エピソード7

「なんか他に欲しいものはねぇーか?」

蓮さんが、私の顔を覗き込んだ。

「別にない」

私は、首を横に振った。

「それじゃあ、そろそろ帰るか」

そう言って蓮さんが私の肩に手を伸ばした時……。

『蓮!!』

私たちの後ろから声が聞こえた。

いろんな“音”と“声”が重なり合う繁華街でもはっきりと存在感を主張する声。

その声の大きさに私の身体がビクっと反応した。

蓮さんが舌打ちをして、肩にまわした手に力を入れて私の身体を自分のほうに引き寄せた。

私は、蓮さんのシャツの横腹辺りを思わず握った。

「面倒くせぇー奴に見つかった」

蓮さんが小さな声で呟いて、ダルそうに声のした方を振り返った。

肩を抱かれていた私も必然的に振り返る形になった。

「珍しいじゃん!こんな早い時間に何やってんだよ?」

人込みを器用に避けながら走ってきたその人は嬉しそうに蓮さんに話し掛けている。

「別に」

「久しぶりなのに冷てぇーな」

「一昨日会ったばかりじゃねーか」

「ん?そうだったか?そういえば……そうだったな!あははは!!」

「……ったく、笑って誤魔化してんじゃねぇーぞ」

「まぁ、細かい事は気にすんな」

……この人、蓮さんのお友達かな?

ツンツンと無造作に立たせてある髪は金色で夏の日差しを浴びて輝きを放っている。

小麦色の健康的な肌。

洋服の袖口から伸びる筋肉質の腕。

人の良さが滲み出ていて笑うと幼さの残る顔。

人懐っこい感じのクリクリの瞳。

耳には数えられないほどたくさんのピアス。

鎖骨の少し下には厳つい感じのシルバーのネックレスがその存在感を主張している。

高い身長。

この人も蓮さんもかなりの長身。

2人のやり取りを見ていた私は必然的に見上げないといけないから首が痛くなった。

無邪気に笑っていたその人がふと私に視線を向けた。

「あれ~?」

その人は、腰を曲げて私の顔を覗き込んできた。

私の頭の上から蓮さんの溜息が落ちてくる。

一頻り私の顔を見つめたその人は、一瞬驚いた様な顔をしたけど、すぐに人懐っこい笑顔を浮かべた。

そして、私の肩に回されている蓮さんの手をジーっと見つめてニヤっと笑った。

「なあ、蓮。この可愛い子、誰?」

その人は腰を曲げ私と同じ目線のまま蓮さんを見上げた。

「お前には関係ない」

「……んだよ。紹介してくれてもいいじゃねぇーか」

不貞腐れて言うその人は、また私に視線を戻し

「俺、ケン!23歳、蓮の幼馴染みです!よろしくね!!名前なんて言うの?」

元気いっぱいに自己紹介してくれたケンさん。

そのテンションに少し引き気味な私。

私はものすごく人見知りが激しい。

初対面の人と話すのは何よりも苦手。

だから自分の名前を言うだけでも緊張してしまう。

「……美桜です……」

声は小さかったけどなんとか答えることができた。

「みお?……字は?」

じ?

字?

漢字?

あぁ、名前の漢字はどう書くのかって聞いているのかな?

そう言えば、蓮さんにも同じ事を聞かれたような……。

「……美しい……桜……」

ケンさんの大きな瞳が一層大きくなる。

「マジかよ……」

なに?

なんかあるの?

「美桜ちん、いくつ?」

美桜ちん?

なんで、“ちん”なの?

