エピソード9

いつの間にか陽は沈み辺りは闇に支配されていた。

でも、この場所は暗さを感じない。

幾つもの人工的な光で充分すぎるくらい明るい。

ここは、人が途切れる事がない。

四六時中、何かを求める人たちで溢れかえっている。

それはお金で買えるものだったり、どんなにお金があっても買えないものだったり……。


夜の繁華街は、お金で買えないものを求めている人が多い。だから、ここは危険なのかもしれない。

“お金”の代わりに“危険”を支払って“刺激”を手に入れるところ……。


それが繁華街。

煌びやかで妖しい街。


◆◆◆◆◆


クーラーの効いた店内を出ると生温い空気に包まれた。

繁華街のメインストリートに向かって細い路地を歩いて行く。

「そう言えば、葵は何してんだ?」

私の肩を抱いた蓮さんが、私の隣を歩くケンさんに聞いた。「3日前から法事でばあちゃんの家に行ってる」

「いつ帰って来るんだ?」

「明日の昼こっちに着く」

「葵もいい休養になったじゃねぇーか。お前と離れられて」

「あ?なに言ってんだよ。葵は俺が傍にいねぇーとダメなんだよ」

「そうか?」

「そうだよ。……多分……」

「なんだよ、『多分』って」

私の頭の上で交わされる楽しそうな会話と笑い声。


でも、私はその会話に参加する事はできなかった。

私達の正面から歩いてくる5人くらいの男達。

その男達の手には、金属バットや鉄パイプが握られている。男達の視線は、まっすぐに私達に向けられていた。

それは、いつも感じるような視線じゃない。

恨み、怒り、憎悪が入り混じった視線。

この路地にいるのは、私達と前から歩いてくる男達だけ。

いくらメインストリートから入り込んでる路地裏っていっても不自然だった。

……違う。

後ろにも誰かいる。

刺さるような視線を背中に感じる……。

私はそれを確認しようと振り返ろうとした。


「見るな、美桜」

今まで、ケンさんと笑いながら話していた蓮さんが、肩にまわしていた腕に力を入れて私の動きを止めた。

「ケン、何人だ?」

「前に5人、後ろに8人、それから路地の入り口に見張りが3人だ。まぁ、見張りは人数に入れなくていいから13人だな」

「じゃあ、俺が5人でお前が8人だな」

「……!!なんで俺の方が多いんだよ?」

「あ?俺は美桜がいるからに決まってんだろ」

「別に美桜ちんがいても一人で全員潰すのぐらい楽勝だろ?俺、飯食ったばっかだからなぁ」

「……お前、もし美桜がケガでもしたら責任取れんだな?」

「……8人頑張ります……」

……なに?

なんでこの人達こんなに余裕なの?

私にだって今から何が始まるのかぐらい分かる。

相手は13人もいるんだよ?

しかもあっちは武器まで持ってるし……。

こっちは3人……。

違った……私は即戦力にはなれないから2人……。

……てか、2人のお荷物になっちゃってるし!!

それに蓮さんもケンさんも武器になるような物なんて何も持ってない。

あるのは私のバッグだけ……。

こんなんじゃ鉄パイプに勝てない!!

