お召しの日 その3

 素空は玄武堂げんぶどうを訪れ、玄武像の前で経を唱え始めた。法垂ほうすい黒檀こくたんで彫り上げた玄武像は、独特の風格を備え、素空の経の響きで今にも動きだしそうだった。

 四半時しはんとき(30分)経った頃、玄武像に籠っていた霊が素空に問い掛けて来た。

 「あなたは、私を天安寺にお連れ下さったお方ですね。私の名は一泉いっせんと申します。あの塚を通りかかった人は数えきれないほど多く、その殆んどが修行僧でしたが、私を運び出せるお方は現れませんでした。あなたは一体いったいどのようなお方なのでしょうか?」

 何時しか経は止んで、素空が一泉の問いに答えた。

 「私の名は素空と申します。天安寺で修行をいたしておりますが、もう暫らくするとご本山を下りることになっています。一泉様のことは、我が師玄空が彫り掛けの毘沙門像を、想雲大師そううんだいしに捨てるように命じられ、その後天安寺を下りられたことを存じております。一泉様と、我が師玄空との因縁が私を介して天安寺までお連れしたものと思います」

 「あなた様が素空様ですか?そのような因縁があろうとは存じませんでした。しかしながら、私を運ぶことは悟りを得たお方でなければ成し得ないのです。素空様が如何に仰せでも、悟りを得たお方であることには間違いありません。現に御仏に使命を告げられた者には、素空様が御仏と違いないことを見取ることができるのです」

 一泉の霊は、素空が特別な僧だと言うことを見抜いた。そして、白虎像びゃっこぞうの中の悠才ゆうさいと言葉を交わしたことも知っていた。

 一泉いっせんの霊が尋ねた。「素空様は、何故私のところにおいでになったのでしょうか?私が玄武像の中でお召しの日を待っていることをお知りになって、一体どうなさるおつもりですか?」

 素空が答えた。「私が一泉様のもとに参ったのは、四神ししんと言う、人が作り出した神に霊が宿り、お召しの日に重要なお働きをすることに興味があったからです。私はお召しの時、悠才様がどのようになるのか、大きな責任を持っていると思います。生ある時に浄土に召されることを予想し、悠才様を励まし続けました。それが現実のものとなることは、私にとって最も大切なことなのです」

 素空が言うと、一泉の霊が語り始めた。

 「御仏はお召しの日の使命を御告げ下さっただけでしたが、その後、四神の中の霊は互いの思いを交わすことができるようになったのです。想雲大師は生前とは別人のように変わられ、四神の最後に現れる朱雀神すざくしんとなられ、私達の使命を具体的にご説明して下さいました」

 一泉は一息吐ひといきついて語り続けた。「素空様がかねてより仰せの通りになるものと、私も思います。私達3名の僧は、過去に罪を犯し生あるうちに深く悔恨したのです。死する時にこの世に思いを残し、霊となってこの世に留まったのですが、御仏は瑞覚大師のお召しの日を私達の救いの日にして下さるのです。つまりその日、私達は御仏の御慈悲を受けるのです。いえ、もう既に受けているのかも知れません」素空は、一泉の晴れやかな声を聴きその表情まで見えるような気がした。素空は、仏罰を下した者に対しても、深い心で救済の手を差し伸べている仏の慈悲に感謝した。素空はここに至ってすべてを理解した思いだった。やがて、一泉の籠った玄武像を離れて、青龍堂を訪ねることにした。

 青龍像せいりゅうぞうに籠った角松屋久兵衛かどまつやきゅうべえは1本目の経が終わらないうちに姿を現した。

 「あなた様が素空様でしょうか?お待ちいたしておりました。私は角松屋久兵衛と申します。陽善寺の檀家世話役を務めておりましたので、ご住職や、岩倉屋さんからお噂を伺っておりました。こうしてお会いできたことは本当にうれしい限りです」

 「先ほど一泉様とお会いして、四神にまつわる謎が全て解けた思いでした。角松屋様には間もなく浄土に上がることになるでしょうが、天安寺への『釈迦講しゃかこう』に対して思いを残すことは、もはやないのでしょうか?このことが気掛かりでしたので、それだけお教え願いたいのです」

 「素空様、手前は霊となったすぐ後に、風に運ばれて天安寺に参りました。これは後になって気付いたのですが、御仏の御計らいと言う御慈悲を受けたのです。『釈迦講』に思いを残したことにはもう何のこだわりもありません。それより、天安寺に上がり、素空様とお会いしたことが何よりの喜びなのです。『釈迦講』の目的は、御本山に参って徳の高いお坊様の読経や講和を伺うことでした。素空様とこうしてお話ができることはそれ以上の喜びなのです」

 角松屋の言葉をキッパリと否定して、素空が言った。

 「角松屋様、私などまだまだ未熟者です。明日、東院の貫首様かんじゅさまで、私の師である玄空大師をお話し相手にお呼びいたしましょう。角松屋様も必ずやご満足頂けるものと存じます」素空はそう言うと、明日の約束をして角松屋の霊と別れた。

 素空は3体の霊と会うために全霊を傾けたせいか、青龍堂を出たところで思わず座り込んだ。人と会ってこれほど疲れたことはなかったが、相手が霊となればこれほど疲れるものかと思い知らされた。青龍堂の門前に置かれた石の上に腰を下ろして暫らく瞑想した。体の奥深いところにあった疲れが徐々に解けて行き、眼前に、来た時と同じ青龍堂の景色が広がった。素空は力を回復して朱雀堂すざくどうに向かって歩み始めた。

 素空は朱雀像の前に座して経を唱え始めた。朱雀像は悠才ゆうさいが彫り上げた時と趣が変わっていた。3本の経が朱雀像に籠った想雲大師そううんだいしをの霊を目覚めさせた。

 「そなたは素空であるな?わしは想雲大師と呼ばれたことのある、一介いっかいの僧であるよ。わしは生前、僧にあるまじき心と行いによって、地獄の苦しみに堕ちるところだったが、仏罰を受けて回心したのだよ。だが既に玄空は寺を下りており、謝るべき相手を亡くしたばかりか、毘沙門像びしゃもんぞうは見つかることがなかったのだよ。わしは、仏罰を受けた後に貫首かんじゅの座を退き、名を戒意かいいと改め、2年後に失意のうちに身罷ったのだよ。毘沙門像が見つかり、玄空が天安寺に戻った今、玄空に謝罪することのみが、わしの願いとなったのだよ」想雲大師は心の中に、未だに解けぬ心残りを持っていた。

 素空が言った。

 「お大師様、明日我が師玄空大師の都合が良ければ、お連れいたしましょう」

 「おお、…」想雲大師の嗚咽のような声が響いた。想雲大師の霊は自由に動きだすことができず、この30年間葬られた棺の中で苦しみ、過日玄空大師が墓参に来た時は、身動きができない闇の中で嘆き続けていた。

 素空は朱雀像に深々と頭を垂れて朱雀堂を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る