「……15……」

「15」

ケンさんの顔が明らかに引きつった。

そして、蓮さんに勢いよく視線を戻すと……

「おい。蓮……」

「んだよ?」

鬱陶しそうな蓮さん。

「お前……それは、犯罪だぞ!!」

「あ?てめーだけには言われたくねぇーよ」

「うおぉー!!羨ましいー!なんで蓮だけ?ズルくねぇ?」

「うっせぇーよ。でけぇ声を出すな。葵に言うぞ」

繁華街を行き交う人達に白い目で見られても全く気にせずに大声を出していたケンさんがピタリと固まった。

「あの……今、俺が言っていた事は葵には……御内密に……」

ケンさんが焦っている。

「は?却下」

ケンさんの顔が引きつる。

「頼むよ、蓮。あいつ怒ったらマジでヤべェーんだよ」

「お前が、葵を怒らせる様な事するから悪いんだ」

「……!!」

どうやら、“葵さん”はケンさんの彼女らしい。

ケンさんが肩を落として落ち込んでいる。

そんなケンさんを蓮さんが鼻で笑った。

悔しそうに蓮さんを睨むケンさん。

ケンさんってなんか面白い。

思わず私は笑ってしまった。

クスクスと笑いを零す私に気付いたケンさん。

「美桜ちんは、可愛いなぁ」

その言葉と共にケンさんの手が私の方に伸びてきた。

そして、その手が私の頭に触れようとした瞬間……

「触るな」

蓮さんの声がその手を止めた。

さっきまでの声と全然違う声。

低くて、怒りを含んだような鋭い声。

その声に私の身体がビクっと揺れた。


ケンさんは、すぐに手は引っ込めたものの気にする様子は全然無く『なんだよ、自分ばっかりいい思いをして……』と拗ねた様にブツブツ独り言を言っていた。


今のこの状況がまったく理解できない私は、無意識のうちに蓮さんのシャツを掴む手に力が入っていた。

どうすればいいのか分からない私は蓮さんの顔を見上げた。最高に不機嫌な表情。

「蓮さん……顔が怖い……」

私は蓮さんのシャツを軽く引っ張ってみる。

私の顔に視線を向けた蓮さん。

「あぁ。悪ぃ……」

蓮さんの表情が和らいで、いつもの優しい表情に戻った。

そんな私達を、ケンさんは驚いた表情で見つめていた。

そして、何かに納得したように頷き笑った。

「……?」

そんなケンさんのクルクルと変わる表情を見ていた私は首を傾げた。

「蓮、飯食いに行こうぜ」

「……あぁ、いつだ?」

さっきまでの状況が嘘の様に普通に話す二人。

「今から!」

「……」

「美桜ちんもいいよね?」

……私のあだ名は“美桜ちん”に決定したのね……。

まぁ、いいけど……。

返事をしない蓮さんをスルーして私に聞いてくるなんて……恐るべし、ケンさん……。

「……はい……」

ケンさんのあまりの勢いに私の口が勝手に動いた。

「よし!決まり!!」

満面の笑顔でケンさんがガッツポーズをしている。

再び、蓮さんの大きな溜息が聞こえた。

「美桜、なんか食いたいものあるか?」

蓮さんが私の顔を覗き込む。

「焼肉!!!」

答えたのは私じゃなくてケンさん。

「てめーには、聞いてねぇーよ」

「焼肉!焼肉!焼肉!!」


蓮さんに言われた事を全然気にしていないらしいケンさんは小さな子供みたいに“焼肉”を連発する。

「美桜ちんも焼肉が食いてぇーよな?」

ケンさんが私に同意を求めた。

「……」

……いや……私はさっき食べすぎたから焼肉はちょっと……。

でも、ケンさんは焼肉が食べたくて堪らないらしい。

「……美桜ちん……」

ケンさんはウルウルとした瞳で私を見ている。

そんなに焼肉が食べたかったんだ……。

それなら、焼肉でいいよ!

思う存分食べなよ!!

「美桜、ダマされるな」

「え?」

「それが、こいつの作戦だ」

……?

作戦?

