エピソード6

やっぱり私は、“ガキ”だった。

蓮さんと一緒にいることを選んだ私。

蓮さんと一緒にいたいと思った。

蓮さんに惹かれているのかもしれない。

人といる事を苦痛だと思う私が唯一、一緒にいたいと思った蓮さん。

でも、蓮さんのことが好きかって聞かれたら分からない……。

人を好きになった事の無い私には“好き”って気持ちが分からない。

蓮さんは、私の事を“好きな女”って言った。

その言葉を聞いて単純に嬉しかった。

でも、蓮さんが私の事をどんな風に想っているのか……。私に、何を望んでいるのかが分からない。

蓮さんと一緒にいるという事がどういう事なのか。

それによって、私の人生が大きく変わるという事を……。私は、全然分かってなかった。






◆◆◆◆◆


「おい、まだかよ?」

鏡を覗き込みながら、マスカラを塗る私に蓮さんが待ちくたびれた声を出した。

「……」

さっきから蓮さんは何度も同じ言葉を口にしている。

私だって初めの数回は、『もう少し待って。』とか『あと少し……。』とか答えていた。

だけど、数分おきに繰り返される言葉に私は口を開く事もしなくなっていた。

私が、返事をしなくても蓮さんは何度も同じ言葉を繰り返す。

「おい、まだかよ?」

……ほら、また言った……・。

まったく、出掛けるなら1人で行けばいいのに!!


◆◆◆◆◆


喫煙の許可が出た私は、蓮さんにくっついてウトウトしていた。

この時間はいつも、まだ余裕で寝ている時間。

夜、眠る事ができない私にとって、昼間は貴重な睡眠時間なのに……。

もう、何年もそういう生活を送ってきたから習慣として体に染み込んじゃってるのに……。

「出かけるぞ。準備しろ」

蓮さんは、私が眠りに落ちるか落ちないかの一番気持ちいいところを邪魔してきた。

「……」

蓮さんの言葉をスルーして寝たふりを続ける。

「目薬点すぞ」

「……!!」

耳元で囁かれた言葉に私は飛び起きて、蓮さんから離れた。そんな私を見て、蓮さんは意地悪く笑った。

「……どこに行くの?」

蓮さんを軽く睨む私。

「飯を食いに行く」

私に、睨まれても全然平気そうな蓮さん。

「お腹空いてないもん」

「あ?」

「……」

蓮さんの低い声に私は口を閉じた。

「……お前いつも飯、食ってんのか?」

「……うん……まぁ……」

曖昧に答える私の顔を見つめる蓮さん。

……なんか、怖いんですけど……。

「朝飯は?」

「食べない」

「昼飯は?」

「……起きてたら……」

「何時に起きるんだ?」

「……夕方……」

「晩飯は?」

「……面倒くさくなかったら……」

……あの……蓮さん……。

顔がどんどん怖くなってるんですけど!?

私、変な事言ったっけ!?

蓮さんの表情にだんだん声が小さくなる私。

「ふざけんなよ?飯ぐらいちゃんと食え!!」

ヤバい!!

この人、すっごい怒ってるんですけど!?

「……はい」

蓮さんの剣幕に私は視線を逸らしてしまった。

「飯、食ったら買い物もするぞ」

溜息を吐きながら蓮さんが言う。

「……どうぞ。いってらっしゃい……」

だって、眠いんだもん。

お買い物がしたいなら1人で行ってくればいいのに!!

「あ?」

「……」

「一緒に行くよな?」

「……」

「行かねぇーのか?」

「……」

「どっちだ?」

「……行く」

「そうだよな」

満足そうな表情の蓮さん。

……これって脅迫?

私、脅されてんの?

なんで?

「早く、準備しろ」

そう、言いながら蓮さんはクローゼットに向かった。

仕方なく私は重い腰を上げ、バスルームに向かった。


◆◆◆◆◆


「やっと終わったか」

メイク道具をポーチに詰め込む私を見て蓮さんが疲れた様に言った。

私の方が疲れてるのに!!

眠いのを我慢して、頑張って準備してんのに!!

