四神建立 その3

 素空と悠才は、朝の勤めが終わると、正倉の扉を開けて中に入った。正倉の中央が朝の光を浴びて金色に輝いていた。

 「ご覧下さい、光の中に御仏が御座おわします。ああ、何と言う喜びでしょう。私にもやっと見ることができました」悠才は喜び涙した。

 素空は、悠才の歓喜の声を制して言った。「悠才様、御仏の御降臨は斯様な形で現れるのですが、これは朝の光が金色の御仏像を照らしたからに他なりません。…残念なことです。しかし、この光景は心に留め置いて下さい。陽の光の及ばぬところで斯様な光景を目にする時、それはまさしく御仏の御降臨でありましょうから…」

 悠才は、素空の言葉を胸に刻んだ。未だ遠い悟りへの道半ば、素空の傍らで毎日の喜びを感じることが、素空に求められた務めであると決めていた。

 素空は、毎日、懸命に修行を続ける悠才を見て悲しく思った。そして、1日も早く仏の降臨に与れるように願うのだった。

 悠才は、仏師方で明智が使った道具を、素空から一揃ひとそろい渡された。自分の前に広げられた道具を前に、歓喜の涙に暮れた。悠才は、素空の姿に1歩でも近付きたいと思い続け、今、大きく近付いたような喜びを全身に感じていた。素空が仏像の手直しをする様子を眺めながら、悠才はつちのみを手に木を彫り続ける自分の姿を夢見ていたのだった。

 悠才が言った。「素空様、本当にありがとうございます。素空様のお姿を見ながら、何時か私もそうなることを夢見ていました。それに、道具は明智様に貸して頂き恐れ多いことです。1歩でも近付けるよう、必ず精進いたします」

 悠才はすぐにも手直しに掛かる勢いだったが、素空はなだめるように優しく言った。「悠才様、仏師として一通ひととおりの技を身に付けるためには、数年の月日が掛かるでしょう。悠才様は、嘗ての仏師方のように粗彫あらぼりから始め、1つの技に集中するのです。その合間に懐地蔵ふところじぞうを彫り、技の習得を深めるのが良いでしょう」

 言い終えると、素空は正倉の一角いっかくに用意したけやきの乾燥材を見せ、悠才に言った。悠才様は、私が御仏像の手直しをしている時に、この図面の通りの彫り物をして頂きたいのです」

 悠才が渡された図面を見ると、そこには朱雀すざくの図があった。欅の乾燥材は、焼却処分の仏像で、胴回りを2尺(60cm)の高さに切りだし、衣の線は潰され、起伏のない円筒形に仕上げてあった。

 素空は、朱雀の朽ちた姿を見せ、声音を変えて語った。

 「悠才様は既にご存じの筈でしょうが、朱雀は想像上の鳥です。しかしながら、白虎像びゃっこぞうの揺らぎに見るように、不思議を現すも、現さないも、彫り手の心が肝心なのです。心を込め、魂のすべてを注ぎ込めば、不思議を現さぬものはないと信じることです。これから3ヶ月を掛けて腕を磨くことです。また、私の傍らで暫し手直しの様子をご覧になると良いでしょう」

 悠才はまたしても歓喜の涙にくれた。素空の傍らで幸せな日々を送っていた筈だったが、この日はそれにも増して幸せの波に吞み込まれる思いだった。『私は何という幸せ者だろうか。あれほどの罪を犯しながら、誰もが羨むように、素空様のお側で修行をし、更に仏師としての手ほどきをして頂くとは、まことに恐れ多く、まことにありがたいことです』悠才は心の中で深く感謝した。

 素空は、正倉に3月みつきの間籠り、仏像の手直しを続けた。正倉の中に床を敷き、食事は憲仁大師けんにんだいしの計らいで、毎日運んでもらい、風呂と用足しだけ釈迦堂しゃかどうの宿坊を使わせてもらっていた。素空が手直しを終えた仏像は、既に20体に及び、数体を残すのみとなっていた。

 悠才の朱雀像は殆んど手付かずだったが、10体ほどの懐地蔵は、仏師方で作った物と遜色がないほどのでき栄えで、素空が見るところ、何時でも朱雀像に取り掛かることができそうだった。

 「悠才様、そろそろ朱雀像に取り掛かってみては如何でしょうか?私の手直しは1月ひとつきを待たずに終わり、正倉や各お堂の不出来な御仏像を火に投じて供養した後、青龍せいりゅう玄武像げんぶぞうの彫りに取り掛かります。その前に少しでも早く取り掛からねば、出来上がりの時期を揃えることが難しいかも知れません」

