安普請 その3

 翌日、宇土屋喜兵衛は瑞覚大師の部屋に上がり、たたみを剥ぎ、床板ゆかいたを外して床下ゆかしたを検分した。眉根を寄せて不機嫌な顔をしてひとこと言った。

 「お大師様、私が案じた通り、基礎を疎かにしていたようです。山裾に増築するのに基礎をしっかりしていては1月ひとつきではすまなくなるのです。庫裏の外にわしらが掘った溝があったのに、それを越えて増築するのであれば、更に外の山裾に大きな溝が必要でした。大工の棟梁は岳屋さんに進言した筈なんでしょうが指示に従うしかなかったのでしょう…」

 瑞覚大師の横で聴いていた栄覚大師が尋ねた。「宇土屋様、このことは岳屋様もお認め下さるでしょうか?」

 宇土屋は言った。「お大師様、岳屋さんも私も大工の棟梁なのです。してや、仲間内では棟梁達を束ねる元締めと呼ばれるお役を預かっています。床下をひと目見れば認めざるを得ないことはハッキリしています」

 栄至が言った。「宇土屋様は本当の親方でいらっしゃいますから、当然のように仰せのように思います。岳屋様が初めから欲を捨てて天安寺のご用をお請けなさっていれば心配はないのですが…。昨日のおっしゃりようではお認めにならないかも知れません」栄至の言葉で一同いちどうが落胆した。

 正午近くになって、岳屋清兵衛が、棟梁の伊蔵いぞうを伴なって薬師堂を訪れた。薬師堂に上がるとすぐに、瑞覚大師の部屋の床下を検分した。岳屋は眉根を寄せて、伊蔵に顎をしゃくって中を見せた。地面すれすれに頭を下げて何やら見通しているようだった。

 岳屋が小声で言った。『伊蔵さん、あんた偉い間違いをしたようですな。坊さんだけなら隠せもしようが、宇土屋さんが見た後じゃどうにもならぬようですわ』

 伊蔵が血相を変えて言った。『元締め、あっしはここの建て替えなどできはしませんや。ここの仕事は元締めの言う通り1月ひとつきで仕上げたじゃないですか。最初の指示通り、ひと言たりとも間違えちゃいません。今になって岳屋で請け負った仕事を、私共のせいにするとは納得行きませんや』伊蔵の声は部屋の中にも聞こえた。

 岳屋清兵衛は憮然として床下から上がって、宇土屋喜兵衛に言った。「宇土屋さん、この仕事を岳屋清兵衛の仕事と思っていなさるのですか?そうしたら、とんだお門違いですよ。私もお前さんもこの道じゃ名の通った元締めで、あなた方がお困りだから引き受けて、伊蔵さんにでかしてもらったのだが、言わばあなたがしたと同じ仲介をしたに過ぎないのですよ。これは伊蔵さんにも私にも、あなたにも責めがあるように思います。それにお坊さん達にも、早くお知らせ願っていれば、これほどのことにはならなかった筈です」

 宇土屋喜兵衛はあきれて物が言えないほど驚いた。こんな言葉が同業の岳屋の口から出るとは思いも寄らず、居並ぶ僧達に目を合わせてあきれるしかなかった。

 栄覚大師が言った。「岳屋様、おっしゃることは良く分かりました。この床を修繕することは急を要します。貫首様かんじゅさまがご不自由ないよう、1日も早く取り掛かり願いたく存じます。掛かりの方はこれから宇土屋様を交えて決めることにいたしましょう。伊蔵様も、宇土屋様もそれでよいでしょうか?」

 3人は栄覚大師に導かれて薬師堂の庫裏に座った。栄覚大師と向き合うように岳屋と伊蔵が座り、仲を取り持つように宇土屋が座った。部屋の隅には薬師堂の僧、淡戒たんかい胡仁こじんが座りその横に栄至が座った。時折、栄垂えいすいが行き来して客間の瑞覚大師に事の成り行きを報告していた。それは、醜悪な岳屋の言葉を聞かせたくないと言う栄覚大師の配慮だった。

