第2章 カラスが物語を動かす

9.悪夢

 はっきりとは思い出せないが、気持ちの悪い夢をみた。人々を捕まえては拷問する謎の集団が学校を襲撃した。クラスのみんなは必死に逃げている。聖は捕まってしまい、クラスメイトたちに助けを求めるけれど誰も振り返って助けてはくれない。捕まって、どこかに連れていかれる途中、両親がこちらを見ていたが、聖のことは諦めたような表情をして何もしない。

 そんな気がかりな夢から覚めたら、身体の感覚がおかしい。仰向けの姿勢をとることができない。横向きになる。その姿勢も仰向けよりはマシだがやはりうまくバランスを保つことができない。その上ひどく不快だ。次にうつ伏せになる。今度は大丈夫そうだ。とりあえず安心して、そこで何か身体に異変が起きていることに気がつく。自分の腕が見当たらないのだ。寝ぼけているのかと思い、うつ伏せの姿勢のまま腕を身体の前方に動かす。それは腕ではなく黒い羽だった。聖は真っ黒い巨大なカラスになっていた。

「うわああああ!」

 あらん限りの悲鳴をあげて、今度こそ本当に目が覚めた。今日は高校の入学式である。とりあえず洗面所に向かいながら聖は、先週の神社での出来事を思い出していた。

「悪夢の中で悪夢を見るなんて……。もう不吉な予感しかしないよ」

 今日はこれから、多摩北たまきた高校の入学式である。


 3月下旬のマーケットが終わった後、荷物を武蔵野亭に運び終えた聖たちに、下宿人の高幡がお茶を入れてくれた。

「それは、とんでもない目にあいましたね」

 今日も帽子を被っている。家の中でも取らないことが多い。前から思っていたけれど、この人はムーミンシリーズに出てくるスナフキンみたいだ。

 レオとその友達とは、神社で分かれた。遥は渚にもそのまま帰宅するよう勧めたが、

「二人だと荷物運ぶの大変ですし、私の家、すぐ近くですから」

 と撤収した荷物を店まで運び込むところまで手伝ってくれた。みんなに怪我がないかを確認したら、渚はほぼ無傷で、顔をガードしていたためコートの腕の部分が少し破れた程度だった。一方、聖の方は、顔に傷がついていた。爪か嘴があたったのだろう。もう出血していなかったが、目立たないというほど浅くもない。とりあえず消毒して、明日病院に行くことを遥に勧められた。

「はい、月桃茶げっとうちゃです。落ち着きますよ」

 スナフキン、ではなく高幡がいれてくれた聞き慣れない名前のお茶はちょっと変わった味だったけれど、確かに飲むとリラックスできた。ハーブティーの一種だろうか。

 お茶を飲み終わって一息つくと、夜7時になっていた。渚が帰宅する際に、万が一また何かあるといけないので、遥と聖で家まで送ることにした。

 渚を送ったその足で遥は武蔵野亭から自分のマンションに帰っていった。遥のマンションは武蔵野亭から徒歩一分もかからない距離にある。

 聖がお店兼下宿先に戻り、カウンターの奥に入ると、まだ高幡がいた。肘をついて何か考え事をしているようだ。こうして横画をみると、ますますスナフキンに見えてきた。

「お茶もういっぱい飲みます?」

 めずらしい。彼は下宿先で二人の時は、ほとんど聖に干渉してこない。

「じゃあ、いただきます」

「今日はほんと災難でした。それにしても遥さんの口ぶりからすると、すごかったらしいですね、剣道の腕前」

「はあ、まあやってましたから」

 剣道についてはあまり話したくなかった。

「ところで、なんでカラスたちが集団で襲いかかってきたんでしょう。そんなこと今までありました?」

「ないです」

「何か思い当たる節ってあります?」

「……ないです」

 そうか、とうなずいて高幡は自分のお茶を一口飲む。

「カラスは頭が良いから人の顔をよく覚えるし、執念深いって聞きます。だからくれぐれも気をつけてくださいね」

 聖はうなずく。

「漱石もうっかり外に出さないようにしないとですね」

 そうですね、とまたうなずく。

「じゃあ、僕はそろそろ部屋に戻ります。お疲れ様でした」

 立ち上がる高幡に「おやすみなさい」と挨拶して見送る。高幡は階段に一歩足をかけたところで振り向き、

「あ、高校入学おめでとうございます」

 と思ったより感情がこもった声で言ってくれた。「どうも」と会釈すると今度こそスタスタと階段を登っていった。

 お茶を飲み終え、さて僕も寝る支度するかと立ち上がった時、いつの間にか足元に来ていた黒猫の漱石と目があった。漱石は探るような目で、じっと聖をみている。こいつを今僕の部屋に入れるわけにはいかない。留守中に部屋に勝手に忍び込まないよう注意しないと。


 高幡が自室でタブレットをいじっていると、漱石がやってきて、にゃあ、と短く鳴いた。

「おや、今夜は聖くんのところじゃないんだね」

「漱石」と声をかけ、拾い上げて膝の上に乗せる。思いのほか、「漱石」という響きがしっくりくる。渚のネーミングセンスを讃えるべきだろう。漱石は自分の居場所というようにうずくまった。その様子がとても愛おしい。猫は人を虜にする魔力を持っている。優しく撫でながら独り言のようにつぶやく。

「君には僕たちには見えていない災いが、見えていたりするのだろうか。あるいは君自身が災いを招くのか」

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