仏師の目 その4

素空達は、薬師堂やくしどうで3日間過ごした後、鳳凰堂ほうおうどう天空堂てんくうどうと2手に分かれて手入れを始めた。鳳凰堂に40体、天空堂に18体の仏像があったが、それぞれに4体ずつ紛い物まがいものがあり、その内1体が焼却処分されることになった。素空は法垂と、悠才は仁啓と組んで手直しを始めた。手入れに取り掛かって既に10日が経っていた。

 鳳凰堂は忍仁堂と並ぶ古いお堂で、修行僧のために、仏像の種類が最も多く祀られていた。如来像にょらいぞう観音像かんのんぞうは言うまでもなく、天部てんぶ神将しんしょうなどの眷属けんぞくまつっていた。

 素空が最も関心を持ったのが、何と言っても千手観音像せんじゅかんのんぞうだった。千手観音は1つの顔に、左右6本ずつの手を持って、眼光鋭く、真の姿が表されていた。12本の手は流れるような動きを写し、眺めるうちに溜息が出るほどだった。素空の関心はもはやこの姿の作り手以外にはなかった。素空の心の隅に1人の名前が浮かんだが、その特徴がどこにも見出せなかった。

 素空は意を決して仏像の背にある細工に手を掛けた。細工は肩口から腰の辺りまで2尺(60cm)の長さで3寸(9cm)の幅を持つ1枚の板を取り付けてあったが、細工を外すと板が簡単に外れ、隣の板まで外すことができた。背から胸まで空洞であり、中に経典きょうてん護符ごふが納められていた。

 この時、天空堂から来ていた悠才が驚きの声を上げた。「素空様、これはどう言うことでしょう。御仏の御体が空っぽではありませんか?」

 悠才の驚きを尻目に、法垂が言った。「あなたは知らないでしょうが、殆んどの御仏像はこのようになっているのですよ。大きな御仏像は皆斯様な仕掛けになっているのです。こうすることで木肌にひび割れや狂いを生じにくくするためです」

 またも悠才は驚き、思わず気になったことを尋ねた。「では、薬師堂の仁王様や、毘沙門様も空っぽなのでしょうか?」

 今度は素空が答えた。「悠才様、御仏像の中がと言うのは如何なものかと存じます。御仏像とは、正面は真の御姿を写し、内部は数多あまたの経典で満たされているのです。経典が納められなければ、魂のないただの彫り物となりましょう」

 法垂は、知ったかぶりをしたことを恥じて赤面した。そこで、素空がなだめるように言った。「法垂様がそう思ったのは当然です。経典を納めるのは、金剛杵こんごうしょの中に経文を納めた時、明智様みょうちさま一緒いっしょ崇慈様すうじさまの書庫で相談して選んだのです。皆様に内緒にした訳ではありませんが、作業の流れの中で自然にそうなったのです」

 悠才と共に天空堂から来ていた仁啓は、経典の安置が限られた者だけに留まる秘め事のように思えた。

 素空は2枚の背板せいたを裏返して内側を検めると、作者は真空しんくうと言う仏師で、今から60年ほど前の天正元年てんしょうがんねん(西暦1573年)に鳳凰堂に寄進されたとあった。真空とは仏師の系譜に名を残すことのない者だったが、この千手観音菩薩をひと目見た時、真空が、虚空こくうや、玄空げんくうと同様の仏像を彫り上げることのできる仏師だと言うことが分かった。

 素空は、真空によって彫り上げられた千手観音菩薩に、虚空に繋がるものを捜したが、どこにも痕跡となるものを見出せなかった。しかし、素空は落胆しなかった。真空と言い、虚空と言い、及びも付かない凄腕の仏師と向き合うことの喜びに浸っていたのだ。

 素空が言った。「折り良く皆様がお揃いですので、千手観音菩薩の御姿に付いてご説明いたしましょう」素空は、皆を千手観音の前に寄せ、背なの板を戻した姿を、やや斜めに向けて語りだした。

 「私が数多の御仏像の中で、この御姿に惹かれた訳を説明いたします」

 素空の目は真剣であり、皆は今この時がいかに重要なのかを肌で感じていた。

 「仏師が御姿を表そうとする時、人によってはいくらかの違いを生じます。このことはそれぞれの仏師が持つ特徴となるのです。さらに言えば、彫り手の〔手の違い〕と言うことなのです。これまで私達が見て来た数多の御仏像も、彫り手の〔手の違い〕が認められましたが、この千手観音様だけは、私が瞑想の中で目にした御姿そのままでした。御手を左右6本としたのは残像を表すためでしょうが、その他はまさしく真の御姿なのです。彫り手の特徴を見事に消し去り、真の御姿を忠実に表しているのです。皆様、しかと御覧なさいませ」