そう言いたいけど、言うと怒られちゃうからその言葉を飲み込んだ。

「化粧なんかしなくてもいいんじゃねぇーの?」

今、メイクが終わったばかりの私の顔を覗き込む蓮さん。

「は?無理」

「なんで?」

蓮さんが、不思議そうな表情を浮かべた。

「スッピンで外とか出られない」

「だから、なんで?」

「恥ずかしいから」

「恥ずかしい?昨日、お前タヌキだったじゃねぇーか」

「……!!」

せっかく忘れてたのに!!

まあ、確かにスッピンよりタヌキの方が恥ずかしいけどね!!

だけど、私にとってメイクは洋服みたいなもんだし。

スッピンで出掛けるなんて絶対にありえない!!

「お前は、化粧なんかしなくても充分可愛い」

蓮さんが私の頭を撫でながら言った。

「……はい?」

なに?

この甘い言葉は……。

あぁ、分かった。

タバコの話の仕返しに私のことをからかってるんでしょ?

だってほら、意地悪い顔して……・ない。

私を見つめる優しくて穏やかな蓮さんの顔。

ヤバい。

顔が熱い。

「本当可愛いな、お前」

低い声で囁かれる蓮さんの声に私は眩暈がした。


◆◆◆◆◆


マンションを出ると、あまりの眩しさに目がチカチカした。「眩しい……」

「お前が、昼間寝てばかりだからだ」

蓮さんが、私の肩を抱き寄せた。

小さな声で言ったのに聞こえていたみたいだ。

「……自分はサングラスしてるくせに……」

頭の上にある蓮さんの顔を睨んでみる。

「欲しいなら買ってやる」

「……」

……蓮さんには私の嫌味が通じないみたいだ……。

あっさりと笑顔で返されてしまった。


肩を抱かれた私は、蓮さんの香りに包まれた。

「蓮さんの香水ってなに?」

「うん?EGOISTEのPLATINUM」

「エゴイスト……プラチナム?」

「あぁ」

……エゴイストってCHANELだったような……。

なんか、雑誌で見たような気がする。

こんな香りなんだ。

「香水が欲しいのか?」

蓮さんが私の顔を覗き込んだ。

「蓮さんの香りが何か気になっただけ。香水の選び方って分かんない。自分に合う香りも分かんないし……」

私の言葉に蓮さんは鼻で笑った。

どうせまた私の事を“ガキ”だって思ってるに違いない。

別にいいもん!!

全然気にしないし。

……本当はちょっとだけヘコむけど……。


◆◆◆◆◆


繁華街は、今日も人で溢れかえっていた。

それを見た私のテンションは一段と下がった。

「蓮さん、帰っていい?」

「なんで?」

「……人が多いから……」

「却下」

私の意見はあえなく却下されてしまった。

……はぁ……。

だって、あんなに人がいるんだよ?

歩けるわけないじゃん。

そりゃあ蓮さんは、背が高いからいいけどチビな私は、人込みに行くと、息だってしにくいんだから。

とてつもなく苦しいんだから!!

1人でテンションが下がりまくっている私を無視して蓮さんは人の波に向かう。

「……なに?これ……」

私の口から思わず出た言葉。

こんなに人がいるのに……。

歩き難いくらい人が行き交っているのに……。

私と蓮さんの周りには不自然な空間ができていた。

あの時のような……。

昨日の待ち合わせの時みたいな……。

あの時、蓮さんが纏う雰囲気に私も近付く事ができなかった。

みんなが、暗黙の了解みたいにその空間に近付かない。

……違う……。

近付かないんじゃなくて近付けないんだ。

蓮さんの雰囲気が怖くて近付けないんだ。

そんな周りの様子を気にする様子もなく、蓮さんは私が歩くペースに合わせて歩いてくれている。

『お疲れ様です。』

『蓮さん、今日は早いっすね。』

『うーす!!』

蓮さんに頭を下げにくるガラの悪い男の人達。

『蓮、今度飲みにいこうぜ。』

『女かよ。珍しいな。』

『ケンが昨日探してたぞ。』

明らかに蓮さんより年上で怖そうな人達。

そんな人達に話し掛けられても蓮さんは足を止めることなく『あぁ。』とか『おう。』とか短い返事を返すだけ。

『あー!!蓮さんじゃん!!』

蓮さんに声を掛けてくるのはガラの悪い厳つい男の人だけじゃなく

『きゃー!!超かっこいい!!』

『蓮さーん!今度遊んでー!!』

相変わらず女の子達にもモテていた。


でも、やっぱり女の子達には全く興味が無いようで蓮さんはなんの反応もしない。

『誰?あの女。』

『なんで、蓮さんと歩いてんの?』

『いやー!!蓮さんが肩抱いてる!!』

私に向けられる嫉妬の言葉。

私に聞こえるようにわざと大きな声で……。

……蓮さん、私なんかと歩いていたらダメなんじゃないの?

