四神建立 その4
四神の復刻の前に、西院の不出来な
悠才が
「素空や、随分忙しかったようじゃな。
「
玄空大師は、話題を変えて尋ねた。「素空や、悠才と
素空が答えて言った。
「ご明察の通りです。白虎堂で見た白虎像の揺らぎが、薬師堂の屋根の上高くに見られた時に確信いたしました。悠才様が、瑞覚大師に先んじて御仏に召されるであろうこと。その時、白虎の揺らぎの中からお大師様の先触れとして現れること。四神が想像上のものであれ、揺らぎを現すほどの神力を備えているのであれば、失われた3体も復刻を果たさねばなりません」
玄空大師が更に尋ねた。「そなた、すべて承知で悠才と共に過ごすことをどう思うのじゃな?」
素空が答えて言った。「悠才様がご自分の身の上を承知で、平然としていられるのであれば、そのことを告げても構わないと存じます。恐らく、悠才様のお心は耐え切れないことでしょう。そうであれば、召されるまでの間、共に過ごし心安らかに身罷ることができるよう、心掛けるばかりです」
「まさにその通りであるよ。悠才が既に御仏の御心に適う者であることは明白じゃが、最期の時を迎えるまでそなたが見守り、導くことは、これも御心に適うことであるよ」玄空大師の言葉に、素空が頷いた。
次の日、
道具を置くとすぐに、
興仁大師が2人に言った。「そなた達が仏師として相当の腕前であることは、既に素空から聞いているよ。今回は最後の仕上げまでを求められるであろうから、更なる精進を頼みましたよ」
素空が2人に語り掛けた。「仁啓様には、2つの理由によって、最後までお1人で彫り上げて頂きたいのです。1つに、私が悠才様に教授するためと、今1つは、玄武像の材料が
素空がここまで語った時、興仁大師が口を挟んだ。「黒檀の材料はどのようにして求めるのかな?」興仁大師は釈迦堂の2体の仏像を思い浮かべながら僅かに微笑んだ。
素空は、興仁大師が黒檀の仏像を材料とすることに思い当たったと感じながら、笑みを返して答えた。「焼却処分をいたす物のうち、正倉の中に1体だけ黒檀を材料にした物がありますので、これを頂きたいのです」
興仁大師はなおも微笑んで語った。「素空や、そなたの思うがままにいたすことは、御仏の意に適うことであるよ。つまり、黒檀ばかりでなくすべての御仏像がそなたのために開かれていると言うことじゃよ。良きかな、良きかな…」
興仁大師は、すべてを語り終えたと言う風情で微笑むばかりだった。
素空は礼を述べると、仁啓と法垂と共に興仁大師の部屋を下がった。
天安寺に梅雨が始まり、毎日
正倉の北の隅は、春先の様子とすっかり様変わりしていた。手直しを終えた仏像は中央に近く置かれ、朽ちた四神と復刻された四神があるだけだった。素空は悠才と共に経を唱え、瞑想をしたが、仁啓が加わり、やがて法垂が加わった。素空は守護神建立の時のように、瞑想によって仏の姿を追うことはなかった。彫り上げた四神に彫り手の心のすべてを打ち込むことにし、3人の仏師にも、そうすることを勧めた。3人は、瞑想のうちに時折り切出しや丸刀を使って、僅かな修正をし、心を研ぎ澄ましていた。素空はその遣り方を正しいと思った。
法垂が加わって半月が過ぎた頃、3体の四神は完成した。仁啓、法垂、悠才はすべてを尽くし切った充実感と、仏師としての喜びを感じた。
素空が言った。「お3方とも、為すべきことはすべて為し終えたようですね。仏師が為し終えたと感ずる今、魂が込められたことと存じます。梅雨の晴れ間に四神を屋外に祀り、真価を問うことにいたしましょう。御仏像とは違い、四神に真の魂が入るのは、恐らく、死者の霊が入り込んだ時でしょう。今のままの状態で、何かしらの異変が見られれば良いのですが…」