そんなことないよ……。

ケンさんは、焼肉が食べたくて涙まで浮かべて……ない……。

『バレたか。』って舌を出してるし……。

「こいつは、そういう奴だ」

蓮さんが呆れたように言った。

だけど、その口調は本当に呆れている感じじゃなくて、こか楽しそうな感じ。

すごく仲が良いんだ、この二人。

二人を見ていてそう思った。

友達がいない私は、そんな2人が少しだけ羨ましかった。


結局、ケンさんの強い希望により焼肉を食べに行く事になった。

「なんで、てめーが美桜の横を歩いてんだ?」

3人で並んで歩き出してすぐに蓮さんが不機嫌な声を出した。

「いいじゃん、横を歩くくらい。別に手を繋いでる訳じゃねぇーし。美桜ちんも大変だね。こんなに独占欲の強い奴に捕まって」

そう言ってケンさんは私に笑い掛けてくる。

蓮さんって独占欲が強いんだ。

……知らなかった……。

蓮さんが舌打ちをした。

「あ~、怖い怖い」

舌打ちを聞いたケンさんが全然怖くなさそうに蓮さんに言った。


3人で焼肉屋さんに向かう途中、分かったことがある。

どうやら、ケンさんも有名人らしい。

いつも、蓮さんに声を掛けてくる人達が、蓮さんだけじゃなくて、ケンさんにも頭を下げていた。

その人達への対応も、蓮さんと同じで基本的にシカトで、たまに『あぁ』とか『おう』とか言う程度。

女の子からの黄色い声援にもなんの反応も示さない。


有名人らしい2人と一緒に歩く私への嫉妬の声は更に酷くなる一方だった。

『蓮さんやケンさんと一緒に歩くんじゃねーよ。』

『調子のんなよ!!』

『二人から離れろよ!!』

私へと投げつけられる暴言。

だけど、私はもう俯く事はなかった。

蓮さんに言われた通り、蓮さんの隣で堂々と顔を上げて歩く。

『お前は俺の女だ。いつも、俺の横で堂々としてろ。』

蓮さんの言葉を心の中で何度も繰り返す。

そんな私の頭を優しく撫でてくれる蓮さん。

まるで、その手は『それでいい。』って言っているみたに……。


『調子のってと殺すぞ!ブス!!』

人込みの中から、私に投げつけられた言葉。

その声が聞こえた瞬間、ケンさんの足がピタリと止まった。「ケンさん?」

ケンさんの異変に気付いた私の足も自然と止まった。

隣で立ち尽くしているケンさんの顔を見上げるとケンさんの顔が変わっていた……。


ひぃぃぃっ!!

誰?この人……。

私の隣を歩いていたのはクリクリおめめのケンさんじゃなかった?

幼い子供みたいに焼肉が食べたいって騒いでいたケンさんだったよね?

今、私の隣にいるのは……。

眼を鬼みたいに吊り上げて人混みの中、声のした方を睨みつけているケンさんだった。

私は、チビだからそっちにどんな人がいるのか見えない。

でも、背の高いケンさんの視線は何かを捕らえているみたいだ。

「……んだ」

ケンさんが小さな声で何かを呟いた。

え?

何て言ったの?


「誰に言ってんだ!?俺らが連れている女に気軽に声掛けてんじゃねぇーぞ!!殺すだぁ?やれるもんならやってみろよ!その代わり追い込みかけんぞ!!コラァ!!!」

ケンさんのドスの効いた声が繁華街に響き渡った。

関係のない通行人が足早にその場を離れていく。

辺りが不穏な空気に包まれた。

私達の周りに大きく広がった不自然な空間。

ケンさんの視線の先には恐怖に顔を引きつらせ固まっている10人程の男女がいた。

そして、いつの間にか集まってきたガラの悪い集団。

多分、50人以上いる。

その集団が、顔を引きつらせている人達を取り囲んでいた。私は、その緊迫した雰囲気に耐えられなくなり蓮さんの顔を見上げた。

蓮さんもケンさんと同じ所を見つめていた。

……冷たく鋭い眼で……。

なにも言わないけど、全身からは威圧的なオーラが出ている。

「……蓮さん……」

私の声は震えていた。

蓮さんが私に視線を落とした。

その瞳は、優しいいつもと同じ瞳だった。

「ケン、行くぞ」

怯えている私に気付いたのか蓮さんが私の肩を抱いたまま歩き出した。

「そいつら、片付けとけ」

ケンさんがガラの悪い集団に言い放った。

その声はとても冷たかった。

横を通りすぎる蓮さんとケンさんに頭を下げる集団。


『こっちに来い!!コラァ!!』

『調子に乗ってんじゃねぇーぞ!!』

後ろから聞こえてくる怒声。

その怒声を私は前を向いたまま聞いていた。

私の視界に映ったのは、たくさんの野次馬に化した通行人達。

私達の行く先を、大勢の野次馬達が塞いでいた。

……通れないんじゃない?

