お召しの日 その5

 素空は、玄空大師に従って青龍堂に戻って来た。玄空大師が予感したように、青龍像は緑色の鱗をくねらせ、時折口を開け閉めしながら2人の僧を眺めた。

 2人は合掌すると、玄武堂に向かった。

 玄武像も同様に生きた玄武神に変身していた。想像上の生き物が、ここでは真実の姿となって醜く蠢き、亀の硬い甲羅に守られた蛇の体は、それだけで近寄り難い畏怖を備えていた。

 2人は合掌すると白虎堂に向かった。白虎像は既に白い毛で覆われ、牙を剝きだしながら咆哮するかの如く首をうねらせていた。凶暴な風貌のせいでこれ以上近寄ることはできなかったのだが、素空は悠才の霊に語り掛けた。

 「悠才様、お答え下さい。黒い舌が動きだす時は、どのような仕儀となるのでしょうか?」素空は黒い舌の白虎像を横目で見ながら更に問い掛けた。

 「悠才様、黒い舌が動きだす時は他の四神は目覚めるのでしょうか?また、どのような時に動きだすのでしょうか?お答え下さい」

 白虎神は台座から降りて、素空の方を向いた。後ろ足を曲げて座った姿は、やしろ狛犬こまいぬのようだった。

 悠才の霊が苦しそうに声を出した。「素空様、既に変身いたし、言葉を交わすことはこれが最後となりましょう。お尋ねの黒い舌は、死者を悪鬼あっきと共に地獄に運ぶ役目を与えられています。四神がすべて揃うのは、即身成仏の時に限られているようです。その時以外は四神が現れることはありません」そう言うと、悠才の霊は元の台座に戻った。

 玄空大師が言った。「瑞覚大師が即身成仏を果たすことは、想雲様から聴いていたが、即身成仏の時にのみ四神が動くとは知る由もないことであった」

 素空が言った。「お大師様、それにしても天安寺に四神のお堂を建立し、四神像を祀ったお方は一体いったいどのようなお方であったのでしょうか?」

 素空は仏道を越えた四神の存在を寺に持ち込んだ僧が、一体どのような者か気になり始めた。

 玄空大師が言った。「西院の興仁大師に訊いてみてはどうかな?想雲様が言うには、忍仁大師の即身成仏の時が始まりであると言うことだったが、その後、四神のお堂を造り、四神像を建立して祀ることを決めたのは後のことであるが、さて、今となっては調べ上げることは難しいと思うよ」

 2人は白虎堂からでて来ると、素空は釈迦堂に、玄空大師は薬師堂に向かった。

 素空は、興仁大師に目通りすると、釈迦堂の書庫で天安寺の歳時記に相当する書物を捜し始めた。しかし、書庫ではそのような書物は見つからなかった。

 素空は、興仁大師に礼を言うと、正倉しょうそうに向かった。ちょうど憲仁大師けんにんだいしがいたので、用向きを伝えると、正倉の西側の書棚に案内された。

 憲仁大師が言った。「素空よ、ここは忍仁大師と天安寺の高僧についての記録を保管する書棚で、その下が忍仁堂から薬師堂までの建立されたお堂の由来や図面や掛かりに関する記録を収めたものなのじゃが、この中に手掛かりがあるじゃろうから、維垂いすい臥円がえんを手伝わせようぞ」そう言うや、正倉を出て行った。

 暫らくして、維垂と臥円が素空の前に現れ、手伝いたいと申し入れた。素空は、自ら忍仁大師と高僧の記録を調べ、2人には四神のお堂に関する書物を調べて欲しいと頼んだ。

 素空は、忍仁大師の資料の中で、臨終の様子を記述した部分を見付けだした。そこには、即身成仏を果たした忍仁大師を、天上からの出迎えの四神と共に、浄土に上がったと記されていたが、四神に付いてはこれ以上の記述はなかった。素空は一通ひととおりその書物を読み終わると、次々に書物を手に取り始め、頁をペラペラとめくり始めた。維垂と臥円は素空の仕草に奇異な思いがしたが、それぞれの仕事に専念した。素空は既に5人目の高僧の書物を手に取っていた。

 「ありました。四神の由来に関する重要なことが記されていました」素空の声が響いた。すると、『四神のお堂の由来はここにあります』と維垂の声がした。

 3人は、それぞれ自分の探し出した資料を披露した。

 先ず、素空が言った。「500年ほど前のことになりますが、有仁大師うじんだいしと言うお方が、兄弟子に当たる至円大師しえんだいしの臨終の時に、天上から四神が現れたことに触れており、そのことがもとになって青龍堂が建立されたそうです」

 すると、青龍堂の記録簿をひもといていた臥円が言った。「素空様、青龍堂の記録にもそのことがしるされています。長元ちょうげん2年(西暦1029年)に西院の貫首だった至円大師の記述の中に、四神像と青龍堂の建立を決められたそうです。青龍堂に続いて他のお堂の建立もこの頃決められたそうですが、このことは、至円大師の夢枕に忍仁大師が現れて願いを伝えられたと記されています」

 素空が言った。「そのようですね。至円大師の記録簿の中でも、四神のお堂の建立は、忍仁大師のご指示を受けたことをハッキリ記されています。こちらは、有仁大師の記録簿の一節いっせつですが、『四神が現れる時、天上てんじょうにわかに曇り、雷鳴が轟き渡ると青龍神が降りて来て、黒雲の中から大粒の雨が降り注ぐ地上に、玄武神が現れ、即身仏となった至円大師の眠る屋根の上に赤い舌の白虎神が現れたかと思うと、屋根の上が揺らぎだして白虎神が屋根から寝所に潜り込み、即身仏となった至円大師の魂を背に乗せて、天上高く運び上げ、最後に朱雀神が羽ばたき、その風で今現れたすべてのものを掻き消してしまった』と記されています」

 維垂が言った。「白虎堂の記録を見ると、四神の中で白虎神が要となる神獣で、天安寺の僧の臨終の時に形を変えて現れる、と記されています。恐らく、1つは素空様が今おっしゃった姿でしょうが、他の姿とはどのような姿でしょうか?」

 素空が言った。「維垂様、それは死者を地獄へと運ぶために悪鬼と共に現れるのです。形が変わるのではなく、舌の色が黒いことだけが変わったところなのです」

 臥円が言った。「素空様、黒い舌の白虎神が現れた様子を記した書物を捜さねばなりませんね」

 すると、素空が言った。「それは、私の知りたかったことの1つですが、先ずは、瑞覚大師の臨終の時に四神が現れることを考えると、黒い舌の白虎神のことは後回しにいたしましょう」

 素空はすべての始まりが、忍仁大師の思いの通りに成し遂げられているように感じた。700年近い時が流れても、天安寺のいたるところに忍仁大師の心が息衝いていることは否定できないことだった。500年ほど前に、至円大師の夢枕に立ったと言うのは疑うべくもないことだった。素空は、即身成仏を成し遂げた者が、仏の降臨と同じく現世に現れることができることを信じた。

 そして、素空が四神に関する記録を調べた日の翌日が、瑞覚大師のお召しの日になったのだった。

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