四体の霊 その6

 瑞覚大師ずいかくだいし睦月むつき(1月)の晦日みそかに最後の務めを果たそうと考えた。

 「栄垂えいすいや、墓所に参りたいと栄覚大師えいかくだいしに伝えておくれ。急ではあるが最後の勤めをせねばならぬとな…」

 栄覚大師はすぐに輿こしの用意をさせ、火鉢ひばちを載せて瑞覚大師の願いを叶えた。

 墓所に着くと瑞覚大師は輿を降り、栄覚大師だけを伴ない墓所の中央に向かって歩いた。途中はすべての僧達のために経を唱えながら、想雲大師そううんだいしの墓前まで遣って来た。瑞覚大師が振り返り、栄覚大師に向かって語り始めた。

 「栄覚や、このお方は想雲大師と言って、30年前に玄空大師げんくうだいしが天安寺を去った原因を作ったお方なのじゃが、罪を持って身罷ったお方ではあるが、玄空もわしも既に赦しているのだよ。わしは玄空が天安寺に戻った時、2人で墓参したのだが、今になってわしはそれが故の罪を犯したことに思い当たったのじゃよ。それは、玄空が去ってから随分永くこのお方を恨んだままの我が心を省みなかったのじゃよ」

 瑞覚大師は一息吐ひといきついてまた語り始めた。「わしはこの墓に額ずき、想雲大師に詫びなければならぬと思ったのじゃよ。我が罪を償うためにな…」

 瑞覚大師はジッと目を閉じ更に語った。

 「わしは想雲大師を赦したと言う傲慢の罪を持ったまま死するところであった。若い頃に恨んだ心の穢れに気付きもしないままにな。栄覚よ、わしが召された後、想雲大師が地獄の苦しみから救われるよう祈ってはくれないだろうか?わしは毎日そのために経を唱えているのじゃが、わしには時がないのじゃよ」

 瑞覚大師が語り終えると、栄覚大師は深く頭を垂れて師の心を受け入れた。

 瑞覚大師は、想雲大師の墓前で経を唱えた後、高僧の墓とされる中央の墓石群を遠目に見ながらキッパリと言った。「わしの最期の頼みと思って聞いて欲しいのじゃが、我が墓を墓所の入り口近く、斜面の修行僧と共に葬って欲しいのじゃよ。墓石も修行僧と同じ物を用いて、くれぐれも華美にならぬようにして欲しいのじゃ」

 栄覚大師は驚きながらも、瑞覚大師の意向を受け入れた。

瑞覚大師の思いは理解できたが、この突飛な頼みは栄覚大師を悩ませた。『先ず、興仁大師こうじんだいしに報告しなければならないが、玄空大師にもご意見を求めた方が良いようだ』あれこれ考えたが、栄覚大師はこれ以上思い悩むことなく瑞覚大師の傍らに控えた。

 2人が墓所の出口まで来た時、一陣いちじんの風が2人の間を吹き抜けた。

 【カーツ】

 栄覚大師の声が墓所に響き渡った。随行の僧達が駆け寄ると、瑞覚大師が笑みを浮かべて語った。「皆、案ずることはない。墓所の中から僧の霊が駆けて行っただけで、悪さをするものではないようじゃ」

 栄覚大師が、風のように抜けて行った方向を見ながら言った。「お大師様、あの霊はどなたの霊でしょうか?お大師様か私のどちらかに関りがある霊でしょうが、お心当たりはありませんか?」

 瑞覚大師は暫らく目を閉じ、何やら深く考えていたが、やがて、眉根を寄せて答えた。「栄覚や、わしが想雲大師の墓前で詫びたことは、傲慢の罪だと気付いたからだが、今初めて、もう1つの罪に思い当たったのじゃ」

 栄覚大師は果たしてどのようなことかと、答えを待った。すると、瑞覚大師は自嘲するような顔をして語り始めた。「皆、近くに来なさい。僧としてこれから永く御仏の道を歩むのであれば、我が罪を皆の心に留めて、時折自戒をするが良かろう」