そう思ったけど、私の肩を抱いている蓮さんもそれから私の隣を歩くケンさんも足を止めようとはしない。

息苦しさを覚悟しながら、その野次馬達に近寄ると自然と“道”ができた。

その“道”を堂々と歩く蓮さんとケンさんに向けられる様々な視線。

恐怖。

羨望。

興味。

憧れ。

私は、蓮さんに肩を抱かれて歩きながらその二人を遠く感じた。

住む世界が違う……。

数日前までは、私もこの空間の外にいた。

私は、この空間の中にいてもいいんだろうか……?

蓮さんの傍にいていいんだろうか……?

蓮さんの傍に居続けられるんだろうか……?

たくさんの疑問が私の脳裏には浮かんでいた。


しばらく、歩き続け周りに野次馬がいなくなった頃、またケンさんが立ち止まった。

ついさっきの記憶が蘇り私の身体が強張った。

また、スイッチが入ったんじゃないでしょうね?

私は、急いで辺りを確認した。

怪しい人はいないし、“声”も今は聞こえてこない。


「……ケンさん?」

私は恐る恐る声を掛けてみる。

「……美桜ちん……」

「は……はい?」

「……ごめんね!!びっくりさせて……」

ケンさんは、私に向かって頭を下げた。

大きな身体を小さく折り曲げてて……。

その姿を見て私は、胸が痛くなって。

「ケンさん……謝ったりしないで……」

そうよ、ケンさんは悪くない。

むしろ、暴言を吐かれた私を助けてくれたんだから。

逆に私がお礼を言わないと……。

「甘やかすな、美桜」

「へっ?」

「大体、てめぇはすぐにキレすぎなんだ」

「……」

「なんのために、美桜が我慢してたんだ?」

「……」

「少しは頭を使え!このサルが!!」

「……」

……サル……。

そう言われてみるとケンさんってサルっぽいかも……。

蓮さんに一方的に叱られて、お猿なケンさんの大きな身体がどんどん小さくなっていっている。

……なんか、ものすごくかわいそう……。

そう思った私はケンさんに向かって頭を下げた。

「ケンさん、ありがとう」

「……美桜ちーん!!……うぐっ……」

お礼を言った私にケンさんは抱きつこうとして蓮さんの蹴りを横腹に受けた。

「調子にのんな。行くぞ、美桜」

蓮さんが私の肩を抱いて歩き出した。

「……ま……待って……置いて……行かないで……くれ……」

苦しそうにお腹を押さえて蹲ったケンさんの声が気になって振り返ろうとした。

「放っておけ」

「……でも……」

「すぐに追いついてくる」

「え?」


数十秒後、蓮さんの言葉通り、ケンさんは走って私達に追いついてきた……。

無邪気な笑顔を浮かべて……。

この人は二重人格なんだろうかと思うぐらいのさっきとは全く違う表情。

その変貌振りに私は呆然とした。

……多分、ケンさんだけじゃなくて蓮さんもスイッチをいくつも持っていると思う。

まだ、私が知らないスイッチもたくさん持っているはず……。

その全てを知るのは怖い気がする。

でも、私の中には蓮さんの事をもっと知りたいと思う私もいる。

私が人に興味を持ったのは初めてだった。

蓮さんに惹かれている私がそこには確かにいた。


◆◆◆◆◆


繁華街のメインストリートから少し入り込んだ路地にある焼肉屋さん。

立派な店構えから高級店だと一目で私にも分かった。

そんな店にも臆することなく入って行く2人。

明らかに初めてでは無さそうな感じがした。

店内に入ると、店員さんの案内を待つことなく奥へと進む2人は躊躇うことなく店の一番奥の個室に入った。

それは徒かもそこが自分達の指定席だと言う様に……。

襖を開けて入った個室は広い和室だった。

蓮さんは私を部屋の奥側に座らせるとその隣に腰を下ろした。

3人では、広すぎる部屋。

蓮さんの正面にケンさんが座った。

『いらっしゃいませ。』

店員さんがおしぼりとメニューを持ってくる。

「いつものを3人分ね」

差し出されたメニューを見ることなく注文するケンさん。

『はい、かしこまりました。』

店員さんは、それだけ言うと部屋を出て行った。

『いつもの』で通じるって事はかなりの常連さんなのかな?

