四神降臨 その2

 玄空大師は淡戒たんかいからの知らせを直に聴くと、明智と栄雪を呼び、それぞれに指示をだした。明智は薬師堂の仁王門に籠り、これから起こる瑞覚大師の即身成仏の有様をすべて記録に残すことを命じられた。栄雪は、明智の代わりに東院の僧全員に知らせをだし、それぞれの本堂で経を唱えるよう触れ回ることを命じられた。

 天安寺では多くの老僧や高僧がそれぞれのお堂に身を寄せていたが、各お堂の住職を除く老僧、高僧が忍仁堂に遣って来た。

 玄空大師が言った。「早朝、瑞覚大師が身罷られたが、即身成仏であったことを伝えおきます。お身は金色に輝き、御仏の使者を待つばかりです。私は司書の崇慈大師すうじだいしと共に薬師堂に参ります故、皆様方は異変が治まるまで、この本堂で御本尊様に経を捧げ続けて頂きます。よくよく頼みましたよ」

 老僧の1人が問い掛けた。「異変とはどのようなことでしょうか?」

 皆が一斉いっせいに首を上下して同意し、玄空大師が答えて言った。

 「即身成仏を果たした瑞覚大師は、四神のお迎えと共に浄土に上がるのです。その時雷鳴と黒雲と降雨があり、最後に強風が吹く筈です。この強風が治まる時、瑞覚大師の御魂は御仏のもとに召されるのです。また、薬師堂への弔問は正午を過ぎてから明後日の辰の刻(午前8時)までといたしましょうぞ!」

 暫らくして、玄空大師は崇慈大師と共に、正装をまとって薬師堂に向かった。

 西院では、興仁大師に知らせが届くと、樫仁かじんを始め釈迦堂の僧達に命じて、各お堂に知らせを出し、それぞれ本堂で経を唱えるよう申し付けた。

 素空が知らせを聴いたのは、興仁大師の供として薬師堂に赴くことを告げれれた時であり、四神のお堂がかねての申し合わせ通り動いてくれることを願った。

 四神のお堂では、早速それぞれのお堂の神獣を境内に出そうとしていた。

 青龍堂せいりゅうどうでは、喜仁大師きじんだいしが経を唱えながら境内の真ん中に運び出し、南向きに安置した。玄武堂げんぶどうでは宋隻大師そうせきだいしが同じ様に経を唱えながら、黒檀こくたんの重厚な玄武神げんぶしんを4人の僧に抱えさせて、境内の中央に南向きに祀った。

 朱雀堂すざくどうでは譲與大師じょうよだいしがこれも経を唱えながら運び出そうとしたが、若い僧達が4人掛かりでも微動だにしなかった。譲與大師は訳が分からず焦った。

 「時は急ぐのじゃ。皆経を唱えながら心を込めてお抱えいたすのじゃ」

 僧達は皆、懸命に力をだしたが、どうやっても動くことはなかった。

 白虎堂びゃっこどうでは、高善大師こうぜんだいしが2体の白虎神を運び出そうとしていた。黒い舌の白虎神は既に境内の中央に安置されたが、赤い舌の白虎神は何人掛かりでも動かせなかった。高善大師は焦りながらも、経を唱えながら願いを込めて若い僧達を励ました。焦りは焦りを呼び、既に小半時(30分)があっと言う間に過ぎ去った。

 素空が朱雀堂からの知らせを聴いたのは辰の下刻たつのげこく(午前9時)に近い頃だった。既に興仁大師のお供として薬師堂に行くばかりだったが、そこに、譲與大師の遣いが、釈迦堂の素空に助けを求めて来た。

 素空が言った。「貫首様かんじゅさま、私は四神の様子を見に参りますので、薬師堂で後ほどお会いいたしましょう。薬師堂にはいられたら、本堂ではなく瑞覚大師の枕元で経をお唱え下さい。部屋には如来様がお隠れの筈ですので、再び現れなさいますまで経が途切れぬようお唱え下さい」

 素空はそう告げると朱雀堂に向かった。朱雀堂で譲與大師に説明を受けると、暫らく考えを巡らした後、他のお堂の様子を調べるように頼んだ。その時、白虎堂からの遣いが素空に助けを求めに来た。話を聴くと黒い舌の白虎像は境内に運んだが、赤い舌の白虎像はびくともしないと言うことだった。