……どうしよう……。

いくら蓮さんがケンカ強いって言ってもこの状況は……。

「大丈夫だ、美桜」

蓮さんが私の顔を覗き込んだ。

「そうだよ、美桜ちん。こんなの楽勝!!」

不安を隠せない私とは対照的に余裕の笑みを浮かべる2人。……余裕どころか楽しそうな感じすらするんだけど……。

そんな、2人を見て私はほんのちょっとだけ安心した。

焼肉屋さんと路地の出口のちょうど中間辺りで蓮さんは足を止めた。

そして、シャッターの閉まった店の前の数段の階段に私を座らせた。

「美桜、ここから動くなよ」

座った私の前にしゃがみ込む蓮さん。

「でも……」

どうしても不安が拭えない私は蓮さんの左手を握った。

「大丈夫だ。すぐに終わる」

蓮さんは、右手で私の頬に触れた。

蓮さんの温もりが伝わってくる。

その温もりが私を落ち着かせてくれた。

「絶対動くな。分かったか?」

私を見つめる漆黒の瞳。

力強く、自信に満ち溢れた瞳。

「……うん」

「それでいい」

蓮さんは、私の頬に唇を寄せた。

私から離れた蓮さんは道の中央に立ってタバコを吸うケンさんの隣に並んだ。

そして、ポケットからタバコを取り出すと火を点けた。

その動きからは焦りなんて全く感じない。

男達は、蓮さんとケンさんのすぐ傍で足を止めた。

蓮さんたちの右側に5人、左側に8人。

ケンさんが言った通りだった。


『よう、溝下。』

鉄パイプを持った男がケンさんに声を掛けた。

「……」

何も答えないケンさん。

その男は、チラッと蓮さんに視線を向けた。

『今日は神宮と一緒か。』

……しんぐう?