……肩なんか、抱いていたらダメなんじゃないの?

「ねぇ、蓮さん」

蓮さんが私の顔に視線を向けた。

「肩を離して」

「なんで?」

「蓮さんが私の肩を抱いてるからみんながショックを受けてる……」

私の顔を見つめる蓮さん。

「美桜」

「うん?」

「お前は、俺の女だろ?」

「……うん」

「だったら、俺の横で堂々としてろ。俺以外の奴に何を言われても気にするな。お前は、俺の事だけ見てればいい。他の奴の言う事は聞くな」

ゆっくりと静かな口調。

サングラスのレンズ越しに見える蓮さんの瞳はまっすぐに私を見つめていた。

吸い込まれそうな漆黒の瞳。

「分かったな?」

「……うん」

「それでいい」

満足そうな笑顔。




◆◆◆◆◆


私は、蓮さんに連れられてファミレスに入った。

『なに食う?』って蓮さんが聞くから、お腹が空いてない私は、『サラダとスープ』って蓮さんに言った。

そう言った後、トイレに行った。

……でも、私の前に並べられた料理は、チーズハンバーグとライスとサラダとスープだった。

「蓮さん……。これって何かの間違いなんじゃ……」

きっと、店員さんがオーダーを聞き間違ったんだ。

そうに違いない!!

「あ?」

「だって、私こんなに頼んでないもん」

「間違いじゃねーよ。そのくらい食え」

「……」

食べれる訳ないじゃん!

お腹なんて空いてないって何度も言ってるでしょ!?

「残すなよ」

ニッコリと笑顔の蓮さん。

でも、目が笑ってなかった。

なんか、怖いんですけど……。

もし残したら、私、殺されるんじゃないの?

「私、蓮さんと一緒にいたら太ると思う……」

「いいんだよ。もう少し太れ」

……絶対イヤ!!

太りたくなんてない!!

……でも……。

残したら殺されちゃう!!

そう悟った私は、葛藤と戦いながら必死で食べた。

途中で気持ち悪くなったけど頑張った。

最後の方は、味も分からなかった。

なんで、食事をするだけなのに、こんなに必死にならないといけないんだろう?

……蓮さんのせいだ。

なんか、ムカつく……。

ちょっと、嫌味でも言ってみようかな。

顔を上げると頬杖をついて、私を見つめている蓮さん。

優しくて穏やかな笑顔。

「うまいか?」

「……うん」

「そうか」

嬉しそうに笑う蓮さん。

ズルい……。

そんな、顔をされたら何も言えないじゃん……。

……でも……。

まぁ、いいか……。


◆◆◆◆◆


ファミレスの前に蹲る私の前に、しゃがみ込む蓮さん。

「苦しいのか?」

蓮さんは心配そうに私の頭を撫でながら顔を覗き込んだ。

「……苦しい」

「薬、買って来るからここで待ってろ」

「薬?」

「あぁ、胃薬買ってくる」

「……」

「……?」

「大丈夫!もう、良くなった!!」

私は慌てて立ち上がった。

「美桜?」

驚いた表情の蓮さん。

「本当にもう大丈夫だから!!何を買いに行くの?早く行こうよ!!」

私を見つめていた蓮さんがゆっくりと立ち上がった。

「美桜」

「な……なんですか?」

「お前、薬もダメなのか」

蓮さんは、笑いを堪えている。

「え?……いや……その……」

焦る私を見て蓮さんは声を上げて笑い出した。

「……だって、苦いんだもん」

そんなに笑わなくてもいいじゃん!