 素空は考えた。『四神の要は白虎神にあり』我知らず考えの先を言葉にした。

 素空が言った。「譲與様、私は白虎堂に参りますので、朱雀神のことは白虎神のことが解決しなければ叶わぬことのようです。なぜなら、四神の登場には順序があるからで、先ず青龍神が現れ、次に玄武神、次に白虎神、最後に朱雀神の順になります。恐らく白虎堂で何かの手違いが生じたのでしょう。暫らくして、もう1度運び出して下さい」

 素空が言い残して白虎堂に向かって間もなく、使いの僧が帰って来て報告した。聴き終えると、譲與大師は感心したように呟いた。『素空の考えの深さには驚くばかりだ』譲與大師は、素空が青龍堂と玄武堂の像が既に境内に運ばれたことを知っていたように感じていた。

 素空は白虎堂に入ると、すぐに高善大師に目通りした。

 素空が言った。「お大師様、外の白虎像を御本堂にお戻し下さい。その後赤い舌の白虎像を境内の中ほどにお祀り下さい」

 高善大師は素空の言葉に従った。すると赤い舌の白虎神がスッと持ち上がり、境内の中央に納まった。

 やがて、朱雀像も境内に運ばれ、四神がすべて揃った。

 素空は、興仁大師に遅れること小半時(30分)、薬師堂に到着した。

 天安寺のすべてのお堂で経が響き始め、薬師堂では、興仁大師こうじんだいし玄空大師げんくうだいし栄覚大師えいかくだいし瑞覚大師ずいかくだいしの枕元で一心いっしんに経を唱えていた。淡戒たんかい胡仁こじん栄垂えいすいもその後に付いて経を唱えた。巳の刻みのこく(午前10時)になって、朝からの晴天が俄かに掻き曇り、天安寺を覆うように黒雲が湧き立ち始め、玄空大師が呟いた。「皆様、お迎えがお出ましのようじゃ。何があっても経を絶すことのないように。よろしいかな?…」

 一同いちどう、緊張した面持ちで頷いた。天安寺のすべてのお堂で、異変の前触れのような黒雲に、息を潜めて経を唱えていた。

 突然、天を引き裂くような雷鳴が響き、稲妻が光った途端、天安寺のどこか近いところに落雷した。

 ここから、四神降臨が始まるのだが、それとは別に黒い舌の白虎像もまるで生きている白虎の姿になって、世に現れたのだった。白虎堂の僧達は本堂で一心に経を唱えながら、瑞覚大師と四神に籠った霊達の浄土への旅立ちを祈願し、仏への感謝の心を表した。しかしそれは、四神降臨の時にのみ現れる、黒い舌の白虎神を活性させる経でもあった。黒い舌の白虎神は仏が送った悪鬼の化身となって、この数日来に身罷った国中の死者の中で、地獄に堕ちるべき者達を確実に地獄の炎へと導くために、縦横に働いた。国中のどんな片田舎であっても、何千何万の死者の中からでも、地獄に導くべき者達を確実に堕として行った。それは、瑞覚大師の即身成仏の日にしか現れない、仏の怒りの姿のようでもあったが、現世の誰もそのことを知ることはなかった。素空も、玄空大師も同様、四神の降臨の表の姿を見るだけで、裏であるこの姿を知ることはなかったし、知る必要もなかったことだった。

 その昔、忍仁大師が描いた姿がこれだとしたら、即身成仏を果たす者が多ければ随行の使者となって浄土を踏む者が多くなり、地獄に堕ちるべき者を確実に地獄の炎へと堕とすことになるのだった。

 忍仁大師は地獄に堕ちるべき者がこの世の片隅に残り、鬼に取り付かれて現世の民に悪を行うことを決して赦すことはなかった。忍仁大師の遺志は天安寺では果たされることはなかったが、この世の鬼を滅殺する天聖宗の僧はその遺志を継いでいた。素空はその術を身に付け、天安寺を下りた後、人の癒しばかりが僧の務めではないことを知ることになるのだった。

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