蓮さんの苗字“神宮”って言うんだ。

『お前と神宮、一緒に潰せたら新しい伝説が作れんだよ。』

男は厭らしい笑みを浮かべた。

「やるんならさっさとやれよ。こっちだってヒマじゃねぇーんだ」

ケンさんが低い声を出した。

もう、それはお猿のケンさんの声じゃなかった。

蓮さんとケンさんが纏う雰囲気は完全に変わっている。

表情も眼もいつもの2人じゃない。

2人を取り囲む男達にもそれが伝わっているのかもしれない。

男達の顔から余裕が無くなり、強張っている。

その時、さっきまでケンさんに話かけていた男が私に視線を向けた。

厭らしい視線。

全身を嘗め回すような視線。

私の背中に冷たいものが流れた。

『あの女、神宮の女か?溝下がいつも連れてる女とは違うもんなぁ。』

「あ?」

ケンさんの声に怒りが含まれている。

「いい女じゃん。あの女とヤリてぇーな……!!」

男の言葉を遮るように蓮さんが動いた。

蓮さんは持っていたタバコを投げ捨て、男の胸倉を掴んだ。そして、男の頬を殴った。

殴られた男の身体は、後ろに吹っ飛んだ。


それが始まりの合図だった。

ケンさんが隣にいた男を殴る。

倒れた男の腹を力いっぱい蹴り上げた。

低い呻き声をあげて動かなくなる男。

金属バットを振り上げて向かってくる男を軽く交わし殴って地面に沈めた。


倒れた男の上に馬乗りになって男の顔を殴り続ける蓮さん。殴られている男の顔は腫れ上がり、血塗れで原形を留めていない。

蓮さんの肩を掴む男。

振り向くと同時に蓮さんは男の顔を殴った。

それから隣にいる鉄パイプを持った男の腹に蹴りを入れる。蓮さんに殴られたり蹴られる男達は一撃で地面に沈み動かなくなっていた。


私は蓮さん達は『大丈夫だ』って確信した。

もうこの光景を見る必要はない。

私は、両手で耳を塞ぎ、下を向いて瞳を閉じた。


◆◆◆◆◆


誰かが私の肩を掴んだ。

ゆっくりと瞳を開けて私は顔を上げた。

そこには、心配そうに私の顔を覗き込む蓮さんがいた。

私は、耳に当てていた手を離し蓮さんの背中にまわした。

「大丈夫か?美桜」

「うん」

「そうか」

私の背中に手をまわす蓮さん。

「蓮さんは?」

「ん?」

「大丈夫?」

「あぁ」

「ケガしてない?」

「当たり前だ。俺を誰だと思ってんだ?」

私は、蓮さんの胸の中で笑った。

「ここでイチャつくのは止めてください」

蓮さんの後ろから声が聞こえた。

その声はさっきみたいな冷たい声なんかじゃなく、お猿なケンさんの声だった。

「うっせぇーぞ、ケン。邪魔すんな」

「葵、早く帰ってこねぇーかな。俺も葵とキスしてぇ!!」

またしても幼い子供のように喚くケンさんに私と蓮さんは顔を見合わせて苦笑した。


「美桜、帰るか?」

「うん」

私が頷くと同時にさっきとは違う着信音がケンさんのポケットから鳴り響いた。

ケンさんが耳にケイタイをあてた。

「……俺だ。……あぁ……」

低い声のケンさん。

どうやらまたスイッチが変わったみたいだ。

「……焼肉屋近くの路地だ」

ケンさんがケイタイに向かってそう言った数秒後、私は『音』に気付いた。

蓮さんの胸から離れて顔を上げる。

ケンさんは、ケイタイを閉じポケットに入れている。

その『音』は、こっちに近付いて来ている。

雪崩の振動の様な『音』。

着実に近付いてくる『音』と微かに聞こえる怒声。

『邪魔だ!退け!!』

『道開けろ!コラッ!!』

その怒声からは焦りを感じる。


その『音』の正体は『足音』だった。


それも、一人や二人じゃない。

何人……いや……何十人もいる。

その『足音』が重なり合い、振動になっている。

地響きのように低い『音』響かせながらこっちに向かってくる。

