第12話 週末TSロリおじさんと怪獣のバラード
俺は、ある意味で幸運だったと思う。
割と裕福な家庭に生まれて、家族から愛されて育った。こんな、本当に人間かどうか得体の知れない俺が、曲がりなりにも真っ当に生きてこれたのだから頭が上がらない。時代が時代だったら、物心つく前に首をキュッとやられてたか見世物か幽閉でもされてただろう。現代万歳。こんな俺にも人権くれてありがとうマジで。
そもそも、こんな性別が変わってしまうような奇想天外面白人間(仮)だ。物心つく前から大学や大学病院のお世話になりっぱなしで、今でもちょっとした有名人。足を運ぶ度に四方八方から声をかけられる。たぶん今すぐにでも俺を解剖したいという人がめっちゃいるだろうね。悪いがそれはもうちょっと待ってくれたまえ。
まあ、その程度で済んでいるのは、それなりの地方都市で、それなりに力を持った家系だからか。うまいこと、『穏便』に、なあなあに済ましてくれたらしい。だから俺は保険証や免許証なんかを二枚ずつ持っていたりする。これでいいのか、とか思わなくもないけど、実際助かっているから何も言えない。
思い返せば、昔は週に二日程度じゃなくて、もっと自由に性別を行き来できていた。幼い頃の俺は、まず普通の人間は性がコロコロ変わったりしないということに衝撃を受けた。そのことについて、両親は何も言わなかったから。俺は自分からそのことに気がつかなくちゃいけなかった。
本当に幼い頃はまだ良かったけど、年を重ねるうちに、埋めようの無いギャップを思い知った。自覚するよりも早く、『みんな』と違うんだという異物感や疎外感が俺の胸に芽生える。そんな俺は小学生の早いうちに、ある程度以上に親密な人間関係を築くことを諦めるようになっていた。
そんな俺を、二つ上の兄は大事にしてくれた。良き兄として、先達として、友として。たぶん兄貴がいなかったらグレるルートに突き進んだ可能性が爆上がりしただろうね。ただ、頭とか顔とか性格とかいい部分は全部兄貴に持ってかれたかもしれない。ちょっとは残しといてくれればよかったのに。
そんなだから、自然と「自分もどちらかというと男だったら楽なのに」と思うようになっていた。だからか、中学校に上がる頃には週の五日間程男で、週末だけ女になるようなインターバルに落ち着いた。本当はその時点で体が切り替わるのもなくなれば良かったのだけど、どうにもそういう星の元には生まれなかったらしい。
大体、それくらいだろうか。俺の『女の体』が成長を止めたのは。
そんな俺が、今更自分の在り方に迷うなんて、分からないもんだ。
『彼』を好きになってから、『女』の自分が変わりつつあることは嫌でもわかった。身長だって、まあ、少しは伸びた。生理も来たし、胸の膨らみも増した。まさに止まっていた時が動き出した、とでも言うべきか。
ただ、どうしていいかわからない。
こんな気持ち、葬り去るべきだと思っていた。打ち明けていいはずがないと思っていた。それなのに、彼がプライベートで異性と遊びに行くことを聞いた時、とんでもないくらい取り乱してしまった。完全に嫉妬してしまっていた。自分でも、こんな感情を抱くんだと驚くくらいに。
そうだ。この想いの行き先はどこにもない。
ぐるぐると、同じところを巡り巡って、同じ結論にたどり着く。
情けないやら、悲しいやら。
胸を刺す甘い痛みに身を焼いて。
今だってほら、指先から爪先までホワホワと暖かい。まるで、酔っているような……。
——日本酒めっちゃ効くね!
