第3話.ショタコンの涙
「リオ、どうしたの? そろそろ寝る時間でしょ?」
「おねえちゃん……あの、あのね」
はぁぁぁぁぁぁッ可愛いぃぃぃぃぃ!!
遠慮がちに両手を後ろに回して、もじもじと近づいてくる
ふわふわした金髪に丸い菫色の瞳、もちっとした薔薇色の頬も相まって、地上に迷って舞い降りてしまった天使にしか見えない。
手招いて、ベッドの上の自分の隣に座らせる。リオはいつもの恥ずかしがった様なはにかみを浮かべたが、すぐにその表情は沈んだ様に暗くなってしまった。
私はその伏せられた長いまつ毛の一本一本すら愛おしくて、じっと眺めながら彼が自分から口を開くまで黙って待っている。
「……おねえちゃん、今日は、どこにいっていたの?」
「ぐふっ……」
はい、上目遣いいただきましたーー! はぁーッ、可愛い。
「ええとね、今日は師しょ……魔導士のお爺さんのところへ行ったの」
危うく脳内の「可愛い」コールが口をついて出そうになったが、それを飲み込んでそう答えると、リオはしょんぼりと眉尻を下げた。
えぇーー? どうしたの? 可愛い。
「どうして……?」
「えっ……」
薄紅色でぷるぷるの唇をきゅっと引き結んで、リオはそう言った。何故か、菫色の瞳を潤ませている。
これには流石に脳内の「可愛い」コール隊もそっと口をつぐんだ。純粋に弟が心配になってきたのである。
「それは……」
秘密だ、とすぐには言えなかった。
私は幼い頃に受けた魔力の測定で一応魔法は使えることが判明している。しかし、両親は「危ないことはするな」と言って基本の魔力制御しか教えてくれず、歳を経て魔力が増え、それにより暴走したりすることはなかったが、魔法は使えなかった。
リオも魔力持ちであることが判明している。私が魔法の修行を始めることを告げれば、一緒にやりたいと言うだろうし、両親にも言ってしまうかもしれない。この子はとてもいい子なのだ。心配になるくらいに。
リオには、やらせたくない。せめて、もう少し大きくなってから……
「ごめんね、リオ。ちょっと、秘密なの。もう少ししたら教えてあげられると思う。我慢できるかな?」
私は内心滂沱の涙を流しながらそう言った。多分、リオは傷つく。大好きな姉に、今まで訊けば何でも教えてくれた姉に、初めて「秘密」と言われ、答えを教えてもらえなかったのだから。
案の定、リオの菫色の瞳がうるうると震え、そしてぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちた。
ああ、心が痛い。死にそう。でもごめん、言えないや。
そんな身勝手なことを考えながら溢れそうになる涙を必死に堪える。私は泣くべきじゃない。「ちょっとしたこと」を秘密にするだけなんだから、泣いてはいけないのだ。
「うっ、おねえ、ちゃん……」
リオはぽろぽろ泣きながら私を見上げて顔を歪め、そしていきなりガバッと私に抱きついた。
「うわぁぁんっ、おねえ、ちゃんっ、おねがいだから、どこへも、いかないでっ!」
「リオ……?」
「ぼくを、おいていかないでっ、うぐっ、ひとりに、しないでっ、ひぐっ、うわぁぁんっ!!」
私が遠くに行ってしまうような気がしたのだろうか。必死に私にしがみついて泣く弟の頭を優しく撫でる。
多分、リオの感じていることは間違っていない。修行に時間を割けば、その分リオといる時間は減る。
幼く愛おしい彼と少しでも離れているのは私も
でも……
どうして、まだ四歳でしかないリオの口から「ひとりにしないで」なんて言葉が出るのだろうか。まだ、与えられる絶対の愛情を信じて疑わない年齢なのに。これも、もしかして私のせいなのだろうか。
―――――………
翌朝。あのまま泣きつかれて眠ってしまったリオと一緒に寝て起きたら、彼は恥ずかしそうにいつも通りはにかんで、赤い目元を擦り、とぼとぼ私の部屋を出ていった。
その背中に胸が酷く痛むのを俯いてじっと堪えてから、私はそっと立ち上がった。修行は今日から始まる。さっさと自分に与えられた家の仕事を終えて、師匠のところへ行かなければ。
朝食の間も、母が「昨日はお姉ちゃんと一緒に寝たの?」と微笑んで訊くのにリオははにかんで頷き、それきり何も言わなかった。
私は気まずさと胸の痛みにいつもより食欲が出ず、早々に朝食を切り上げて外へ水汲みに出掛けた。
どうしてリオは、あんなに自己を押し込めることが得意な子なんだろう。もっと、泣いて喚いて「おねえちゃんの馬鹿」と責め立ててくれれば良いのに。
これも私のせいだとしたら、私は本当に酷いことを。まだあんなに幼いリオの心の在り方を歪めるなんて。
井戸の前で私は水瓶を片手に俯いた。溜め息、それでも落ち着かない感情が次第に魔力を揺さぶり始める。
駄目、駄目、落ち着かなきゃ。
井戸の底から水が跳ね回る音が聞こえてくる。私の周りでは風が渦を巻き始め、魔力が伝って地面に亀裂が入った。大気に満ちる魔力と私から荒れる感情のままに溢れ出る魔力が擦れ合って火花が散る。
うっ……身体が痛い。でも、それ以上に心が痛い。
ショタショタと喜んでいた一昨日の昼の私はいない。リオは確かに私の家族で、一番愛おしい。それは、それは……――――
――血塗れの幼子の姿が脳裏を
これ、は……私の、アイリーンの記憶?
ふっと意識が遠退く。どこかから師匠の慌てた様な声がして、次いで身体から針みたいに放出されていた魔力の渦が落ち着いていく。
私、何で、忘れていたんだろう……
あんなに、信じがたい事件だったのに。
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