 瑞覚大師は前置きをして更に語り継いだ。

 「わしは想雲大師を恨んでいたが、その思いの余り、死したれば地獄に行くであろうと勝手に断じていたのじゃよ。わしが傲慢であったことに思い至った時、墓に額ずくことで贖罪したと決め込み、もう1つの罪に気付かぬところであったのじゃよ。わしの邪推が想雲大師を勝手に地獄に落としてしもうたのじゃ。今、風となって通り抜けた霊は、恐らく想雲大師の霊であろう。そうであれば、想雲大師は30年の間、霊となって天安寺の墓に留まっていたようじゃ」栄垂や淡戒たんかい胡仁こじんと、輿の担ぎ手の西院から加勢の2人の僧は、霊と言うものを始めて体験したのだが、風が吹き抜けただけで漠然とした思いだった。

 「今の風は本当に霊だったのでしょうか?」胡仁がたまらず疑問を口にすると、栄覚大師が神妙な声で答えた。「私には霊の接近がハッキリと分かりました。霊が現れるには何かしらの理由があるのです。お大師様が贖罪のために墓参した時、霊の縛りが解かれたか、何かしらの使命を持つことになったのかも知れません。あなた方が霊と対峙することがあれば、その時ハッキリすることでしょう。私は、霊が向かって来た時に風ではなく霊だと気付きました。あなた方も、私のように向かって来る霊と対峙すると、その存在がハッキリ分かる筈です」

 栄覚大師は暫らく間を置いて、皆に微笑みながら一言付ひとことつけ足した。

 「皆様方に言っておきますが、生者も死者も霊も皆、御仏のてのひらの上に存在するのです。御仏の道を歩む天安寺の僧であれば、誰もが感じ得ることなのです。安心しなさい」

 瑞覚大師の一行いっこうは、薬師堂に戻って行ったが、栄覚大師だけは東院と西院の分かれ道で皆と別れた。

 栄覚大師は、興仁大師に目通りを願って、墓所と墓石のことを伝えた。

 興仁大師は随分長く考えたが、やがて口籠りながら答えた。「栄覚や、もう暫らく考えさせて欲しいのだが良いかな?」

 栄覚大師は、興仁大師の部屋を後にして、忍仁堂に玄空大師を訪ねた。用向きは瑞覚大師の墓所と墓石のことを相談するためだった。

 玄空大師が言った。「瑞覚大師がそう欲するのであれば、わしが異議を唱えることはないのじゃよ。人の上下を定めるのは人なのじゃ。この世においては確かな訳があるのじゃが、御仏の御前では皆等しいのだよ。瑞覚様はどうやら悟りの道に入ったようじゃ。良きことであるよ」

 栄覚大師は、玄空大師の言葉で、瑞覚大師の希望が叶うだろうと思った。

 そして、1つ気になっていることを尋ねた。

 「お大師様は想雲大師のことをどう思われていたのでしょうか?」

 栄覚大師は、瑞覚大師の2つの罪のことを語ってからそう質問したのだった。

 「わしが御本山を下りた時、怒りに満ちた言葉を恥じたのじゃよ。僧として、御仏にのみ仕えるために想雲大師のもとを去ったのじゃが、未熟な己の短気を恥じ、摂津せっつの我が師の許にも戻れぬ思いだったのだよ。諸国を行脚し、伊勢滝野いせたきのに辿り着くまで流浪の日々であったが、僧としては満足な思いだったのじゃよ。従って、天安寺に戻った時、瑞覚様と墓参し、若き日に申し上げた言葉を侘び、戻ることを許してもらうつもりだったのじゃよ。想雲大師への恨みは微塵も持ってはいなかったのだが、瑞覚様は、わしが可愛い余り離別の原因となった想雲大師を恨むことになったのだろうよ。罪と言えば罪であろうが、そのことに気付くことは尊いことであるよ。そして、想雲大師が死するまでの時をご自分の罪の償いに務め、瑞覚様の赦しが想雲大師の縛りを解くきっかけとなったのだろうよ。御仏は、瑞覚大師の往生の時、想雲大師を四神の中に加えるおつもりのようじゃ。これ、御仏の思召しである。とな!」

 天安寺には、素空が予想した通り四体の霊が集まったのだが、まだ、誰もそのことをハッキリとは分からないのだった。

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