第4章 四体の霊 その1

 神無月かんなづき(10月)になって素空が忙しい日々を送っていた時のことだった。素空は回峰行かいほうぎょうの疲れが癒えて、精力的に動いていた。天安寺てんあんじの墓所で良円りょうえん太一たいちの墓参を終えた時、何やら妙な気配を感じた。背後でもなく、見えないところからでもなく、今までに感じたことのない、妙な気配だった。その気配に目を向けると、気配が緩やかに消え、別の場所から気配を感じるのだった。殺気でも邪気でもない、言いようのない重苦しさをたたえているかのような気配だった。

 素空は墓所に眠るすべての僧のために経を唱えることにした。3本の経を唱えた後に気配が消えたことで、その気配が僧の霊だったことを確信した。

 素空は何故この日に限って気配が現れたのか考えた。『身の回りにこれと言った異変はなかったが、強いてあげれば回峰行を終えて初めての墓参だと言うことか?悠才様に仏師としての修行を課していることか?崇慈大師すうじだいしの書庫で幾冊もの書物を借りていることか?はたまた、天安寺の老僧高僧に教えを乞い様々な話を聴いていることだろうか?』

 素空は、気配のなくなった天安寺の墓所で暫らく思いに耽っていた。ふと回峰行の途中の鞍馬山くらまやまでの景色が蘇り、別所べっしょの路傍にあった石積みの塚を思い起こした。

 その塚は何故か鳳来山ほうらいさんに向けて築かれていたため、素空はそのことが気に掛かり、近くのお堂でその訳を尋ねると、30年ほど前、天安寺から下った若い修行僧が行き倒れたのを住職が不憫ふびんに思って塚を立て、天安寺に向けたと言う。

 素空は経を3本唱えて僧の死をいたんだが、僧の名は一泉いっせんと言い両の手に火傷やけどの痕があったと言うことだった。荷物はお堂の裏の墓所に亡骸と一緒いっしょに葬ったのだが、これと言って変わった物もなく、名前の他は一切手掛いっさいてがかりを得なかったらしい。素空は、一泉の霊を自分が天安寺に呼び寄せたと思った。そして、何故かは分からないが、この霊が天安寺に戻る必要があったのではないかと思った。

 素空は、墓参をすませ、悠才の作業場に立ち寄った。そこは釈迦堂しゃかどう薪小屋まきごやの片隅を借りていて、彫り終わった仏像が3体祀られていた。くりやの近くにあったので、日中はひっきりなしに人通りがあったが、夕方からはひっそりとして、悠才が材料を彫る音や、刃物を取り替える音がするだけだった。

 素空の足音がして小屋の戸が開くと、悠才が手を止め笑顔で迎えた。素空は夕方から酉の刻とりのこく(午後6時)まで彫り進め、悠才の彫りを評した後、釈迦堂の宿坊に戻るのだった。悠才はこの日も、素空の彫り方を凝視し、翌日の夕方まで素空の彫りに倣って彫り進めるのだった。

 素空が手本を彫っている時、悠才が言った。「今日は申の刻さるのこく(午後4時)に妙なことがありました。この薬師如来像やくしにょらいぞうの御顔が、まだ粗彫あらぼりなのに毘沙門様びしゃもんさまのお顔に変わったのです。ハッとして見直しましたが、それっきり現れなかったのです。決して見間違いではないと思っています」

 素空は墓所で感じた気配のことがあったので、悠才の言葉を信じた。そして、毘沙門天が現れたとなると、かの一泉いっせんと言う僧はどうやら30年前に毘沙門天を捨てた4人の僧の中の1人だと察しが付いた。素空は自分の推測を、悠才に掻い摘んで説明すると、明日は薬師堂に瑞覚大師を訪ねて、一泉と当時の話をすべて聴かせてもらうことにした。素空の予感が間違いなければ、やがて一泉の霊と悠才はまみえることになる筈だった。