素空は3人の顔を見ながら、声音を変えて更に言った。
「白虎像を正倉に運び入れ、晴れ間を待つことにいたします。晴れの日に四神をそれぞれの方角に合わせて祀り、揺らぎが現れるか確かめたいと存じます」
素空が言い終えたと同時に、悠才が尋ねた。「素空様、揺らぎが現れない時は、四神に魂が込められなかったと言うことでしょうか?」
素空は、暫らく考えてからおもむろに口を開いた。「そのようなことはありません。白虎像は同じように揺らぐのか、また、別の現象が現れるのか…。いずれにしても、復刻の四神には確かに仏師の魂が込められているのです。結果を急ぐことはないのです。四神の発する波動が互いに刺激する時がきっと来るでしょうから…」
素空が言い終えると、3人は黙したまま、自分が彫り上げた四神像をジッと見詰めた。青龍は緑の顔料で色付けされ、蛇腹と鱗の存在を際立たせるために、白と朱と黒の縁取りが施された。朱雀は黒と赤に色付けされ、胸と背の羽毛が際立つように、欅の特性を巧みに利用した。玄武だけが黒檀の地肌をそのままに、亀と蛇の異様な姿を現していた。しかし、目と爪の色だけは怪しく輝くよう、色付けされていた。
憲仁大師が正倉の中に遣って来たのは久し振りのことだった。そろそろ四神が完成すると聞いていたので、満面の笑みを湛えてのおでましだった。
「素空や、完成したようじゃな!皆、ご苦労であった。それぞれのお堂に運ぶ時は手配いたす故、遠慮なく申すが良い。…で、運び出すのは何時になるのかな?」憲仁大師の申し出を、ありがたく受け入れ、素空が答えた。「明日、天候がよろしければ、正倉の前に四神を祀り、確かめたいことがありますので、その後、それぞれのお堂に運び込みたいと思います。先ずは、
素空の答えですべてを承知した憲仁大師は、『明日は好い天気であろうよ』と呟きながら、手配のために正倉を出て行った。
翌日、天安寺の空が晴れ渡り、朝からの日差しで正倉の前庭は乾燥していた。すでに、憲仁大師のお陰で、昨日のうちに運ばれた白虎像の2体が西に配され、続いて、復刻の3体がそれぞれの方角に配された。
正倉の前庭に、憲仁大師を始めとして、手配した僧達が、4人の仏師と共に四神を取り囲んだ。
陽は更に昇り、正午になった時、白虎像が僅かに揺らめいたのを機に、俄かに低く雲が湧き、霧のような雨が降り掛かった。雨は陽射しの中で、極めて低い黒雲の真下だけを濡らすような奇妙な降り方で、陽の光を受けて鮮やかな虹が天空に弧を描いた。やがて、強い風が吹き始め、そのすべてを掻き消すように吹き荒れた後、奇妙な天候がもとの穏やかな陽射しに戻った。
憲仁大師が、素空に語り掛けた。「妙な天候であったが、四神に変わりはなかったようじゃな?」素空は、白虎像の揺らぎが、憲仁大師や他の僧には見えなかったことを知った。
「お大師様、四神の建立は成し遂げられました。これより、それぞれのお堂にお運び頂き、本堂にお祀りして頂きたく存じます」
憲仁大師は、素空の言葉に驚いた。「そなたは、今の天気が四神の為したことと申すのか?」周りの僧達も驚いて素空の顔を覗き込むようにして、素空の言葉を待った。
「私同様、悠才様もご覧になったことでしょう」素空の言葉で、悠才が頷くと、周りの僧が覗き込むように、今度は悠才を見た。
素空が言った。「正午に白虎像が揺らいだのを機に、
誰も口にしなかったが、『何故、薬師堂の上に白虎の印が現れたのか?』それを問い掛けることは、何となく憚られた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます