8.襲撃

 レオとその友人が最後の客になった。ゆっくりコーヒーを味わっている二人を横目に遥たちは撤収をはじめる。あたりはほの暗くなってきた。他の出店も同じように店を畳んでいる。

「渚ちゃん、余ったお菓子少し持って帰っていかない?」

 と、遥が袋に詰めたチョコレートのお菓子を渚に差し出した時、空からカラスが急降下し、お菓子の袋を奪った。

「痛っ」

 驚いて遥が手を引っ込める。

「大丈夫ですか?」

 渚が慌てて駆け寄る。表情の変化に乏しい聖も心配そうに遥をみている。

「うん、ちょっと驚いたけど。店閉めた後で良かったわ」

「ほんとそうですね」

 2人は安堵の表情を浮かべたが、すぐに次の襲撃がはじまった。境内の樹上から2羽のカラスが今度は渚めがけて急降下してくる。渚は怖くなり腕で頭をガードする。けれどカラスたちは引かない。唇が腕にあたったのか、チクっと痛みが走った。突然の出来事に、何が起こっているのか、理解が追いつかない。

(「なんなの? 私、野生のカラスに襲われてる?」)

 追い討ちをかけるように、また1羽樹上から渚目掛けて降下してきた。渚がもってきたカバンを引っ掴んで振り回し追い払おうとする。カラスたちは一瞬怯んだが、すぐに攻撃を再開する。渚は振り回し続けるが、今日はカラスたちは引くことはなかった。そしてまた一羽上空から降りてきて四羽になった。

(「怖いっ」)

 涙が出てきた。「私ここでカラスに殺されるんじゃないか」という考えすら頭をよぎる。けれどコミュニケーションが取れないカラス相手だと泣いても何も解決しない。生存本能が刺激された渚は、この場をどう切りぬけようとかと考え始める。とりあえず走って神社を出て、人通りの多いところに移動しよう。片付けが終わってないけれど、それどころじゃない……。

 意を決して走り出そうとしたその時、頭上でバチン! と音がした。カラスが一羽、地面に落ちた。

(「なに? いま何が起こったの?」)


「やっ!」

 と小気味良い掛け声に続いて、またバチン! と音がした。今度はカラスは地面に落ちこそしなかったものの、衝撃を受けたらしい1羽がヨロヨロと低空飛行で飛び去っていく。ようやく金縛りが解けたように横を向くと、柴崎聖が長い木の枝を竹刀のように構えていた。どうやらこれで2羽を撃退したらしい。

 聖は枝を構え、残っているカラスたちに視線を向けたまま巧みに身体の向きを変えたり、小刻みに移動したりする。渚も遥もその綺麗な足捌き、体捌きに目を奪われる。

 カラスたちは攻撃のターゲットを聖に変えた。頭上の木の枝に撤退してから、隙を窺って降下を繰り返す。どこからともなくもう二羽がやってきて襲撃者はまた四羽に増えた。聖はタイミングを合わせて枝を打ち下ろし、また1羽を撃ち落とした。これで残り3羽。「頼むからもう増えないでくれ」と渚は祈る。

 聖を手強いと思ったのか、カラスたちはしばらく降下してこないで、上空から聖を伺っている。渚は剣道のことをほとんど知らないが、聖はかなりの腕前ではなかろうか。遥も同じことを考えていた。姉の話から察するに、良くて中学生剣道部の標準的な腕前だろうと思っていたが、こと剣道に関しては父親の評価は的外れではなかったのかも知れない。

 けれど形成は悪化する。頭上から様子を伺っていた3羽がいっせいに聖めがけて襲いかかってきた。3羽同時だったため聖の剣に迷いが生じたようで、繰り出した攻撃はかわされた。カラスたちに一気に距離を詰められる。

「痛っ」

 カラスたちの突進が聖の顔と腕に同時に当たった。かろうじて倒れはしなかったものの、よろめいた隙にカラスたちに懐に入られた。そうなるとリーチが長い木の棒では効果的な一打をうてない。目の前でバサバサと飛んでいるカラスを前に、無意識に両手を上げて顔をかばう。その体勢のまま一旦、距離を取ろうと移動するが、そうはさせまいとカラスたちは聖の動きに合わせて突進してくる。身体にあたる一撃一撃が痛そうで、渚は目を背けたくなる。ひと月前、カラスに襲われて一方的にやられていた漱石を思い出した。

 これはカラスが離れない限り聖は反撃できないだろう。助けに入らないとまずい。自分のバッグを武器がわりに加勢に向かおうとした時である。何かが空中でクルッと回転したと思ったら、1羽のカラスを吹き飛ばした。またもや何が起こったのか理解するまでに時間を要した。地面に着地したレオこと仙川怜央せんがわれおをみて、彼がジャンプしつつ放った回し蹴りがカラスにキレイに決まったのだと認識した。


 着地したレオは間髪入れずに身体をひねり、その反動を右足に乗せて、また跳躍して外蹴りを繰り出す。その一撃が別のカラスを同様にはじき飛ばした。カラスは聖の顔くらいの位置なので160センチくらいの高さである。その高さに蹴りが届くなんて……。なんという跳躍力と柔軟性だろう。レオの動きは、遥にも渚にも常人離れしたもの見えた。アクション映画か動画集でしかみたことのない動きだ。聖の剣道もすごかったけれど、まだ剣道の動きだと理解できる。しかしレオの技は二人が知っている武道や格闘技ではない。そしておそらくその格闘技においてレオは相当の腕前なのだろう。聖の剣道も流麗だが、レオの動作も洗練されたダンスのようだった。

「カラスが人を襲っているぞ!」

 と誰かの大きな声が聞こえた。他の出店者たちが駆け寄ってくる。レオが蹴り飛ばした2羽のカラスがフラフラと飛んで逃げていく。残った1羽ももうできることはないと悟ったのか、飛び去っていった。そういえば、聖が撃ち落としたはずの数羽もいつの間にかいなくなっている。

 時刻はいつの間にか5時をまわり、だいぶ暗くなっていた。渚はようやくカラスたちが撃退されたという実感が沸いた。緊張感から開放されたため自然と涙が溢れる。抑えようとしても抑えることができなかった。

 同じく放心していた聖は、はっと我に帰り、

「大丈夫?」

 と握りしめていた木の棒を捨てて渚に駆け寄る。そして渚の足元にハサミの先端のようなものが落ちていることに気がついた。それはおそらく聖の一撃が命中にした時に、欠けてしまったいずれかのカラスの嘴の一部だった。

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