飲めないんじゃないもん。

飲みたくないだけだもん。

「もう、大丈夫なんだな?」

笑いを押し殺して蓮さんが尋ねた。

「うん。もう大丈夫」

「そうか、じゃあ行くか」

「うん」

蓮さんは、私の肩を抱いて歩き出した。


◆◆◆◆◆


最初に行ったのは、洋服のショップだった。

『いらっしゃいませ!!』

お店に入ると綺麗なお姉さんが声を掛けてきた。

「こいつに似合う服持ってきて」

蓮さんが、綺麗なお姉さんに言う。

はっ?

こいつ……って私のこと?

私、服なんて要らないんですけど!?

そんな私にお構いなしの蓮さんと綺麗なお姉さん。

『かしこまりました。只今、お持ちいたしますのでこちらでお待ちください。』

そう言って私と蓮さんをフカフカのソファに案内した。

なに?この店……。

なんで、こんなに対応が丁寧なの?

私がいつも行くショップは接客もタメ語なんですけど……。

そして、綺麗なお姉さんが持ってきた服の量を見て私は唖然とした。

それなのに、蓮さんは至って平然な顔をしている。

「美桜、試着して来い」

どれを?

あんなに、たくさんある服のどれを試着すればいいの?

……もしかして全部着るの?

まさかね……。

『こちらへどうぞ。』

綺麗なお姉さんが試着室に案内してくれた。


結局、全部着せられた……。

試着室から出てくる私を見て蓮さんと綺麗なお姉さんは真剣に話している。

そして、蓮さんが『いい。』とか『だめだ。』とか言うと綺麗なお姉さんが次の服を持ってくる。

……満面の笑顔で……。

途中から、私にはその笑顔が悪魔に見えていた。

全部試着が終わるのに、二時間近くも掛かった。

私は、疲れ果ててソファに座り込んだ。

綺麗なお姉さんと話していた蓮さんが私の方に歩いて来る。そして、私の横に腰を下ろした。

綺麗なお姉さんが、紙を持って来て蓮さんに差し出した。

蓮さんが、クレジットカードを綺麗なお姉さんに渡した。

綺麗なお姉さんが、一礼してそのカードをレジに持っていく。

呆然とその光景を見ていた私は我にかえった。


「蓮さん、自分で払う」

私はバッグに手を伸ばした。

その手を蓮さんが掴んだ。

「いい。俺が勝手にやってることだ」

「……でも、昨日も服を買って貰ったし……」

「全部俺が好きでやってんだ。お前が気にすることじゃねぇーよ」

私は、それ以上お金を出すとは言えなかった。

蓮さんが掴んだ手を引っ張って私の身体を引き寄せた。

「ちょっ、蓮さん!!人が見てる!!」

ここはショップで店内にいるのは私と連さんだけじゃない。お客さんもいれば、店員さんもいる。

それなのに蓮さんは平然と言い放った。

「気にするな」

蓮さんは恥ずかしくないのかな?

そう思いながら私は赤くなった顔が見えないように蓮さんの胸に顔を埋めた。

「美桜」

「なに?」

「今度から俺と出掛ける時は財布を持ってくるな」

「え?」

「お前は、財布なんか持ち歩かなくていい。欲しいモノがあったら言え。なんでも、買ってやる」

「ダメだよ」

「あ?」

「それは、蓮さんのお金なんだから……。自分の為に使わないと……」

「俺の金だから美桜の為に使うんだ」


蓮さんは、私のどこがいいんだろう?

私のどこを好きになったんだろう?

なんで、私なんかの為にこんな事が言えるんだろう?

私は蓮さんの為に何ができるんだろう?


「分かったな?」

「……うん」

蓮さんは私の頭を優しく撫でた。

私は、こんなに甘えていていいのだろうか?

本当は、生まれてきた事さえも罪な私がこんな事していていい筈がない。

そのうち、また罰が与えられるかもしれない……。


『お待たせいたしました。』

綺麗なお姉さんは持ってきたクレジットカードを蓮さんに差し出した。

私は、慌てて蓮さんから離れた。

そんな私を蓮さんは不機嫌そうに睨んだ。


『お荷物は、いつもの方にお預けしてよろしいですか?』

綺麗なお姉さんが笑顔で蓮さんに聞いた。

いつもの方?

預ける?

