四体の霊 その2

 玄空大師は玄武堂げんぶどうの門前にいた。素空から知らされた仏師虚空ぶっしこくうの手になる仁王像が眼前に威容を誇っていた。

 『ウウウ、何とこれはただならぬ邪気を備えていることか?黙殺すれば捕って食うぞと言わんばかりの凄まじい邪気を持ち、立ち止まれば我が心を覗き見るような鋭い眼光を放っている。我が心の内に御仏に適わぬところはないか考えさせられる』玄空大師は仁王像の前で、仏師虚空の意図する通り心を改めた。

 「おお、これはこれは玄空様ではありませんか。門前で立ち止まった姿は、過日の素空を彷彿とさせるようじゃよ。素空もこの門前で立ち止まり、虚空様の意図するところを読み取ったようじゃが、お前様も当然の如くお気付きなされたかな?」突然背後から声が聞こえ、宋隻大師そうせきだいしが現れた。

 玄空大師はすぐに振り向くと、宋隻大師に深くこうべを垂れた後、おもむろに口を開いた。「先日、素空から仁王像のことを知らされて遣って参りました。この御姿は、我が師虚空が手直した物で、見事なでき栄えに感服いたしておりました」

 「何と、虚空様のお弟子であったとは…そして、素空が孫弟子にあたるとは、何と言う因縁であろうか」宋隻大師は驚き、玄空大師を凝視した。

 玄空大師は、言葉を失った宋隻大師のために、素空に言ったと同じことを語った。

 宋隻大師は、仏師虚空がどのような経歴を持っていたのか、これまで考えもしなかったが、玄空大師の言葉によって、玄武堂の表門を守る守護神の彫り手をこれまでより近くに感じられた。

 「玄空様、庫裏にお上がりなさいませ。菓子など進ぜましょう」宋隻大師の誘いに、玄空大師が笑顔で答えた。「門前で失礼するつもりで参りましたが、思いも掛けず宋隻様にお招き頂き、嬉しく存じます」

 玄空大師は、宋隻大師の1歩後ろを歩いたが、本堂の前で立ち止まり本尊の拝観を願った。宋隻大師も僧として当然の如く願いに応じた。本堂には数多の仏像を祀っていたが、3体の仏像に目が留まった。そして、それにもまして、本堂の隅を飾る1体の玄武像に心を奪われた。

 玄空大師が尋ねて言った。「宋隻様、この玄武像は素空が復刻したと言う黒檀こくたんの彫り物ですね」

 宋隻大師は満足そうに笑みを浮かべて答えた。「左様です。素空が申す通り本堂の隅に祀り、天安寺の大事の時に境内に祀ることになっています」

 玄空大師は天安寺の大事の時が、瑞覚大師の往生の時を示し、その日、四神がどのような役割を持つのか知る由もないことだったが、素空の計り知れない知力の裏付けがあるものと想像した。

 四神は仏法の教えにないものだったが、玄空大師は、素空の世界が仏法に留まらないことの表れだと感じた。

 やがて、玄空大師と宋隻大師は本堂で経を唱え、庫裏に座を移した。

 「玄空様、僧として素空のお陰で色々なことを学びました。御仏に倣いて生きていたつもりが、この年になって遠く及ばないところを歩んでいたことに気付かされました。それにしても、玄空様は良いお弟子を育てられましたね」

 宋隻大師の言葉をすぐに打ち消すように、玄空大師が語り始めた。

 「宋隻様、12年前に7才の素空と出会い、10年の間我が手に預かってただの1度も私をがっかりさせることがなかったのです。それどころか、日を重ねるごとに知識が増え、無垢の心で御仏に倣って歩み始めたのです。素空は並外れた頭脳もさることながら、心のありようが御仏の如くあるのです。まさに御仏からの賜りものだと思いながら過ごして来たのです」

 玄空大師が感慨深げに語り終えた時、宋隻大師は、卓越した僧であり、法力を持つと噂される玄空大師が手放しで讃えるのを見て、素空の仏性が如何に高いかを改めて知らされた思いだった。

 玄空大師は庫裏で持て成しを受けて玄武堂を去って行ったが、本堂で目にした3体の仏像が瞼に浮かんだ。虚空の手になる仏像だと言うことは一目ひとめで分かったが、門前の仁王像に込めたような意図がなかった。玄空大師は、師虚空の姿に2面性を感じていたが、彫り物にもそのことが表れていた。普通に見える真の姿を表した3体の仏像と、人の心に入り込むほどの力の籠った仁王像…秘密に包まれた師の行動と共に、過ぎ去った寺での修行時代を思い出していた。

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