 素空は、悠才が年明けからそう長くないうちに仏に召され、一泉の霊と一体何をなすのか思いあぐんだ。

 酉の刻(午後6時)になり素空と悠才は釈迦堂で夕食を摂った。そこでも悠才は毘沙門天のことを口にした。

 「素空様、やはりどう考えても腑に落ちません。私には分かるのです。私の彫り掛けの薬師如来像の御顔に毘沙門様が現れたのは、私に何か関りのあることのように感じます。私が召される時、御仏ではなく、毘沙門様が現れると言うことではないでしょうか?私が召される日が近まったのでしょうか?何時如何なる時に召されても良いと言う堂々とした境地に至りませんので、心は千々に乱れ、不安と恐れを抱く始末です」悠才は自嘲気味に語ったが、漠然とした自分の死期に初めて不安と恐れを感じたのだった。これまでは、その日が何時だろうと喜んで受け入れることができると言う自信があった筈だった。悠才は自分の覚悟がこれほど脆く崩れるとは思ってもいなかった。

 素空が言った。

 「悠才様、不安や恐れは誰の心にもあり、堅い誓いや決心も時に揺らぐものです。肝心なのは、揺らいだ後の心のありようなのです。元の心に戻るならば揺らぐ心を恥じることはないでしょう。揺らいだままであったり、心変わりをするならば、恥辱の中で生きて行かねばならないでしょう」

 素空は、優しく悠才を見詰めた。

 「悠才様、私達は現世を生き、生を受けてより今この時まで、自分が思い巡らしたことがすべてであるかのように勘違いをしているのです。しかしながら、実は死後の世界こそが、終わることのない魂の生きる、本当の現世なのです。私達はこの世を、御仏の定めた道の通りに生き、死後の永福を求めなければならないのです。悠才様の不安や恐れは現世の思いに囚われているからに他ならないのです。死後の永福を信じ、御仏にすべてを委ねなさいませ」

 素空の言葉に、すっかり意気消沈した悠才が、おずおずと尋ねた。「素空様、お話しはよく分かるのですが、御仏にすべてを委ねるとはどのようなことでしょうか?」

 素空が答えて言った。

 「この世において、親は我が子のためには死をもいとわないでしょう。人が愛する者のためであれば死をも厭わないことはお分かりでしょうが、私達僧はどうでしょうか?日々、御仏に倣いて生きているのであれば、何時召されても本望と言わねばなりません。言い替えれば愛する者のためでなくても、必要であれば誰のためにでも命を投げ出すこと、それができることが、即ち、御仏にすべてを委ねることの証なのです。御仏の御慈悲の心の実践とは、人一人ひとりを愛することの実践なのです。しかしながら、他人のために命を投げ出すことが僧の勤めではありません。生あるうちは御仏に倣いて生き、与えられた命を全うし、やがて御仏に召されることが僧の本分と言えるでしょう」

 素空は優しく微笑み、悠才を励ますように付け足した。

 「悠才様は何も心配することはありません。何故なら、多くの人は死後の裁きのことに付いて不安を持つのでしょうが、悠才様は永遠の安息を約束されているのです。やがて、ハッキリとした予兆があり約束が果たされることでしょう。そして、悠才様は白虎像と共に瑞覚大師の臨終の時に現れ、瑞覚大師の供の中に加わるのだと思っています。悠才様は、御仏に選ばれたお方であることを信じて受け入れることです」

 素空がそう言った時、悠才が尋ねた。「素空様、瑞覚様の臨終の時に現れるとはどのようなことでしょうか?そして、お大師様の供に加わるとはどのようなことでしょうか?」

 悠才は次第に自分の行く末がハッキリしていくことに喜びを感じながら興味を引かれた。この時、不思議なことに悠才は不安や恐れを微塵も感じなかった。

 素空はなおも笑みを絶やさず、悠才の問いに答えた。

 「白虎像が揺らいで薬師堂の宙高く揺らぎが現れた時、瑞覚大師の臨終に関りが生まれると思っていました。また、私が鞍馬山への回峰行をした時、図らずも一泉と言う僧の霊を御本山に連れ帰ったのです。この霊は、我が師玄空大師が御本山を去った後、毘沙門様を捨てるよう命じられた僧の一人で、彼らに仏罰が下った後御本山を下り、鞍馬山で身罷ったのです。魂は御本山に向かい、今なお深い悲しみと共に彷徨っているようです。この霊の存在は、悠才様と同様の使命を与えられていると予感しています。それが確かであれば、あとお2人の霊が現れる筈です」

 素空が話し終えた時、悠才は力が抜けて暫らく口が利けなかった。自分の運命を知ったことより、3人の霊が自分とどのように関わるのかをぼんやりと考えていた。

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