「あぁ。後から取りに来させる」

蓮さんが立ち上がり、私も慌てて立ち上がった。

『いつも、ありがとうございます。』

綺麗なお姉さんが深々と頭を下げた。

蓮さんは私の肩を抱き寄せ店を出た。

『また、お待ちしております。』

綺麗なお姉さんが店の外まで見送ってくれた。


「蓮さん、あの店にはよく行くの?」

「あぁ、俺の服はほとんどあそこのブランドだ」

「ふーん」

やっぱり常連さんなんだ。

「誰が荷物取りに行くの?」

「気になるのか?」

「ちょっと」

「そのうち、嫌でも会える」

「……?」

嫌でも会える?

どういう意味なんだろう?

蓮さんの知り合いでしょ?

なんで、わざわざ荷物取りに行ってくれるんだろう?

しかも、綺麗なお姉さんは『いつもの方』って言っていた。

……っていう事は、蓮さんはいつも買い物したら人に運んでもらうの?

……やっぱり蓮さんって不思議な人だ……。

『いらっしゃいませ!!』

その声で我にかえった私はその場に固まった。

そして、自分の目を疑った。

カラフルな商品が陳列されたお店。

店内には、スタイル抜群なマネキンさんが下着姿であっちこっちに点在している。

中にはまったく下着の役目を果たしてないような、スケスケのパンツとブラをつけて真剣な顔でこちらを見ているマネキンさんもいる。

「……蓮さん、お店間違ってない?」

「あ?」

「ここってランジェリーショップだよ……」

「全然、間違ってねぇーよ」


そう言うと、蓮さんは固まる私の肩を抱いて平然と店の奥に入っていこうとする。

ちょっ……ちょっと待ってよ!!

なんで、蓮さんが、入って行くのよ!!

他にお客さんが居ないからまだいいけど、下手したら通報されちゃうよ!!

蓮さんが変質者扱いとかされるのは想像できないけど……。

そんなの嫌だし……。

今なら、まだ間に合う!!

頑張って蓮さんをお店から出さないと!!

「れん……」

『今日は、どんなものをお探しですか?』

私が、口を開くと同時に笑顔の店員さん話し掛けてきた。はぁ?

いいの?

男の蓮さんがここにいてもこの人は不審には思わないの?

蓮さんを変質者だと思って通報したりしないの?

「コイツの選んで」

蓮さんは、相変わらず平然としていた。

よく、分からないけど男の人ってこんな店入らないんじゃないの?

1人で焦っている私の方がおかしいの?

『分かりました。少々お待ちください。』

店員さんが、私達から離れた。

「良かったね、蓮さん」

「なにが?」

「通報されなくて……」

「なんで?」

「変質者扱いで……」

「あ?なんで、俺が変質者なんだよ?」

……しまった……。

安心してつい言ってしまった。

……すっごい睨まれてるし……。

……怖いんですけど……。


『こちらにどうぞ!!』

ナイスなタイミングで私は店員さんに呼ばれた。

ラッキー!!

「俺が、変質者になった経緯を後でゆっくり聞かせてもらうからな」

逃げるように店員さんの所に行こうとする私の耳元で蓮さんが囁いた。

ひぃっっー!!

……怖過ぎるし……。

私は走って店員さんの元へと逃げた。


『こちらで、上を全部脱がれてから、これを着て声を掛けてください。』

手渡されたのは、バスロ-ブみたいなもの。

「……?」

とりあえず、私は店員さんの言葉に素直に従って試着室みたいな所に入った。

バスローブみたいなモノを着て店員に声を掛けた。

『失礼します!!』

満面の営業スマイルで中に入ってくる店員さん。

『ご一緒に来られている方、彼氏さんですか?』

「え?……あっ……はい……」

『いいですね。カッコいいし優しそうで。』

「……はぁ……」

『最近多いんですよ。カップルでおみえになるお客様。』

「そうなんですか?」

『えぇ。』

……そうなんだ……。

蓮さんだけじゃなかったんだ。

『それじゃあ、失礼します!!』

そう言うと、店員は結んである紐を解いた。

……えっ?なに?

状況が飲み込めず唖然とする私のバスローブの前を店員さんが勢いよく開いた。


……そして……。

「……!!」


店員さんと2人っきりの密室に私の声にならない悲鳴が響き渡った。


『それじゃあ、着替えられてから出てきて下さいね」

そう言って店員さんは笑顔で出て行った。

『お待たせしました。Cの65ですね。』

外からさっきの店員の声が聞こえてくる。

ちょっと!!