まあ酔ってるんですわ。
眉間の奥がぐんぐんくる。
「お次何か飲まれますか?」
そんな時、明るい髪色をした女の子の店員さんがカウンターの脇から声をかけてきた。まだ日も暮れていない時間で店も空いてるから、よく目が届くんだろう。
「ん、あ、はいー。ええと、なんか冷酒で飲むやつのおすすめありますか?」
「あー冷酒ですとー、こちらかこちらですねえ」
その子は隣の席に置かれていたメニューを手に取ると、その中からいくつか候補を挙げた。訊いておいてアレだけど、ううむ。いまいちわからんのだよね、日本酒。
「じゃあ、こっちおねがいします。あと、お冷もお願いできますか?」
「はーい承知しましたー少々お待ちくださいねー!」
俺はなんとなくでメニューを指差しで注文した。ぶっちゃけ何もわからんし。この古川瑞稀、ビール以外勝たんかった。でもそろそろ色々飲めるようになりたいお年頃……。
「お兄さん近くにお住まいなんですか?」
「んえ、ああ。そうですよぉ。北口の方ですけどね」
彼女はテキパキと手を動かしつつ世間話をふってきた。俺はその小慣れた所作に感心しながら「会社から有給使えって怒られちゃって。ついでだから土日と合体させて連休に」と補足した。やましいことはなに一つないけど、なぜか言い訳じみたことを言ってしまった。まだ陽のある時間からフラリと酒飲みにきちゃいけないなんて法律ないのにね。
「あーなるほどーいいですねえ」
カウンターを挟んで、店員さんと軽めの雑談。初めてのお店だけどなかなかいい感じじゃないか。最寄駅の反対側の出口の方だからなかなか足が重かったけど、勿体無いことをしたかな。
いやしかし、たまにはこうやって一人しっぽり飲むのもいいもんですなあ。
****
俺が初めて柴田裕司と出会ったのは、大学二年になってすぐ、必修ゼミのガイダンスの時だった。
**
その前の講義が空きコマだった俺は早めに指定された教室で席を確保し、読書をしながら時間を潰していた。しばらくすると、だんだんと人が増えてきて真ん中よりちょっと前側の「可もなく不可もなく」真面目アピールできる俺の席の周りも埋まってきた。そして、講義開始ギリギリの時。
いつのまにか俺のペンケースが腕に押しやられて、机からはみ出していたらしい。ちょうど今入ってきた人がそれに引っかかってしまったようだ。ペンやその他の諸々が床に落ちる、絶妙に心臓に悪い音が響く。
「えっ、うわ、す、すんません!」
うおっ。
突然の音に顔を上げると、そこでは赤茶色い脳天が右往左往していた。どうやら、彼が俺のペンケースを落とした犯人らしい。
「あ、ああ、大丈夫っすよ」
俺は読みかけの本を閉じると、その人と一緒に散乱したものを拾い出した。そもそも、本に集中しすぎていた俺も悪い。そう思いつつ、あたふたしている彼を観察した。
ほとんど赤に近い茶色の短髪に、本革の黒いシングルライダース、オリーブ色のカーゴパンツに赤いプレーントゥのワークブーツ。傍らには真っ黒のフルフェイスヘルメットが転がっている。
たはー。あんまり関わり合いになりたくないタイプの人かあ。
だって完璧ヤンチャな人じゃん。夜の校舎窓ガラス割ってたりしなかった? 大丈夫? というかこんな人学科にいたんだー。
そんな失礼なことを考えていると、茶髪君は「あの、これ、あっ、ほんとスンマセンした、サーセン……」と拾い上げたものを机に置き、視線すら合わせず最前列の席へ向かっていった。
あれ、なんというか……コミュ障?
**
これが、俺と柴田とのファーストコンタクトだった。
今思えば、そんなにいい出会い方じゃなかったかな。パッと見の印象があっという間に崩れて、呆気にとられた記憶がある。
柴田に対する興味がわいたのは、それからちょっと経ってからだった。俺は大学入学に合わせて、親から車を買い与えられていた。車には特に興味がなかったし、無駄に立派なものも申し訳ないので、自分の要望で型落ちのコンパクトカーにした。家庭の方針で軽と中古は絶対ダメだというので、これでもなんとか食い下がった結果だ。
正直学生の身分で車を持つなんて時代錯誤で居心地の悪さを感じたけれど、乗り回すようになってからは自分の想像以上に気に入ってしまった。というのも、一コマしか講義がない日があったり、丸一日講義のない日があったり、そんな時にふらっと出かけられるからだ。適当に空いた時間で少しだけドライブを楽しむ。週末は基本家に籠りっぱなしだったから、大手を振っていろんな場所に足を運ぶことができるのは正直に嬉しかった。