 皆は目を瞬かせてようく見た。素空の言葉で、ありがたさが倍になった思いで、見ては目を閉じ、閉じては見開き、心に焼き付けた。

 素空が言った。「皆様、ここに本当の御姿が御座おわします。暫し瞑想し、千手観音菩薩に思いを馳せることは、仏師として実に意義深いことなのです」そう言うと、皆が一斉いっせいに目を閉じ、素空が経を唱え始めた。素空の経は低く地を這うように響き、3人の仏師達の瞑想を助けた。

 仁啓は何やら胸騒ぎを感じて目を開けた。目の前には金色に光る千手観音菩薩が2本の腕を緩やかに動かしていた。仁啓は瞑想の中で目にした訳ではなかったが、仏師として真の姿に接することができたような安らぎを感じていた。

 法垂と悠才も、仁啓と同じように目を開き、残像を残す手を持つ千手観音菩薩を目の当たりにした。

 素空の経が終わると、千手観音の輝きが消え、残像を残す両の手は左右に6本ずつになっていた。3人は今目にした千手観音菩薩をどのように理解すればよいか素空に尋ねた。

 「皆様が真贋を見極める力を得たと言うことです。本当の御姿には御仏の御光臨がなり易く、仏師の目を持つ者はその御姿をしかと拝観でき得ると言うことに他なりません。皆様が目にした御姿は私が瞑想のうちに目にした千手観音菩薩と同じです。一体いったいでも多くの御仏を目にすることは、仏師としての道を窮める助けとなりましょう」素空の言葉を、皆は神妙な顔で聴き入った。

 「察するに、この千手観音菩薩は、仏師真空様が心血を注いで彫り上げたもので、この御姿を彫り上げる以前には、ご自分の特徴をなす彫り物を残していたことでしょう。そして、少なくともこの千手観音菩薩を彫り始める時に真の御姿に忠実に彫ると決めたようです。彫ることや、絵を描くことは、その人の特徴を表すことになるのですが、敢えてその特徴を消すことは至難の業なのです。また、仏師が彫り物に自分の特徴を残すことは、真贋や出来不出来に関わることでは決してありません。従って、真空様がご自分の特徴を消し去った訳が、如何なることだったのか、今となっては想像しがたいことです」

 素空の言葉が途切れた時、悠才が一言呟ひとことつぶやいた。「真空様は、御降臨した真の御姿と寸分の狂いなきものを彫られたのでしょうか?」

 素空は、悠才の言葉にハッとして千手観音像を凝視した。「悠才様、おっしゃる通りです。真の御姿を成すことの極致を求めたのでしょう。御仏の御降臨に与ることがなくとも、この御姿は御仏そのものですから、御降臨に与るも同然と言う思いで彫られたのでしょう。仏師真空様とは、私が遠く及ばないお方です」素空がこのように言うのはこれが2度目だった。

 悠才は、心に思った疑問を素直に口にした。「素空様、虚空様が彫られた玄武堂の仁王像と、真空様が彫られた鳳凰堂の千手観音像では、どちらが秀でているのでしょうか?」

 素空は、悠才の素朴な疑問に苦笑しながら答えた。「比べることは甚だ難しいでしょうね。…虚空様の仁王像は見る人の心に語り掛け、僧として自戒の念を起こさせるよう意図していたのです。真空様の千手観音菩薩像は御仏の御降臨を表しているのです。皆様は、瞑想のうちに千手観音様の御降臨に与ったのです。これは千手観音菩薩像が真の御姿に忠実であったからで、真空様の意図がそこにあったと言うことなのです。彫り始めた時の意図がそれぞれ違っているので、比べようがないことです。更に言えば、虚空様が東院で、真空様が西院で彫られていれば、その場所に合わせて、同じ意図で彫られたことでしょう」素空は、悠才を優しく見詰めて微笑んだ。

 素空は、悠才に語り掛けながら、2人の仏師の名を心の中で繰り返した。仏師真空と仏師虚空。…素空はハッとした。2人の名前の後に師である玄空の名を続け、その後に自らの名を続けた。『空で繋がる仏師の系譜』思いは素空の心の真ん中に居座り、素空の興味のすべてとなった。

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