「蓮さんも焼肉好きなの?」

私はタバコに火を点けようとしていた蓮さんに尋ねた。

「ん?」

「常連さんなんでしょ?」

「あぁ、でもコイツほどではない」

蓮さんの前に灰皿を置いてくれているケンさんを視線で指した。

私がケンさんに視線を向けるともう一つの灰皿を私に差し出してくれた。

「俺、週3は焼肉の日!」

満面の笑顔で答えるケンさん。

「週3?!」

私は受け取った灰皿を落としそうになった。

「食いすぎだよな?」

呆れたように苦笑いする蓮さん。

「俺、この世で焼肉が一番好き。一日三食焼肉でもいい。毎日だって食いてぇし、死ぬ時も焼肉を食いながら死にてぇ!!」

「……」

焼肉に対する想いを熱く力説するケンさん。

その表情は、必死すぎてキレた時と違う意味で怖い……。手に持ったタバコは火を点けるのも忘れていらっしゃるし……。

私は、口を開く事もできずに隣にいる蓮さんの腕を思わず掴んだ。

「そんなことばかり言ってると、葵に殴られるぞ?」

「……」

蓮さんの一言でケンさんは言葉を失って固まってしまった。「あぁ、そうだ。今のも葵に教えといてやろーか?」

「……いや……あの……間違えた……。世界で一番好きなのは葵だった……で、その次が焼肉だった……あははは……」

蒼ざめた顔で笑うケンさんの目は泳いでいた。

……かわいそうに……。

どうやらケンさんの弱点は、“彼女の葵さん”みたいだ。

「だよな?間違うなよ」

楽しそうにケンさんを苛めている蓮さん。

ケンさんの額にうっすらと汗が浮かんでいる。

部屋の中は寒いくらいクーラーが効いているのに。

そんなケンさんを救ったのは、店員さんだった。

『お待たせしました。』

運ばれてきた3杯の生ビール。

それがそれぞれの目の前に置かれていく。

「んじゃぁ、とりあえずおつかれ~!!」

ケンさんが軽くグラスを持ち上げそう言うと美味しそうに喉に流し込んだ。

蓮さんも躊躇う事なくそれを喉に流し込んでいる。

……固まっている私を他所に……。

「旨い!!」

口を手の甲で拭いながらケンさんが満足そうに言った。

「どうした、美桜?」

固まる私にようやく気付いた蓮さん。

「美桜ちん飲まないの?」

ケンさんも、私の顔を覗き込んだ。

「……飲んだ事ない……」

私を見つめる二人の瞳が丸くなった。

そして、顔を見合わせる2人。

しばらくして、2人がハッと何かに気付いた表情を浮かべた。

「お前まだ中学生だったな」

「美桜ちん、まだ中学生だから……」

2人が同時に言い、同時に笑い出した。

「ごめん、美桜ちんすっかり忘れてた」

ケンさんが申し訳なさそうに手を合わせた」。

「タバコは吸うのに酒はダメなのか?」

不思議そうな蓮さん。

「ダメかわかんない。飲んだ事ないから……」

「タバコ吸えるから、酒も大丈夫だよ。飲んでみれば?」

どんな根拠があるのか全く分からないけど自信満々に発言するケンさん。

私は、蓮さんに視線を移した。

「飲んでみるか?」

なんだか、蓮さんも楽しそう。

私を悪の道に誘い込もうとしている2人。

……だけど、堂々とタバコを吸っている私が、今更真面目ぶっていても仕方がない。

私は、グラスを口に運んだ。

「……」

「どうだ?」

「どう?」

2人が私の顔を覗き込む。

心配そうな蓮さんと、興味津々な感じのケンさん。

「……苦い……」