……もしかしたら、さっきの男達の仲間かもしれない……。

私の身体が強張った。

蓮さんは、ゆっくりと身体を離すと私の顔を覗き込んだ。

「美桜、大丈夫だ。もう終わった」

蓮さんの漆黒の瞳が私を見つめる。

私は、小さく頷いた。

蓮さんが『大丈夫』って言うんだから大丈夫なんだ。

蓮さんが『もう終わった』って言うんだから本当に終わったんだ。

私は、蓮さんの言葉だけを信じる。

この人は私に嘘を吐いたりしない。

この人は私を騙したりしない。

私の顔を見つめていた蓮さんは、優しく微笑むと隣に腰を下ろした。

ポケットからタバコを取り出す蓮さん。

「吸うか?」

蓮さんが私に尋ねた。

「……うん」

そう答えた私に蓮さんは箱から一本タバコを取り出すと私の口に咥えさせた。

そして、ジッポで火を点けてくれた。

口の中に広がるオイルの香り。

私はゆっくりと煙を吐き出した。

隣で蓮さんもタバコに火を点け私はタバコの香りに包まれた。

さっきまでの不安が嘘のように心が落ち着いていた。

『てめぇら、なにやってんだ!!あぁ?』

『ウチのトップ待ち伏せするとはいい度胸だな?コラァ!!』

路地の出口付近から聞こえてくる怒声。

それと同時に狭い路地に流れ込んでくる大勢のガラの悪い集団。

手には鉄パイプや金属バットを持っている。

中には木刀を持っている人もいた。

……ここに来るまでによく警察に止められなかったなぁ……。

私は呑気にそんな事を考えていた。

それは、この集団が“敵”ではないと確信出来たから。

多分この人達はケンさんのチームの人達だ。


「ヒカル」

大勢の人達で騒然となる中でケンさんが誰かを呼んだ。

その声に1人の男がケンさんの前に進み出た。

「こいつら片付けさせろ」

ケンさんは、地面に倒れている男達を顎で指した。

「はい」

ヒカルはそう言うと指示を出し始めた。

「おい!車持ってこい!こいつら乗せて山に連れて行け!それから、見張りしていた奴らはクラブに連れて行ってどこのチームか吐かせろ!!警察と野次馬はここに入れんなよ!この路地の出入り口全部塞いどけ!!」

ヒカルの言葉でケンさんのチームの人達が一斉に動き始めた。

あちこちでケイタイが鳴り響いている。

慌しく動きまわる男達。

「あいつがケンのチームのNO.2だ」

蓮さんがケンさんと話しているヒカルを見ながら言った。

「……NO.2?」

「あぁ」

ケンさんと話していたヒカルが私達に近付いてきた。

そして、蓮さんの正面で足を止めた。

「すみませんでした、蓮さん。わざわざ動いてもらって……」

そう言って蓮さんに深々と頭を下げた。

ヒカルの右足と左腕にはトライバルのTATTOOが彫ってあった。

それは、蓮さんの色鮮やかな刺青とは違い黒一色だった。

「あぁ」

蓮さんが答えた。

でも、ヒカルは顔を上げようとしない。

「ヒカル」

「はい」

頭を下げたまま答えるヒカル。

「俺の女だ、顔を覚えとけ」

その言葉でやっと顔を上げたヒカルは私に視線を向けた。

そして、階段に座る私の前に片膝をついた。

「初めまして、ヒカルです」

私と同じ高さに視線を合わせたヒカルが私に微笑んだ。

私よりも少し歳上に見えるその人は緩いパーマ掛かった明るい茶色い髪で女の子のように綺麗な顔をしている。

耳には大きなボディピアス。

厳ついシルバーのネックレス。

落ち着いた雰囲気が少しだけ蓮さんに似ているような気がした。

「名前を聞いてもいいですか?」

私を見つめながらヒカルが尋ねる。

「……美桜です」

「よろしくお願いします、美桜さん」

ヒカルが私に向かって頭を下げた。

それから、ヒカルは蓮さんに視線を移した。

「全員に“伝達”を出しときます。今夜中には行き渡ると思います」

……伝達?