**
その日唯一の講義が休講になったから、適当にふらっと郊外の道の駅までドライブしにきた。平日の昼下がりだというのに盛況している駐車場、ようやく空きを見つけて車を停めると、ちょうどバイク用の駐輪スペースの隣だった。
その時は特に何も思わず、適当に散策をした。農産物の直売所を冷やかして、自分の住んでいる土地なのによく知らなかったお土産に感心して、とりあえずソフトクリームを買って車に戻った。すると、さっきまでは数台のバイクが停まっていただけの駐輪場が大盛況になっている。
お揃いの刺繍が入った革ベストを着て、ハーレーとかいうんだっけ? そんな、なんだか厳しい見た目のバイクに乗った集団だ。そんなのが、何台かは駐輪場をはみ出して自動車用のスペースにも侵食している。
(うわー)
なんかすごいなあとか、乗ってる人結構歳いってんなあとか、取り留めのないことを考えながら横目で彼らを眺めた。
「さて、いただきます」
俺は運転席に収まってアイスクリームに口をつけた。うむ。シンプルイズベストなバニラ味。場所補正で割り増しで美味しく感じる。俺は少し開けた窓から入ってくるさわかな風と、予想通りの味わいに目を細めた。
そうしみじみとしていた時だ。隣のおじさま達の会話をBGMにしていると、風に乗ってタバコの臭いが車内に入ってきた。うわ、この人たち駐車場でタバコ吸い始めたのか。身内に喫煙者がいるので、タバコ自体に嫌悪感はあまりない。しかし、喫煙所でもない場所でスパスパやったり、ポイ捨てするような奴はハッキリいって嫌いだ。俺は若干イラつきながら、車の窓を全て閉める。
「さっさと食べて移動しよ」
俺は誰に言うわけでもなく、愚痴をぼそりとこぼした。
すると、俺の車の真横、一台分空いていた駐輪スペースに新しいバイクがやってきた。おじさまたちのバイクより少し背が高くてスマートな印象の黒とシルバーのバイクだ。シュッとした車体は艶のあるブラック。金属部分は綺麗にメッキが施されて、初夏の太陽をキラキラと反射している。ライダーの足の間に収まっているタンクには、翼のマークとアルファベットで「HONDA」と描かれていた。
(ん?)
そのライダーだけど、なんか見覚えがあった。赤いワークブーツに黒いパンツ、着古した感のある革のライダースジャケットでキメている。それに、真っ黒なフルフェイスのヘルメット。
はたしてそのヘルメットから現れたのは、やはりというか、ほとんど赤みたいな茶髪。
あー、あの時の派手なコミュ障君だ。彼、どの講義でも前の方の席に座っているから、最近よく視界に入るんだよな。そんな彼はヘルメットで潰れた髪を手櫛でガシガシとすると、ちらりと先客のおじさまの方を見て、心底嫌そうな顔をした。
そんな表情に、おや? と思った時。
ズドドンだとか、そんな爆発じみた爆音が駐車場に鳴り響いた。
「うおっ」
どうやら、ハーレー軍団の誰かがエンジンをかけた音らしい。たまにとんでもない音のバイクがいるなあとか思っていたけど、間近で聴くのは初めてだ。驚いてそっちの方を見ると、当の本人たちは咥えタバコのニヤケ面で空ぶかしまでしている。シンプルにうるせえ。
あーもう完全にテンション下がった。ちょうどアイスも食べ終わったし、移動するか。俺はソフトクリームのコーンを包んでいた紙を車内のゴミ箱に捨てると、車のエンジンをかけた。そしてシートベルトを装着してハンドルを握り前を向くと、コミュ障君が苦い顔をしながら足早に喫煙所の方へ歩いていくところが目に入った。
どこからどう見ても一人の方が好きそうな彼だ。同じライダーでも、ああいうのは苦手なんだろうなあ。そう勝手に納得した俺は、足早にこの場所を後にした。
後日、大学のゼミ室にて。
「あ、そういえば。今週の火曜日、県南の道の駅いませんでした?」
「えっ、あ、俺すか? い、行きましたけど……」
お互いボッチだったので自然と隣の席に座るようになっていたコミュ障君に話しかけてみた。ちゃんと返事はしてくれたけど、相変わらず微妙に目が合わない。なのに今日は緑色の派手なペイズリー柄のシャツを着ているので目立ちまくっている。それでギター? ケースを持っているものだから尚更だ。似合ってるっちゃ似合ってるけど、一体なんなのそのキャラは。