その言葉に二人はまた大笑いをした。

蓮さんが、すぐにウーロン茶を注文してくれた。

私の前にビールとウーロン茶を並べて『好きな方を飲め』って言ってくれた。

沢山のお肉が次々に運ばれてくる。

その量は、半端ではなかった。

それは大きなテーブルに乗り切れない程だった。

やっぱり呆然としてしまう私にお構いなしでどんどんお肉を網に載せて焼く2人。

焼けるのを待ってる間に「これ、食え」って蓮さんが2つのお皿を私の前に置いた。

“レバ刺し”と“ユッケ”

初めて目にしたそれは見た目的に無理だと思った。

だから「いらない」って言ったら「好き嫌いするな」って怒られた。

私は、恐る恐る“レバ刺し”を一切れ口に入れた。

「美桜ちん、これで流し込め!!」

ケンさんがグラスを渡してくれる。

私は、急いでグラスを受け取り喉に流し込んだ。

「……!!」

ウーロン茶だと思ったグラスの中身はビールだった……。「ちゃんと噛めよ!」

また、蓮さんに怒られてしまった。

ケンさんは、1人で声を押し殺して笑っている。

私は、ケンさんを横目で睨んだ。

私に向かって両手を合わせた。

どうやら謝っている様だ。

“レバ刺し”は苦手だったけど“ユッケ”にはハマってしまった。

自分の分を全部食べてしまって、蓮さんのお皿にもお箸を伸ばした。

「旨かったか?」

「うん」

蓮さんが自分の“ユッケ”と私の“レバ刺し”の皿を入れ替えてくれた。


お肉が焼けて辺りに香ばしい匂いが立ち込める。

焼けたお肉を、蓮さんが私のお皿にどんどん入れていく。

山盛りになった私のお皿。

「蓮さん、こんなに食べれない……」

恐る恐る主張してみる。

「そのくらい食え。大きくなれねぇーぞ」

私の主張はあえなく却下されてしまった。

「蓮ってそういうキャラだったか?」

私と蓮さんのやりとりをずっと見ていたケンさんが不思議そうな表情を浮かべた。

「あ?」

「えっ?」

私と蓮さんは同時にケンさんに視線を向けた。

「いや……俺、蓮と付き合い長いけど、女の皿に食いもん取ってやったりすんの初めて見た気がする」

「うっせぇーよ」

……。

「てか、お前が女と肩組んで歩くのも初めてみたし」

「……」

……。

蓮さんは、何も言わない。

私も、何も言えない。

無性に居心地が悪かった。

なんか喉が渇く。

私は、目の前のグラスを口に運んだ。

「……!!」

「どうした?」

「……また、間違った……」

「……ぶっ!!」

ケンさんが飲んでいたビールを吹き出した。

しかも、私に向かって……。


ショックのあまり動けない私。

自分の前にあるおしぼりをケンさんに投げつけ、私の前にあるおしぼりで私を拭いてくれる蓮さん。

蓮さんが投げたおしぼりが顔面にヒットしたのに、ビールまみれの私を見て大爆笑するケンさん。

無邪気に笑うケンさんを見て私も笑ってしまった。

そんな私を見て、蓮さんも笑った。


やっぱり私にはさっきキレたケンさんと、今、目の前にいるケンさんが同一人物には思えなかった。

蓮さんも今こうして笑っている姿を見ていると到底ヤクザには見えない。

格好だって全然それっぽくない。

どちらかと言えば、繁華街の女の子たちの二人に対する反応から見てもイケメンでモテる部類に属する人達だと思う。2人とも私が読むファッション雑誌に今のままの格好で登場しても何の違和感もない。