なんで蓮さんに私のバストのサイズ言うのよ!?

「あぁ、そう。じゃあ適当にあいつに似合いそうなの選んで」

蓮さんもなんでそんなに冷静な訳?

それがふつうなの?

私がおかしいの?

……なんか、もうよく分からない……。


着替えを済ませ私はフラフラと蓮さんの元へ近付いた。

そして、横に力無く座る。

「どうした?」

蓮さんが私の顔を覗き込んだ。

「……今日初めて会ったお姉さんに胸を見られた上に触られた……」

「サイズ測る為だろ?」

「……そのサイズを蓮さんに報告された……」

「あぁ。お前見た目より胸でけぇーじゃん」

「……」

「嫌だったのか?」

「……うん……」

「どっちが?」

「……両方……」

蓮さんが、私の肩を抱いて自分の方に引き寄せた。

「そんなに、嫌なら今度から俺がサイズを測ってやる。それに、サイズは聞かなくてもそのうち分かるんだ。そんなに落ち込むな」


……サイズは……そのうち分かる?

……えっと……もしかして、それって……。

……。

……。

まさか!?

そう言う事だよね!?

蓮さんの言葉の意味を理解した私は顔が熱くなるのを感じた。

ダメだ……蓮さんの顔が見れない……。


アタフタとする動揺は蓮さんにもすぐにバレたらしく……。

「俺が、お前の事を知るのは当たり前の事だ。何も恥ずかしいことじゃねぇ。分かるな?」

私を諭すように言葉を紡いだ。

不思議と蓮さんにそう言われるとそんな気がしてくる。

本当に当たり前の様な気がしてくる。

「……分かるの?」

「あぁ、そのうちな」

「なんで?」

「俺は触ればサイズが分かる」

……。

……やっぱり……。

蓮さん私は、貴方の事を勘違いしていた様です。

たまに怖いけど優しくて良い人だと思っていたのに……。ただのエロい変質者だったのね!?

なんで、そんなに自信たっぷりに言ってんのよ!?

一体、何の自慢してんのよ!?

……っていうか、そんな事自慢されても全然尊敬できないし!!

「……エロ変質者……」

「あぁ?」

し……しまった!!

つい、口に出しちゃった。

『あぁ?』がいつもより低くて、ドスが効いているような気がするのは私だけでしょうか?

もしかして、私ったら蓮さんのスイッチ押しちゃった?

“ヤクザスイッチ”を押してしまったんでしょうか?

私は、恐る恐る顔を上げてみた。

ひぃぃぃっ!!!

これは、マズい!!

蓮さんの綺麗に整った顔が……。

眉間に深い皺を寄せて、切れ長の目を吊り上げていらっしゃるんですけど!?

怖いんですけど!!

「今、なんて言った?」

「……」

「俺が聞いてんだ、答えろ」

「……」

「今すぐ家に帰ってゆっくり話すか?」

「……エロ……」

「あ?」

「……エロ変質者って言いました。ごめんなさい」

「それは、誰の事だ?」

「……さっき店の前を通ったオッサン」

「……」

「すみません、ウソです。……蓮さんの事です」

「なんで俺がエロ変質者なんだ?」

「……」

「表でるか?」

「……私の胸を触ろうとしてるから……」

「……」

閻魔大王みたいな顔の蓮さんが大きな溜息を吐いた。

そして、その表情が和らいだ。

「自分の女の胸を触って何が悪ぃんだ?別に今すぐ無理矢理触るつもりなんてねぇーよ。お前がいいって思うまで待つに決まってんだろ」

そ……そうか……。

そうだよね。

私は何を一人で勘違いしてんだろう。

「……ごめんなさい……」

「別に謝らなくていい」

「……でも……」

「俺は、お前に嫌われるような事はしたくねぇ。だから、お前もイヤな事は『イヤ』ってはっきり俺に言え。分かったか?」

「はい」


……少しだけ……。

ほんの少しだけ、蓮さんが私の事をどんなふうに想ってくれているのかが分かった気がする。

心の中がふんわりと温かくなった気がした。

私は、なんの戸惑いも無く蓮さんにくっついて、その広い胸に顔を埋めて背中に手を回した。

なんで、そうしたのかは分からない。

……ただ、そうしたかっただけ……。

そんな私に蓮さんはちゃんと応えてくれる。

優しい温もりで私を包み込んでくれた。


◆◆◆◆◆


ランジェリーショップを出た私はグッタリと本当に疲れ果てていた……。

なんで、こんなに疲れるの?