 4人が膝詰めで話を始め、勘定方を務める栄覚大師が口火を切った。

 「岳屋様、先ずは材料を揃えるための掛かりをお知らせ下さい。掛かりに付いてはすべて天安寺が立替えいたしますが、先ほど岳屋様がおっしゃったように、今回の責めは4者で均等に負担して頂きたいのですが、皆様、如何でしょうか?」

 栄覚大師は念を押すように岳屋、伊蔵、宇土屋の顔を見た後、栄至に笑顔を向けた。宇土屋は栄覚大師の考えを察することができなかったが、すべてを委ねることにした。

 岳屋清兵衛が言った。「栄覚大師様、床下の材料のうち10畳ほどが取替えを要します。材料の数は大したことがありませんが、何しろ緊急の調達ですので、相場の2倍は頂かないといけません。後は山からの水が入らないように溝を作り、床下の窪みを均さなければいけませんが、お坊様方が加勢して下されば何のことはありません」

 栄覚大師は、岳屋清兵衛の欲深な申しようにいささか呆れて聴いていたが、その顔を横で見ていた宇土屋喜兵衛が、不機嫌そうに岳屋に言った。

 「岳屋さん、仕事の不始末をした上に欲深な申しようは恥と思いなされ。材料が相場で仕入れられないのなら、私がご用意いたしましょう。工事もあなたの不始末の穴埋めをいたしてもよろしいのですよ」

 宇土屋喜兵衛は何時になく厳しく言い放った。

 「岳屋さん、ここは天安寺ですよ。御仏の御用を与る名誉を頂いてのお仕事です。金子が欲しいのなら、他で儲けなさいまし!」

 岳屋清兵衛は憮然として言った。「宇土屋さん、それじゃ材料一切ざいりょういっさいはあなたにご用意してもらいましょう。私共の仕入れじゃ御不満でしょうからね」

 宇土屋喜兵衛は眉根を寄せて答えた。

 「あなたに誠意があればそのようなことを言うことはなかったでしょうが、お言葉通り私共で用意いたしましょう」

 栄覚大師が言った。「それでは、今回の修繕に付いては材料を宇土屋様、工事を伊蔵様と言うことで、よろしいでしょうか?私共は崖下の溝掘りと床下の窪みを埋めることにいたしましょう」栄覚大師は、3人の顔を見比べ、答えを待った。

 宇土屋と伊蔵はお互いに顔を見合わせ、承知したと頷いた。

 岳屋清兵衛は暫らく考えていたが、ニンマリ笑いながら承知した。「栄覚様はなかなか聡明なお方です。御仏の御慈悲を実践するお坊様の鑑のようなお方ですね」岳屋清兵衛は1人悦に入って、またもニンマリ笑った。

 栄覚大師が言った。「岳屋様、あなたに御仏の御慈悲を語って頂きたくはありません。御仏は常に御慈悲に満ちてはいないのです。あなたはご存じないでしょうから一言ひとことだけ申し上げておきましょう。御仏の御慈悲は御仏を心から信じる者に降り注ぎ、心に一片いっぺんの信仰もない者には注がれないばかりか、非道を重ねる者には仏罰が与えられることになるのです。心して生きなければ道を外すことになりましょう!」

 岳屋清兵衛は苦々しく聴いていたが、怒りを抑えるのがやっとと言った面持ちでジッと下を向いた。宇土屋と伊蔵は、岳屋が修繕工事から外れたことで却ってさっぱりした顔をしていた。

 岳屋清兵衛は話が終わったとばかりに中座し、この日を以って天安寺から手を引いた。残された伊蔵は、すまなさそうに縮こまっていたが、どうしても岳屋にくみすることができなかったのだ。やがて、岳屋配下の大工衆の人生が一変することになるのだが、この日はまだ、誰にも予想できないことだった。

 栄覚大師が言った。「宇土屋様、伊蔵様これから段取りの打ち合わせをいたしましょう」

 宇土屋と伊蔵は互いに顔を見合わせて改めて会釈をして、互いの距離を詰めようとした。2人の打ち合わせの結果、明後日、材料の搬入、その翌日から6日を掛けて修繕工事がなされることになった。勿論、天安寺の僧達によって明日あすのうちに床下の窪みに土が盛られることになった。

 次の日、栄雪えいせつが僧達のかしらとして、土木工事で20余名の僧達の指揮を任されることになり、久々に天安寺をあげての工事になった。

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