第4章 四体の霊 その1
素空は墓所に眠るすべての僧のために経を唱えることにした。3本の経を唱えた後に気配が消えたことで、その気配が僧の霊だったことを確信した。
素空は何故この日に限って気配が現れたのか考えた。『身の回りにこれと言った異変はなかったが、強いてあげれば回峰行を終えて初めての墓参だと言うことか?悠才様に仏師としての修行を課していることか?
素空は、気配のなくなった天安寺の墓所で暫らく思いに耽っていた。ふと回峰行の途中の
その塚は何故か
素空は経を3本唱えて僧の死を
素空は、墓参をすませ、悠才の作業場に立ち寄った。そこは
素空の足音がして小屋の戸が開くと、悠才が手を止め笑顔で迎えた。素空は夕方から
素空が手本を彫っている時、悠才が言った。「今日は
素空は墓所で感じた気配のことがあったので、悠才の言葉を信じた。そして、毘沙門天が現れたとなると、かの
素空は、悠才が年明けからそう長くないうちに仏に召され、一泉の霊と一体何をなすのか思いあぐんだ。
酉の刻(午後6時)になり素空と悠才は釈迦堂で夕食を摂った。そこでも悠才は毘沙門天のことを口にした。
「素空様、やはりどう考えても腑に落ちません。私には分かるのです。私の彫り掛けの薬師如来像の御顔に毘沙門様が現れたのは、私に何か関りのあることのように感じます。私が召される時、御仏ではなく、毘沙門様が現れると言うことではないでしょうか?私が召される日が近まったのでしょうか?何時如何なる時に召されても良いと言う堂々とした境地に至りませんので、心は千々に乱れ、不安と恐れを抱く始末です」悠才は自嘲気味に語ったが、漠然とした自分の死期に初めて不安と恐れを感じたのだった。これまでは、その日が何時だろうと喜んで受け入れることができると言う自信があった筈だった。悠才は自分の覚悟がこれほど脆く崩れるとは思ってもいなかった。
素空が言った。
「悠才様、不安や恐れは誰の心にもあり、堅い誓いや決心も時に揺らぐものです。肝心なのは、揺らいだ後の心のありようなのです。元の心に戻るならば揺らぐ心を恥じることはないでしょう。揺らいだままであったり、心変わりをするならば、恥辱の中で生きて行かねばならないでしょう」
素空は、優しく悠才を見詰めた。
「悠才様、私達は現世を生き、生を受けてより今この時まで、自分が思い巡らしたことがすべてであるかのように勘違いをしているのです。しかしながら、実は死後の世界こそが、終わることのない魂の生きる、本当の現世なのです。私達はこの世を、御仏の定めた道の通りに生き、死後の永福を求めなければならないのです。悠才様の不安や恐れは現世の思いに囚われているからに他ならないのです。死後の永福を信じ、御仏にすべてを委ねなさいませ」
素空の言葉に、すっかり意気消沈した悠才が、おずおずと尋ねた。「素空様、お話しはよく分かるのですが、御仏にすべてを委ねるとはどのようなことでしょうか?」
素空が答えて言った。
「この世において、親は我が子のためには死をも
素空は優しく微笑み、悠才を励ますように付け足した。
「悠才様は何も心配することはありません。何故なら、多くの人は死後の裁きのことに付いて不安を持つのでしょうが、悠才様は永遠の安息を約束されているのです。やがて、ハッキリとした予兆があり約束が果たされることでしょう。そして、悠才様は白虎像と共に瑞覚大師の臨終の時に現れ、瑞覚大師の供の中に加わるのだと思っています。悠才様は、御仏に選ばれたお方であることを信じて受け入れることです」
素空がそう言った時、悠才が尋ねた。「素空様、瑞覚様の臨終の時に現れるとはどのようなことでしょうか?そして、お大師様の供に加わるとはどのようなことでしょうか?」
悠才は次第に自分の行く末がハッキリしていくことに喜びを感じながら興味を引かれた。この時、不思議なことに悠才は不安や恐れを微塵も感じなかった。
素空はなおも笑みを絶やさず、悠才の問いに答えた。
「白虎像が揺らいで薬師堂の宙高く揺らぎが現れた時、瑞覚大師の臨終に関りが生まれると思っていました。また、私が鞍馬山への回峰行をした時、図らずも一泉と言う僧の霊を御本山に連れ帰ったのです。この霊は、我が師玄空大師が御本山を去った後、毘沙門様を捨てるよう命じられた僧の一人で、彼らに仏罰が下った後御本山を下り、鞍馬山で身罷ったのです。魂は御本山に向かい、今なお深い悲しみと共に彷徨っているようです。この霊の存在は、悠才様と同様の使命を与えられていると予感しています。それが確かであれば、あとお2人の霊が現れる筈です」
素空が話し終えた時、悠才は力が抜けて暫らく口が利けなかった。自分の運命を知ったことより、3人の霊が自分とどのように関わるのかをぼんやりと考えていた。
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