「やっぱり。バイクで来てましたよね」
「あっはい」
「そん時俺、隣の車乗ってて」
「あっ、そうなんスね……」
「あのめっちゃうるさかったバイクって、ハーレーってやつですか?」
「あ、そうスね、そうだと思います……」
めっちゃ頭に「あ」がつくじゃん。
「ああいうバイクって、みんなあんなにウルサイんすか?」
「あっ、いや、単純に古くて騒音問題とかなかった時代のヴィンテージとかもありますけど、ほとんどは改造だと思います。あれじゃ多分車検も通らないと思いますし、あれは一種の珍走団というか、バイク乗り全部があんなじゃないというか」
彼はそう一息で言うと、再びあの時のような苦々しい顔になって「だいたいバイクに悪い印象持たせたのもああいう年寄りが若い頃に散々ヤンチャしたからというか……」なんてモニョモニョしている。
「はえー、そうなんすねえ」
「あっ、その、なんかすんません……」
なんとも言えない空気が流れる。
彼はなんかしどろもどろになっているようで。しばらく視線を泳がせたあと、俺の手元に目が留まるのを感じた。
「あ、あの、いつも何か本読んでますよね?」
「え? ああ。そうっすね。父親の書斎からパクってきてるんですよ。暇つぶし用に」
「はあー、書斎。いいっスね。あ、あと、その本めっちゃ好きっス、自分も」
「おおー。面白いですよねー」
なんか、こんな風にふわっと仲良くなった。
そのあとは、定期的に食堂で一緒したり、たまにバイクの後ろに乗せてもらったり。夏休みはたまーにファミレスで駄弁ったりとか、そんな感じの緩い関係だった。それでも、初めて家族以外と酒を飲んだ。試しにもらったタバコが思ったよりも悪い気分じゃなくて、自分も吸うようになった。俺は、近すぎず遠すぎない、緩い交友関係に浸りつつ、彼に隠し事をしている罪悪感を抱えていた。
後期に入って、俺が風邪でゼミを休むまでは。
**
そして、柴田は就職のため上京していった。
まさか大学で親友と呼べるほど親密な関係を得ることになるなんて、自分でも思ってもいなかった。惜しむべきは、三年という時間は短すぎたことか。まあ、悔やんでも仕方がない。それまでの俺は、自分自身を言い訳にして深い関係性を築こうとしてこなかったから。だから、せめて彼との関係が途切れないように定期的に遊びに誘った。
別に、会社の同僚と仲が悪かったわけじゃない。平日であれば一緒に飲みに行ったりもしたけれど、なんだか全てが味気ない。比べてみるまでもなく、年に数回だけやってくる柴田との時間の方が、何倍も濃密で思い出深いものだった。
そうして、気がつけば四年の月日が流れていたある日。俺のスマホにメッセージが届いた。
『仕事辞めてそっち帰るわ』
あまりに突然の連絡だった。その年の正月、帰省した柴田と飲みにいったが、彼は仕事を辞めたいみたいなことは少しも言わなかったのに。ただ、お互いそれなりに大人だから、彼の決断にとやかく言うつもりは無かった。だから俺は『そっか。おつかれさん』と何の飾り気もない返信をした。
**
二人だけの『柴田のおかえり会』でちょっといい寿司を食べた後、やっぱ安い居酒屋が恋しいということで学生時代の行きつけに足を運んだ。四人がけの掘りごたつ席に向かい合って座る柴田は、暗めの照明もあって謎の雰囲気がある。……あれか、髭かな。やさぐれ感が醸し出されている。
「無精髭やばいな」
茶化すようにそれを指摘すると、彼は少し考えこむような目をして、へらっと笑ってタバコを一口吸った。
「あーうん。諸々ドタバタしてて剃ってなかったわ」
彼は煙とともに「なんか、気力が出ないのよ」と、そう吐き出した。
その覇気のない声に、胸が痛くなる。目の下のひどいクマと、まるで初めて会った時のように伏せ気味の視線。急激に痩せたりはしていなさそうだけど、ひどく線が細く見える。事の顛末は聞いたけれど、身の回りのこともままならないとは難儀なことだ。
「んーそっか……。まあそういうのも似合ってんじゃない?」
「まあってなんだよ」
「いいじゃん髭、かっこいいじゃん。俺結構好きだよ」
「マジ? なら服装とかゆるい会社探すかな」
「なんとも柴田らしい基準」