私は、ただ買い物しているだけのはずなのに……。


あの後もランジェリーショップのお姉さんは多種多様なブラとパンツを私と蓮さんの前に広げて営業トークを機関銃のごとく打ち出していた。

しかも、それは私にじゃなくて蓮さんにだった。

間違いなくあの下着を使用するのは私のはず……。

それなのに、私の意見を聞く事は一切無く、蓮さんの『いい。』とか『ダメだ。』の意見だけが尊重されて、どんどん決定されていく。

そして、山積みになったブラやパンツがお買い上げ決定となりお姉さんの顔が光り輝いた。

蓮さんは、当たり前の様にクレジットカードで支払いを済ませた。

ここの荷物も後で取りに来てもらうらしい。


ランジェリーショップを出てフラフラになった私に蓮さんは鬼のような言葉を平然と言った。

「もう一軒いくぞ」

まるで酔っ払いのサラリーマンが言うセリフみたいに……。

その言葉に私が絶望を感じたのはいうまでもない。

次はどんなお店なの?

どんな試練が待っているの?

胸まで触られた私が次はどこを触られるの?

「……もうどこも触られたくない……」

心の底から出た私の言葉に蓮さんが怪訝な表情を浮かべた。「どこも触られねぇーよ」

「じゃあ、どこに行くの?」

「ケイタイショップ」

「……あぁ、そう」

よかった!!

これ以上触られたら確実に気絶するところだった。

胸を撫で下ろした私は、蓮さんに肩を抱かれて何とか歩き出した。


ケイタイショップに入ると、私は迷うことなく蓮さんから離れて椅子に座った。

蓮さんの用事が終わるまでここで休ませてもらおう。

椅子に座り込んだ私は、大きな溜息を吐いた。

本当に疲れた。


「どれがいい?」

私の貴重な休憩時間を邪魔するのはまたしても蓮さんだった。

「なにが?」

「ケイタイ」

「誰の?」

蓮さんは大きな溜息を盛大に吐いた。

「お前のだよ」

「なんで?」

「お前、ケイタイ持ってんのか?」

「持ってない」

「……だからだよ」

「いらない」

「なんで?」

「使わないから」

「友達とかと連絡取れねぇーと不便だろ?」

「友達とかいないから」

ケイタイを今まで持ってなかったのは、使わないから。

掛かってくることもないし、掛けることもない。

ケイタイが無くても全然困らないし、不便でもない。

だから、必要ない。

「なら、俺用だ」

……俺……用……?

……蓮さん……用……?

……蓮さん専用?

「蓮さん専用って事?」

「あぁ」

「それって、必要?」

「あぁ、俺がお前と別行動する時に必要だ」

「そっか。でも、私メールとかできないよ」

「頑張って覚えようとか思わねぇーのか」

蓮さんが呆れたように笑った。

「……面倒くさい……」

「そう言うと思った」

蓮さんは楽しそうに笑った。

やっぱり私の言動は蓮さんに読まれているらしい。

「これは、必要だから買うんだ。好きな機種を選べ」

「……じゃあ、蓮さんが持ってるのと同じのがいい」

少し驚いた様子の蓮さん。

「俺のと一緒でいいのか?」

私は、小さく頷いた。

一瞬、蓮さんが嬉しそうに笑ったような気がした。


「ほら」

そう言って手渡されたケイタイは、蓮さんと同じ機種の色違い。


蓮さんのケイタイは、深い海のような濃い青。

私のケイタイは、桜の花みたいな淡いピンクだった。

あんなに、必要ないって思っていたけど手渡されたケイタイを見て素直に嬉しいって思った。

……メールの練習をしてみようかな……。

「蓮さん、ありがとう」

「あぁ。メモリーに俺の番号とアドレスが入ってる。別行動の時になんかあったらすぐ連絡してこいよ」

「うん」

私は、真新しいケイタイをバッグに仕舞った。


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