 悠才は、自信なさそうに素空を見た後、肩を落として俯いた。素空は、悠才の表情を優しい笑みを浮かべて見詰めたが、すぐに悠才自身の意志で朱雀像に取り掛かるだろうと思った。

 次の日、素空の傍らで、悠才が朱雀像を彫り始めた。既に、素空の描いた絵図を書き写し、粗彫りの途中だったため、僅かではあるが、朱雀の姿を見取ることができた。

 「悠才様、彫り進めるごとに慎重でなければなりませんが、今は大胆に彫り込んでも大丈夫です。失敗を恐れず彫ってこそ、技の上達が望めるのです」素空の励ましを受けて、悠才は鑿を深く打ち込んだ。

 素空と悠才が7日の間鎚音を響かせた時、悠才が悲鳴ともつかない大声をだした。

 「ワアー!アア!どうしましょう!…」悠才はそれっきり腑抜けのようになった。

 素空が、粗彫りの相当進んだ朱雀像に目を移すと、朱雀像の首が欠け落ちていた。悠才は暫らく呆然としていたが、素空に向き直り無言で助けを求めた。素空は、悠才の窮状を救うべく歩み寄って、語り掛けた。「悠才様、気になさるほどのことではありません。この世のすべてのことは、失敗の上に成り立っているのです。失敗したら作り替えればいいではありませんか。急がずじっくりと彫り上げましょう。失敗せねば得ることができないものもあるのです」素空の優しい言葉は、悠才にとって何より力強い励ましと癒しだった。

 素空は、悠才を伴なって青龍堂にある焼却予定の仏像から、朱雀像の材料を切りだしに行った。普賢菩薩ふげんぼさつもどきの仏像は、紛い物とは言え良質の欅材けやきざいで作られ、最初の材料より更に大きい物だった。素空はすぐに憲仁大師に助けを求め、維垂いすい臥円がえんの手を借ることができた。2人の僧は、木挽き鋸こびきのこで普賢菩薩の胴回りを上手に切り取り、素空と悠才の前に据えた。

 素空が、維垂と臥円の鋸使いに感心すると、維垂が正倉の棚や、台座などは新しく収納する物に合わせて作るため、鋸は使い慣れていると言った。

 「大工仕事は見様見真似みようみまねでも、斯様に上達するものですね」臥円も照れくさそうに同意した。

 正倉の2人の僧と入れ替わりに、青龍堂の僧が4人遣って来て、普賢菩薩の片付けと切り出した材料の運搬をあっと言う間にやってしまった。

 「さて、初めからやり直さねばなりませんが、2度目となれば早くできるでしょう。材料が大きくなりましたので、仕上がりの姿を1回り大きくいたしましょう。悠才様、心得ねばならないのは、欅の特徴、特質を生かすことです。百年以前のものであるため、材質が幾分固くなっているようですので、力加減には十分お気を付け下さい。また、初めに申したように、木目に逆らって鑿を振るう時は、少しづつ削ることです」

 悠才は、欅の材質が分からないと言い、素空が答えて言った。「欅は光の当て方や、見る目の位置で輝きを放つのです。顕著に表れる部分を胸や背にし、輝きを持たせると良いでしょう。また、別誂えのつばさも木肌の輝きを目立たせるように使うことです。失敗を恐れず、しかも、慎重に一打いちだいち打に魂を込めることです」悠才は、材料となる欅の木肌をしげしげと眺め、両手で撫で回したが、時折首を傾げた。

 素空は微笑みながら一言付ひとことつけ加えた。「悠才様、この木肌は随分古いので、木肌の輝きは失われています。しかしながら、ほんの少し彫り進めると、新材とさほど変わらない輝きを放つことでしょう。彫り進めるごとに楽しみが膨らむ材料です。仏師の手腕が試される良材なのです」仏師と言う言葉が悠才の意識のすべてを奪った。

 「私が仏師、ですか?」悠才の言葉に、素空が居住まいを正して言った。

 「そうです。私の傍らで鑿を持ち、鎚を振るい、切りだしを持って見事に懐地蔵の形を成したのです。悠才様は、既に仏師としての1歩を踏みだしているのです。鑿のひと打ちごとに、更なる精進をなさいませ」

 悠才の心に、素空の言葉が深く沁み入った。

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