「毎朝髭剃るのめっちゃ肌荒れるから割と本気だぜ?」
「あらほんと」
それから数ヶ月後。予想よりも早く就活を終えた柴田と、再就職おめでとう記念で飲みに出かけた。その時彼は、もともと濃いめだった髭をたっぷりと蓄えていた。それはもう、もじゃもじゃだった。なんというか自分探しでアジア諸国放浪してたような感じ。君って定期的に見た目変わるねえ……。
「君は、その、よくそれで就活してたな」
「自分でもどこまでイケるか気になって」
柴田を見上げると、彼は目を細め笑いながらサムズアップをした。
「うっわアホくさ」
「でもこれで受かったのすごくない?」
「いやマジで。よく採ってくれたよね。なんの会社?」
「小さなデザイン制作会社」
「はえー、君そんなのできたっけ。プログラムとか書いてたのは知ってるけど」
「いやあ、フロントエンドのデザイン職やってみたくて勉強はしてたんだよね」
「おおー。未知の業界に飛び込んだわけだ」
「そうそう」
そうやって笑った彼は、どこか憑き物が取れたようだった。
うんうん。こういうのでいいんだよ。俺は君がそうやって笑ってるのが嬉しいよ。
**
それからしばらくの間、柴田は実家から職場に通っていたけど、バイクで片道一時間以上の通勤は流石に辛かったらしい。すると彼は家賃が安くて電車が通ってて生活がしやすいという理由で、俺の家の割と近所に引っ越してきた。
だから、まあ遊んだ。調子乗ってほぼ毎週末遊んだ。買い物行ったり映画観に行ったり釣り行ったり。同じくらい酒飲みににも行ったけど。
そしたら気がついちゃったんだよなあ。
一緒にいると嬉しくて、楽しくて。会えない時間は無味無臭を通り越して苦痛で。
あれ、これって好きってことじゃね? と。
****
カウンターの上、水の入ったグラスが倒れた。
「お兄さん大丈夫っすか!」
「ああーごめんなさい! でもだいじょぶ!!」
仕事終わりに店へやってきた柴田の目に飛び込んできたのは、完全にへべれけになった瑞稀だった。彼は真っ赤に染まった顔に満面の笑みを貼り付けて、酔っ払い特有の呂律が回っていない大声で自分はまだ大丈夫だと主張する。
「あーあーあー飲み過ぎだろばかたれー」
「ぜぇんぜん酔ってないよ! まだ飲めまぁす!!」
「酔っ払いはみんなそう言うんだよなあ」
そして、ふと真顔に戻った瑞稀は自分の手と柴田を交互に眺め始めた。
謎の挙動に対して訝しんだ柴田が声をかけようとすると、瑞稀は柴田を指差してヘラヘラと笑いだした。
「あっははは! 柴田くん増えてる! やば! お得だねえ!」
どうやら酔いが回り視界がブレているようだ。この様子、かなりキテいる。
「クッソ酔ってんじゃん」
「酔っ払ってますねえ」
柴田と店員の女性が頷き合う。
「あーもうダメっすねこれ。すんません、今日はもうこいつ連れて帰るんで、また今度来ます」
柴田は静かに首を横に振ると、財布を取り出して会計を肩代わりしてやった。苦笑いのままため息を吐く柴田に、店員の彼女も「ぜひお越しくださいー」と割引券を手渡した。なにせ柴田はまだビールの一杯も飲んでいないのである。しかし瑞稀がすでに泥酔一歩手前のこの状況では、それ以外の選択肢は無いようだった。
柴田が「オラッ立てッ帰るぞ!」と瑞稀の腕をとると、もたもたとした身のこなしで彼は立ち上がる。普段あまり飲まない日本酒を立て続けに飲んだからだろう。ものの見事な千鳥足だ。
「お? かえるの? アッ! おんぶ! 柴田くんおんぶ!」
「ばかたれ自分で歩けこの」
「前はしてくれたじゃん!」
「今できるかってのばかたれ!」
柴田は駄駄を捏ねる瑞稀を引きずり出す。彼は苦笑いを浮かべながら、店員へ会釈して店を後にした。
「あざーしたー……」
去っていく二人を、カウンターに残された器やグラスを片付けながら見送った彼女の妄想回路はかつてない速度でフル回転していた。まるで、今まで行方不明になっていたパズルのピースが爆速で集まってくるようだ。彼女の中で、湯水のように創作意欲が湧き上がる。
——つまり、丁度行き詰まっていた推しと推しをくっつけるための道筋が見えたのだ。
この気付きを得て、彼女の薄い本は若干厚くなった。
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