そのくらい顔もスタイルも服のセンスも完璧だ。

でも、その辺にいる男の子達と決定的に違うもの……。

それは、“雰囲気”。

威圧的で人を寄せ付けない雰囲気。

鋭く、冷たい眼。

今、目の前で大笑いしている2人からは、その雰囲気は感じない。

……でも……。

さっきは2人ともその雰囲気を纏っていた。


その時、無機質な電子音が鳴り響いた。

テーブルの上のケイタイに手を伸ばす蓮さん。

それを見ていたケンさんももう笑ってはいない。

液晶画面を見た蓮さんはボタンを押し、ケイタイを耳に当てた。

「……」

何も言わない蓮さん。

ケイタイから漏れてくる『お疲れ様です。』という男の人の声。

蓮さんは、立ち上がり私の頭を撫でると部屋を出て行った。ケンさんは、蓮さんが出て行った事を気にする様子も無く、お肉を食べながらビールを飲んでいる。

その時、私のバッグからも電子音が聞こえた。

さっき買ってもらったばかりの淡いピンクのケイタイ。

取り出して開くとメールが着ていた。

ケイタイショップからの“ケイタイ購入ありがとうメール”だった。

「美桜ちん、そのケイタイって……」

ケンさんは私の手の中のケイタイを指差している。

「……?」

「その色を選んだのって美桜ちん?それとも蓮?」

テーブルの上のタバコを取りながら聞いてくるケンさん。

「えっ?蓮さんだけど……」

「やっぱり」

意味ありげに笑うケンさん。

「……?」

ケンさんが手に持っていた、タバコを口に咥えて火を点けた。

そして、ゆっくりと煙を吐き出すと座椅子の背に身体を沈めた。

「俺、本当は美桜ちんの事、前から知ってたんだよ」

「え?」

突然のケンさんの言葉。

前から知っていた?

どういうこと?

なんで?

私の頭の中に浮かぶ疑問。

そんな私の顔を見てケンさんがにっこりと微笑んだ。

「聞きたい?」

「うん」

私は頷いた。

「それじゃあ、さっきビールをかけたお詫びに教えてあげる」

「……」

「たぶん、去年の春くらいだったかな。『いつも決まった時間に蓮が繁華街にいる』って俺ら仲間内で噂になったんだ。まぁ、繁華街に蓮がいるのは、珍しい事じゃねぇーけど、『どうも女目的らしい……』って……」

「……女?」

「そう。蓮ってさ昔からすっげぇーモテて女もいっぱい寄ってくるのに特定の彼女って作らなかったんだ。

男だから適当に遊んだりはするけど……でも、1回寝た女とは絶対に2回目は無い……。それは、女が勘違いしねぇーようにって……」

言い辛そうなケンさん。

多分、私に蓮さんが今まで寝た女の子の話をしづらいんだと思う。

確かに、私もそう言う話は聞きたくない気がする。

でも、蓮さんの事を知りたいと思うもう1人の私が口を開かせた。

「……勘違い?」

「“蓮の彼女”っていう肩書きはこの辺にいる女の憧れであって、誰もが強く欲しがるもんなんだ。だから、1回寝ただけで、彼女気取りする奴もいる。1回寝て、2回目が無いって事は遊びの女ってことだ。蓮が特定の彼女を作らないっていうのは有名な話だから1回でもいいからって寄ってくる女は沢山いるけど……」

そこまで、話してケンさんの顔が焦った表情になった。

ケンさんの話を聞いて自分の表情が強張ったのが分かった。それが、ケンさんにも分かったんだと思う。

「……いや……あの……話が逸れちまったな……あははは……」

焦って目を泳がせているケンさんが咳払いをして、深呼吸をした。

「んで、さっきの話だけど……。そんな蓮が“女目的”ってのが俺はどうしても信じられなくて、蓮に聞いたんだよ。そしたら、蓮は素直に認めやがった。あの、蓮がだぜ?『どんな女なんだ。』って聞いたら『桜の花みたいな女。』って言うんだ。こいつ、とうとう頭がイカレたんじゃねーかって思って慌てて俺もその女を見に行ったよ」

