お召しの日 その2
素空は
素空は経を唱え始めた。本堂に素空の声が響き、うねるような波となって四方に広がった。
高善大師が、若い僧達に言った。「皆、素空の声をよく聴くのだよ、これほどの経を唱えられるのは、天安寺の数多の僧の中で、
素空が3本目の経を唱え始めた時、赤い舌の白虎像が僅かに揺らぎ始めた。素空は経を最後まで唱えると、なおも揺らぐ白虎像を見定めた後、囁くように語り始めた。
「悠才様にお伺いしたいことがありますのでお出まし下さい。既に私の経が届いている筈です。どうかお出まし下さいませ」
素空は念ずるように、悠才の霊に語り掛けたその時、揺らぎが大きくハッキリしたかと思った瞬間、霊が声を発した。
悠才の霊が言った。
「素空様、私です。変わり果てた姿になりましたが、思いは以前と変わることころはありません。私がここにいることをどうして分かったのでしょうか?」
素空が答えた。「悠才様が白虎神の姿で現れることは分かっていました。しからば、霊は白虎像の中に籠められていることは容易に想像できました。ところで、身罷られた後のことをお話し願えませんか?」素空は最も興味を抱いたことを質問した。
「私が枝の下敷きになった時、その様を霊となった私が見ていました。暫らくして、胸に抱えた筈の如来様が闇の向こうから私を御呼びになったので、私は風に乗って
《これより赤い舌の白虎像に籠りて、時の来るを待つのです。やがて、白虎神となりて天上に参るでしょう》
その時からこの中に籠っていますが、自分の力で出入りすることは叶いません」
素空が気遣わし気に声を掛けた。「白虎像の中でじっと待つのは苦しくはありませんか?」
「不思議なことですが、生きている時の感覚はありませんから、どのように狭いところでも入り込めると思います。肉体を失ったことに特別な感情もなければ、この境遇を憂えたこともありません。御仏の御言葉に従っていることが理由の1つでしょうが、何より、ここを出ることに却って不安を感じるほどです。また、霊となっても変わらぬものもあるのです。私の思いや考えは以前と何ら変わりありません」
素空はジッと耳を傾けて、悠才の言葉を心に刻んだ。
素空が尋ねた。「他のお方のことをご存じでしょうか?」
「素空様、霊となって、御仏より使命を頂いた時、私も含めた4人が互いを感じることができました。どうやら、私が1番の新参で永いお方で30年、新しいお方では半年前からになります。素空様が、回峰行の帰りに、連れて来られた
悠才の霊は更に語った。「3人目は
素空が尋ねた。「悠才様には、瑞覚大師が召される日がお分かりですか?」
悠才の霊が答えた。「いいえ、その時は私達には分かりません。お3方がそれぞれ四神の像に籠められたところを見ると、お大師様のお召しの日は間近に迫っていると思います。…素空様、霊となった時から、時の感覚がすっかり変わって、どんなに月日を重ねたところで1日にも満たないような感じです。時はあってないが如く幸福な者を永遠の福楽に誘い、悪人を終わることのない地獄の苦しみに堕とすことを、霊になった今、実感を持って理解できました」
悠才はここで悲しい口調で、素空の端整な顔をジッと見ると呟くように語った。
「私達は、御仏に使命を頂き、間もなくこの世から召されましょうが、天上に上がれぬ多くの霊は冥府を彷徨い、あるいは現世に留まり、果てしない時を彷徨うのです。憐れと言えばこれほど憐れなことはありません」
素空が頷きながら言った。
「しかしながら、人の多くが冥府を彷徨うのです。御仏に倣いて浄土に近付くよう心して生きねばなりません」
素空がそう言った時、悠才の霊が言った。「私が瑞覚大師と共に浄土に上がれるならば、それは素空様のお陰です。私がこうして白虎像の中に籠っている時も、希望と期待で幸せなことをお伝えしたいのです」
素空は、この言葉で悠才の浄土への約束が叶ったように思った。
素空は、暫らく悠才の霊と語り合い、白虎堂を後にした。
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