第4話.ショタコンの家族


 ぼんやりと目覚めると、知らない天井だった。パシパシと瞬きを繰り返して、視界はようやく明瞭になる。ハッと身を起こすと、私は知らない部屋の知らないベッドに寝ていた。


 気絶したんだ……あれ、その前に、大事なことを思い出した気が。


「っ!!」


 私は口を両手で覆った。そうだった、私は、知らぬ間に失っていたアイリーンの記憶を取り戻したのである。

 前世の記憶を取り戻した時、アイリーンとして生きた十三年の記憶はそのままだと思っていたが、どうやら違ったらしい。


 混濁している部分があった。例えば、リオがいつ・・私の弟になったか、とか。


 そう、リオは私の……アイリーンの実の弟ではないのだ。


 あれは、三年前。

 森の中で、血塗れで倒れている幼子を発見したのはアイリーンだった。



―――――………



 アイリーンはあの日、いつものように朝食を終え、ご機嫌で日課の散歩に出掛けた。春だったと思う。穏やかな風、麗らかな日差しに照らされて、私はご機嫌に森を歩いていた。


 そんな時、萌芽の季節を迎えた春の森には似合わない殺伐とした赤を見つけてしまったのである。


「えっ、あれって……」


 それが何であるか……背中を浅く切りつけられ、大量に出血して意識を失っている幼子であると気づいて、私は悲鳴を上げた。

 家から近かったこともあり、外で薪割りをしていた父がすぐに駆けつけた。そして父は私を落ち着かせ、家に戻るよう言いつけると、自分の薄手の上着を脱いでその幼子をくるんで抱え上げた。


 家に戻った私は、動転したまま何とか状況を母に伝え、それをしっかり理解して必要になりそうなものをバスケットに詰め込んだ母にくっついて、父が向かったであろうサラジュードの家へ行った。


 彼の魔法があったから、普通なら助からなかった幼子は一命をとりとめた。

 身元不明に加え、何者かから死ぬような怪我を負わされるような身の上である幼子を、両親は迷わず引き取った。

 そして、その幼子が握りしめていた布切れに書いてあった「リオ」という名前を見て、それをそのまま彼の名前と決めたのである。


 それがリオとアイリーンの出会い。



―――――………



 きっとリオは記憶の深く見えないところにあの日の記憶があるから、独り置いていかれることを酷く恐れているのだ。


 だとしたら私は、何て惨いことを……


 帰ったら謝ろう。修行のことを話すことはできないけれど、それでも、絶対に一人にしないと約束しよう。


 うん、絶対にそうしよう。


 私は頬を伝う涙に震えながら、そう決めた。その時、がちゃりと木の扉が開く。その向こうから現れたのは師匠、サラジュードであった。


「む……目が覚めたか、アイリーン」

「師匠……あの、私は……」

「もう落ち着いているということは、悩みは解決したのじゃろう。話さんでいい」


 師匠はぶっきらぼうにそう言って、手にした盆を差し出した。その上には水差しとコップが載っていて、私は自分の喉がカラカラに渇いていることに気づく。

 小さく礼を言って水を飲む私を、師匠はじっくり観察していた。


「……やはり、わしの見立て通りお主は『精霊の愛し子』らしい」

「がふっ、げほっごほっ……」


 私は思わず水を噴いた。思いっきり噎せてしまい、咳き込む私の背を師匠が苦笑してさする。


「な、それ、ごほっ……」


 何でそれが分かるの、と言おうとしたのにこのザマだ。


「わしの目は特殊でな。宮廷魔導士時代にも活躍した目じゃ。そのものの隠されたものを見抜く」

「かく、された……」


 え、じゃあ私が前世の記憶持ちのショタコンだってこともバレる? それは困る。


「安心せい、もう衰えた。あまり深いところまでは覗けぬ。全盛期はそれこそ、魂の真髄まで見えたのじゃがな」


 危なかったぜジョン。師匠が衰えてて良かった。喜ぶところか微妙だけど。


「さて、今日お主は感情の荒れによって体内の魔力が揺さぶられ、暴走を起こしたわけじゃが……その危険性は理解したな?」

「……はい」

「基本的な制御のすべは、元々知っておったのだろう。アイザックも、ローズも、魔力持ちじゃからな」


 私はこっくりと頷いた。そう、制御の術は持っていたのに、私は暴走を起こしたのである。周りに人がいなくて良かったと思った。


「あ」

「どうした?」

「み、水汲みの仕事が……」


 記憶とか暴走とか記憶とか、諸々の事情ですっかり忘れていた。私の家族の中での仕事、水汲みを途中で放棄している。師匠は水瓶を持ってきてくれなかったみたいだし、早く拾いに行かなきゃ。


「落ち着け、アイリーン」

「だって……」

「お主は秘密にしたがったようじゃがな、こうなれば仕方があるまいと判断した」


 私を押し止めた師匠が手を叩いた。すると扉が開いて、その向こうから……


「父さん、母さん、リオ?!」


 そこには父さんと母さん、そしてリオがいた。私はすっとんきょうな声で叫び、涎を変なところへ飲み込んでまたもや盛大に噎せる。


「げほっ、師匠、なんで」


 てめぇ許さねぇぞ師匠、と睨み付ければ彼は肩をすくめて平然と答えた。


「本気で隠しているつもりだったのか」

「こほっ……はぇ?」


 私は目を見開いて首を傾げる。そのまま近づいてきた父さんと母さん、そして愛しのリオを見上げた。難しい顔をした父さんが口を開く。


「アイリーン。昨日、ちょうどお前が出掛けていく時、父さんは薪割りをしていたんだ。珍しく西へ向かうから心配になってついていった」

「え……」

「サラジュードさんの家に入るお前を見て何となく分かってしまった。お前は、もっと小さい頃から「魔法が使いたい」と散々言ってたから……」


 そうだったっけ。

 次に母さんが私の目を見て言った。


「アイリーン」

「はひっ!」


 怒るときの声だ。すごく怖いやつ。私が森に遊びに出掛けて巨木に登ろうとした時とか、川に一人で遊びにいった時の、超怖いお説教だ。


「貴方は、どんなに大きくなったって、強くなったって、私たちが守りたい大切な娘よ」

「母、さん……」


 すごく怒られると思ったのに。母さんは私を優しく抱きしめてそう言った。とても暖かくて、前のお母さんを思い出して、私の目に涙が溢れてきた。


「ありがと、母さん、父さん……黙っていてごめんなさい……」


 頷いた母さんはそっと身を引き、次に進み出てきたのはリオである。私は朝の気まずさを思い出したが、彼が口を開く前にぐっと抱き寄せた。


「ごめんね、リオ。私は絶対に貴方を一人にしないから、必ず貴方のところに帰ってくるからね」

「おねえちゃん……ぼくもつよくなるよ。おねえちゃんを、まもれるくらい、おおきくなるから」

「ふふ、頼もしいね、私の弟は」

「うん。だいすき、おねえちゃん」


 こんな真面目な場面だけど、私はリオの可愛さに悶絶して呻いた。ああ、涙が出てきちゃうや。


 私の秘密の修行は、たった一日半で秘密ではなくなってしまった。それでも、なんだかいいやと思えた。

 それに、隠していたって怪我をするようになったらバレてしまうだろうし……知っていてもらった方が良かったかも。

 私は腕の中で照れたようにはにかむリオに微笑み、その頭を撫でて「ありがとう」と小さく伝えた。

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