楽しそうに話すケンさん。

「その女の子見て蓮の言った言葉の意味が分かった。肌が透けるように白くて、唇と頬が淡いピンクの女の子。小さくて、頼りなくて、ちょっとでも触れたら、壊れそうな女の子。ほら、桜の花ってちょっと風に吹かれただけで散るじゃん。そんな感じの女の子が一人でポツンって座ってんだよ。それ見て、『本当に桜の花みたいだな』って言ったら、『だろ?』って蓮が笑ったんだ。俺がはじめて見る様な笑顔で……」

私の顔を見ながら、ゆっくりと言葉を紡ぐケンさん。

その時を思い出すように。

「それから、俺らの仲間内でその子の事を『桜ちゃん』って呼ぶようになった」

「桜の花みたいだから?」

「そうそう。単純なネーミングだろ?ちなみの俺が考えたんだけどな」

そう言うと大きな声でケンさんが笑った。

「その桜ちゃんって夜になると、いつも繁華街にいるんだよ」

「……」

「『ナンパ待ちか?』って蓮に聞いたら『違う。』って言うんだ。『じゃあ、何やってんだ』って聞いても『分かんねぇ。』って……。確かに声掛けられてもシカトしてるんだよな」

あれ?

……なんか、この話聞いたことがあるような……。

……あっ!!そうだ!!

昨日、蓮さんが言ってたんだ!!

「……ケンさん……」

「うん?」

優しく微笑んでいるケンさん。

「……その“桜ちゃん”ってもしかして……」

ケンさんは楽しそうに私を指差した。

「そう、美桜ちんだよ」

「……!!」

「夜の繁華街って超危ないのに美桜ちんは一人でゲーセンの前に座ってんだろ?その時は大丈夫にしても、そのうち確実に危険に晒されるのは目に見えている。だから、蓮は、“命令”を出したんだ」

「命令?」

「そう。美桜ちんが、『繁華街にいる時は目を離さない事』と『なんかに巻き込まれそうになったら、すぐに蓮か俺に連絡する事』……。蓮が女の事で“命令”出すのなんて初めてだから、下の奴らも張り切ってたんだよ」

ケンさんはとても面白そうに話しているけど……。

それってもしかして……。

「……私、見張られていたの?」

「うん。美桜ちんが繁華街に来てから、帰るまで常に、5~6人はついてたよ」

……。

嘘でしょ?

冗談だよね?

「気付かなかった?」

私の顔を覗き込むケンさん。

「……全然……」

私は、大きく首を横に振った。

「そりゃあそうだ。見張りについていた奴らは、うちの幹部クラスの奴らだからな」

幹部クラスの奴ら?

“うちの”って“ケンさんの”ってこと?

幹部って……。

ケンさんのところの幹部クラスの人達……。

蓮さんと同じようにガラの悪い人達に頭を下げられるケンさん。

蓮さんと同じような視線を向けられるケンさん。

蓮さんと同じような雰囲気を纏うケンさん。

……って事は。やっぱりケンさんも……。


「ケン、余計な話してんじゃねぇーよ」

「ケンさんもヤクザなの?」

戻ってきた蓮さんの声と私の声が重なった。

一瞬、入り口に立っている蓮さんの方を見たケンさんの顔がすぐに私の方に戻ってきた。

その顔は、不思議そうな表情。

「ケンは、ヤクザじゃねぇーよ」

問い掛けに答えたのは蓮さんだった。

蓮さんは私の横に腰を下ろすとタバコに火を点けた。

そして、タバコの煙をゆっくり吐き出した後、静かな口調で言った。

「ケンは、ヤクザじゃねぇよ。この辺を占めているチームのトップだ」


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