「あぁ、頼む」

「はい」

蓮さんが頷くとヒカルは嬉しそうに微笑んだ。

「蓮さん、よかったら今からクラブにどうですか?」

「いや、今日は止めとく。近いうちにコイツと顔を出す」

そう言って蓮さんは私に視線を向けた。

……多分、蓮さんは疲れている私に気を使ってくれたんだと思う。

ヒカルは少し残念そうな表情を浮かべていたけど……。

「そうですか。じゃあ車を出させましょうか?」

「いや、いい」

蓮さんはヒカルの申し出を笑顔で断り、立ち上がった。

そして私に手を差し出した。

私は、その手に掴まり立ち上がった。

私の前にしゃがみ込んでいたヒカルが立ち上がり私に深々と頭を下げた。

「美桜さん、迷惑を掛けてすみませんでした」

「……いえ……あの……気にしないでください……」

頭を下げ続けるヒカルにどう対応すればいいのか分からない私は蓮さんの顔を見上げて助けを求めた。

そんな私を蓮さんは優しい笑顔で見ていた。

「じゃあな、ヒカル」

蓮さんはそう言うと私の手を引いて歩き出した。

「お疲れ様です!!」

歩き出した私達の後ろからヒカルの声が響いた。

その声に気付いた、ケンさんのチームの人達が動きを止めて私達に視線を向けた。

『お疲れ様です!』

その場にいた全員が頭を下げた。

「蓮!また連絡する!!」

ケンさんがケイタイを耳に当てたまま言った。

「美桜ちん、また一緒に遊ぼうね!今度は葵も一緒に!!」

私はケンさんに向かって頷いた。

それを見たケンさんは嬉しそうに笑っていた。


路地の出口では、ケンさんのチームの人達が“壁”を作っていた。

ここに誰も入って来れないように……。

路地の中の様子が見えないように……。

蓮さんが繋いでいた私の手を引っ張って自分の方に引き寄せる。

そして繋いでいた手を離すと私の肩に手をまわした。

蓮さんに肩を抱かれてそこに近付くと“壁”を作っている人達が私達に気付いたらしく大きな声を出した。

「おい、見せもんじゃねぇーぞ!!」

「あっち行け、コラァ!!」

その声は“壁”の向こう側に向けられているもの。

……多分、あの壁の向こう側には異変に気付いたたくさんの野次馬が集まっているんだと思う。

彼らは私と蓮さんの為にその野次馬を退けてくれているに違いない。

その“壁”から一人の男の子が私達に駆け寄ってきた。

その男は蓮さんと私の前で足を止めた。

「失礼します」

その男の子が蓮さんに頭を下げた。

「どうした?」

蓮さんが足を止めた。

「はい。野次馬の中に私服の警官がいるんですけど……多分マルボウだと……」

男の子は小さな声で蓮さんに告げた。

「そうか」

「自分達が注意を引いておきましょうか?」

「いや、大丈夫だ」

蓮さんは私の顔に視線を向けた。

「美桜、できるだけ下を向いてろ。顔上げんなよ」

「……えっ?」

「あの……ちょっと待っていてください」

男の子は、そう言うと『壁』の方に走って行った。

「……?蓮さん……」

もの凄い速さで走り去った男の子の背中を見送った私は蓮さんに話掛けた。

「ん?」

「マルボウってなに?」

「あぁ。俺みたいな奴を専門に相手する警察の部署のことだ」

「蓮さんみたいなって?」

「ヤクザ専門ってことだ」

「……あぁ!!」

突然大きな声を出した私に蓮さんが怪訝そうな顔をした。

「どうした?」

「……私、蓮さんがヤクザって事すっかり忘れてた……」

「……お前変わってんな。普通忘れねぇーだろ?」

蓮さんは呆れたように笑った。

「でも、なんでマルボウの人が来てるの?」

「俺が暴れたのがバレたんだろ」

「え?なんでバレたの?」

「あいつらも独自の情報網を持ってるからな」

そう言って蓮さんは私に微笑んだ。

「……蓮さんは捕まるの?」

「あ?なんで?」

「だって……」

私は、後ろの離れた所で倒れている人を指さした。

「大丈夫だ。心配するな」

楽しそうに笑う蓮さん。


その時さっき走っていった男の子が戻ってきた。

肩で息をして、手には紙袋を持っている。

「すみません、遅くなって」

男の子は蓮さんに紙袋を差し出した。

『遅くなって』って言ってもこの人がここを離れてまだ5分も経ってないけど……。

蓮さんが紙袋からデニム生地のキャップを取り出した。

「それを被れば顔が隠せるんで……」

もしかして、この人私の為にこれを買いに行ってくれてたの?

「悪ぃな、ハヤト。ありがとう」

蓮さんが私にキャップを被せて言った。

「いや、気にしないでください」

蓮さんにお礼を言われた男の子は恐縮している。

「ありがとうございます」

私はその男の子に頭を下げた。

「や……止めてください!!俺なんかに頭を下げないで下さい!!」

男の子が焦ったように後退りをした。

その反応に私はどうしていいのかが分からずに困ってしまった。

もちろんその男の子も困っている様子で……。

そんな私と男の子のやり取りを見ていた蓮さんが笑いを堪えたように口を開いた。

「行くぞ、美桜」

蓮さんの声に私が頷くと、男の子が大きな声で壁に向かって声を掛けた。

『おい、道を開けろ!!』

その声で壁が二つに割れ、道が出来た。

両側に分かれて頭を下げる人達。

私は目深にキャップを被り俯き気味なまま蓮さんに肩を抱かれてその人達の前を通った。

私達が通り過ぎるとまたその人達は壁を作った。

下を向いていても感じるたくさんの視線。


蓮さんはメインストリートを通ってマンションに向かっている。

そんな私達に後ろから近付いて来る気配。

「神宮!!」

後ろから聞こえてきた男の声に私の身体がビクッと反応した。

蓮さんは止まる様子も無く歩き続ける。

私達の両側に人が並んだ。

蓮さんの横に一人、私の横に一人。

下を向いた私から2人のスーツのズボンだけが見えた。

「神宮、あの路地で何があってるんだ?」

蓮さんの隣にいる人が尋ねた。

明らかに蓮さんよりも年上っぽい男の人の声。

「俺に聞かなくても分かってんじゃねぇーのか?だからここにいんだろーが」

不機嫌そうな蓮さん。

「……相変わらず生意気だな」

「おかげさまで」

「まぁ、いい。ガキのケンカに本職が手を貸すなよ」

「……」

「お前があの場所に居なければ俺達も出張らなくて良かったんだ」

「誰も出張ってくれなんて頼んでねぇーだろ?」

「そういう訳には行かないだろ。神宮組の若頭が動いているんだ。俺達が机に座って大人しく書類作ってる訳にはいかねーだろ?」

「……」

……。

……はぁ?

このおじさん、今なんて言った?

神宮組?

神宮って……蓮さんの苗字でしょ……?

若頭ってなに?

どういうこと?

蓮さんって下っ端のチンピラじゃないの?

思わず顔を上げようとした私を蓮さんの腕が止めた。

「なんだ、彼女か?ちょっと君、顔を上げ……」

「うっせぇーよ!てめぇらには関係ねぇだろうが!!」

蓮さんがドスの効いた低い声で言い放った。

「……神宮……まぁ、そんなに怒るな。あんまり目立ち過ぎるなよ」

そう言うと2人は私達の傍を離れた。


◆◆◆◆◆


「美桜、もう顔上げていいぞ」

警察の人が私達から離れてしばらくして蓮さんが私に声を掛けた。

私はようやく顔を上げる事ができた。

いつの間にか蓮さんのマンションの前にいた。

ずっと下を向いていた所為で首が痛い。

私は頭を左右に振った。

「首痛ぇーのか?」

「うん、いた……」

私は慌てて口を塞いだ。

「湿布張ってやる」

蓮さんは笑いを堪えていた。

……失敗した……。

蓮さんは薬品が好きだったんだ。

「いい。おばちゃんみたいでヤダ」

蓮さんが声を上げて笑った。


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