の最後の事実として書き加えて筆を擱いた。

 玄空大師が言った。「今、即身成仏は成し遂げられ、御魂は天空の彼方、遥か浄土に昇られたようだ。亡骸を弔うため、これより通夜の準備をいたしましょうぞ!」

 興仁大師は穏やかな顔で頷いた。瑞覚大師の葬儀は西院の僧達によって行われ、通夜、葬儀共に薬師堂で行なわれる予定だったが、興仁大師の意向で東院の司式に替わった。何よりそれは、瑞覚大師が永年東院の貫首を務めていたからだった。

 玄空大師が言った。「素空や、四神を見定めたかな?」

 素空が言った。「はい、赤い舌の白虎神が御仏を背に乗せ、音もなく舞い降り、替わって、瑞覚大師の御魂を背に乗せ天空にお戻りなさいました。私はこれより四神のお堂に参りたいと思いますので、これにて失礼いたします」そう言うと、薬師堂を出て行った。境内を抜け、仁王門まで来た時、明智と出会った。素空の後を追うように栄垂が明智のところに遣って来て、瑞覚大師の遺志を伝え、部屋の様子を具に書いた巻紙を手渡した。

 素空は2人に白虎堂に行くと告げて別れた。途中、天安寺大門の前を通る時、2度の落雷が高い門柱に落ちたことを知ったが、構わず白虎堂に向かった。

 白虎堂では既に僧達が経を唱えて境内に出て来ていた。白虎像を本堂に運び込むべきか考えていた。そこに素空が遣って来たので答えを求めた。

 素空が言った。「先ほどすべてが終わりましたので、白虎像の役目も終わりました。四神は本堂にお運び頂いて結構です」素空は白虎像に変わったことがなかったか僧達に尋ねた。僧達が本堂で経を唱えている中で、そんな僧がいる筈はないと思いながら、わらにもすがる気持ちで尋ねた。

 僧達の中で、年長と思われる僧が手を上げた。名を普延ふえんと言う老僧で、幸運にも小便が近く、日に何度も厠に行かなければならなかった。更に幸運だったことに、かわやは本堂をでて境内を見ながら用を足せる場所にあったのだ。

 「わしは本堂をでて境内の真ん中を見ると、外は薄暗く稲妻が雲の中で輝いていたよ。薄暗かったが、安置した場所に白虎像がなかったのをハッキリと見たのだよ」

 普延は少しおどおどしながら答えたが、誰も否定する者はいなかった。そして、更にひとこと付け足した。「本堂に戻って来ると、本堂の中に置いていた白虎像も姿を消していたんだよ。その後は皆と経を唱えていたので、いつ戻って来たのかも分からなかったのだよ」

 素空が言った。「普延様、ありがとうございました。次は黒い白虎像も外に祀らなければならないようですね」素空は、そう言うと白虎堂を出て、玄武堂に行った。玄武堂では、宋隻大師そうせきだいしが既に玄武像の前に立って、4人の僧に本堂に運び入れるよう指示していた。素空は、宋隻大師に同じことを尋ね、宋隻大師は玄武像が暫くの間消え去ったと言う者がいることを伝えた。

 素空は礼を言うと、今度は青龍堂に向かった。喜仁大師きじんだいしの指示で既に本堂の傍らに安置されていたが、ここでも黒雲の出ている間青龍像が姿を消したそうだった。朱雀堂でも姿が消えて、空が明るくなってから戻って来たそうだった。

 素空は、四神が仏の使者として働く時、籠った霊が四神像と1体になって現れることを知った。つまり、明智が見た四神は仏の指示を実行するための形に過ぎないと思った。素空は呟いた。『天安寺において、即身成仏の使者を四神が司ることが、単なる使者の形に過ぎないと言うことだったのだ。別の場所では天女が迎えることも、天部が迎えることもあり得ると言うことだったのだ』

 素空は、四神と言うものが、人に形を示すための仏の計らいだったと結論した。

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