第11話 週末TSロリおじさん、狼狽える

「今日はお忙しいところありがとうございましたぁ」

「いえいえとんでもないです。こちらこそ、事前のヒアリングがしっかりしてあったので助かりました」


 ビジネス街に店を構えるコーヒーチェーンの一角、俺は取引先の担当者である飯坂さんと席を同じくしていた。というのも、つい先ほどまでクライアントとの打ち合わせに同行していたのだ。今は内容のすり合わせも全て終わって、注文していたコーヒー片手に軽い雑談タイムになっている。


「そういえばぁ、柴田さんってお休みの日、どう過ごされてるんですかぁ?」


 向かいの席に座る飯坂さんが、パリッとスーツを着こなした見た目とは裏腹にふわふわした口調で問いかけてきた。客先からの道中、平日の時間の使い方について喋っていたので、その流れだろう。


「休みですか? ええーと、飲みにいったりが多いですかねぇ」

 正直、飲みがメインでなくても、何かしらにこじつけて飲んでいる気はする。

「へえー意外ですねえ。なんかもっと意識高いことしてそうなイメージでしたぁ」


 彼女は同世代かつ、普段からメールや電話でよくやり取りをしている関係なので、お互い砕け気味な会話になることも多い。俺は軽く笑いながら少し話題を広げることにした。


「意識高いって何すか。あとは、何でしょ、ライブとかよく行きますねえ。一人でふらっと」

「ええ〜ライブですかぁ? わたしもよくいくんですよぉ」


 彼女は両手を胸の前で合わせると「何系聴くんですかぁ?」と続けた。バチっとキメたメイクと、グイグイくる感じに若干たじろぐ。


「ああー、いろいろ聴きますけどね。今週の土曜日は、ちょっと軽い感じのパンクというか、そんな感じのバンド見にいく予定です」


 何系と訊かれるのが最も返答に困る。しかしざっくりどんなのか、とかそういうニュアンスで質問しやすいのも十分理解できる。だが、どうしてもこういう話題は答えが難しい。あまりマニアックすぎても仕方がないし、かと言って流行りの名前を挙げられるほど聞き込んでいない。なので、できる限りふわっとしたジャンルで答え牽制した。


 だがしかし、


「ええ〜全然イメージと違いますぅ。でもわたしも結構パンキッシュなの聴きますよぉ。ちなみに柴田さんどちらのライブハウス行かれるんですかぁ?」


 にわかに彼女の声が大きくなる。カフェの店内なので迷惑にならない程度に抑えてはいるが、それでも高く通りの良い声は頭に直接響くようだ。それも相まってコミュ力差を感じてしまう。


「あのー、駅裏にある、ヘヴィ・ウェザーっていう小さいライブハウスです」

「えー! ウェザーですかぁ! というかめっちゃ奇遇、わたしも土曜日行くんですよぉ」


 俺が色々諦めて訪れる予定のライブハウスの詳細を話すと、彼女は若干椅子から飛び上がりそうなテンションになった。しかも、ライブハウスの名前を明らかにイントネーションで発音している。予想していなかった流れと、キツくはないが苦手な種類の香水の香りに若干顔が引きつりそうになった。


「えーじゃあ、一緒に行きませんかぁ?」


 取引先の人と一緒にライブへ? 正直嫌だわぁ……。


「いやあ、お邪魔するのも悪いですよ」


 俺はなるべく表情に出さないようそう言った。おそらく、この感じだと彼女もソロということはないだろう。だいたい地方のインディーズバンドのツアーイベントだ、大方、知り合いなんかに声をかけられてその付き合いでいくのだろう。そうであってくれ。


「わたしもソロ派なんでぇ、行きましょうよぉ」

「アッそうなんスね……。なら、そうしましょうか」


 ここまできて頑なになったら角が立つよなあ。俺は曖昧に作り笑いで返すと、割り増しで苦く感じるコーヒーを飲み干した。



 ****



 仕事終わり、すっかり陽の落ちた細い道を車でぶっ飛ばす。川向の大きめの道は朝夕混むから、この抜け道は重宝している。ちょっと道が荒れてて細くて見通しが悪いのが難点だけど、信号もないから流れはいい。俺は鼻歌を歌いながら、ホルダーに取り付けたスマホを操作してメッセージアプリを開いた。ちょうど一番上にあったアイコン付きの名前をタップすると、そのまま通話ボタンを叩く。良い子はながら運転ダメ。ゼッタイだからな。

 すると、数回のコールの後、スピーカーから通話の繋がる音がした。ハンズフリー通話なので、気持ち大きめに声を出す。


「もしもーし!」

『はいよーおつかれー』

「おつかれー。今仕事中だった?」

『あーうん、残業中。まあ大丈夫だけど』


 なるほど、残業中だったか。御愁傷様。

 そんな彼には申し訳ないが、今日は金曜日。金曜日といえば週末。でも決戦は土曜日。今日の昼休みにスマホいじってたら、耳寄りな情報を手に入れたので柴田くんを誘ってブチかまそうという話。週末といえばビールなので。だれが何と言おうとビールを飲む。飲むのだ。


「そかそか。あした暇? 中央公園でビアフェスやってるらしいんだけど行かない?」

『明日かあ……。ちょおーっと夜に用事入ってるんだよなあ。難しいかも』


 彼は結構気落ちした感じで「すまんなあ」とぼやいた。

 何かあったんだろうか。


「おー珍しい。どっか行くん?」

『あー、ライブに行くのよ』

「なるほどぉ。いつものソロ?」

『いんや、ええと、取引先の人と。なんかさぁ、この前打ち合わせ行った時にたまたま同じライブに行くことがわかって、そんで一緒にな……』

「へえ、そんなことあるんだなぁ。……女の人?」


 なんとなく嫌な予感がした。自分でもなぜそう聞いたのかわからないけど、その予感を裏付けるように彼はあーとかうんとかモニョモニョしている。

 自然と、ハンドルを握る手に力が入った。


『ああー……うん。そう』

「ンエッハァアァアアン!!」

『うおっ! どうした大丈夫か!?』

「い、いやあ、すまん、急にタヌキが飛び出してきて……」


 嘘です。

 急ブレーキに急ハンドルを切りそうになったのはほんとだけど。

 嫌な汗がブワッと吹き出して、思わずハザードを焚いて路肩に寄せた。ある程度覚悟はしてたけど、ちょっと予想以上。


『タヌキかー。じゃあしょうがないか。事故とかしてない?』

「大丈夫ダイジョーブ! 俺以外誰も走ってないから!」

『気をつけろよ? まあ、ビールはまた今度行こうや。安全運転でなあ』

「はいはいー。そんじゃ、またなー……」


 おれはなんとか空元気繕って通話を終わらすと、ハンドルにしがみついて思いっきり息を吐いた。


「うおぉーほほぉー……」


 頭がぐるぐるする。え、なんか知らない間に柴田くんフラグ立ってたんですが? そんなアグレッシブな取引先ってアリかよ。理解と想像が追いつかない。


「マジかぁ……マジかぁ!」


 そのままの姿勢で、ひとしきり呻くことしかできなかった。



 **



 ……いまいちどう家に帰ったか覚えていない。

 こうやって特に怪我など無いということは、無意識なりにちゃんと運転して帰ってきたんだろう。

 確か、何もかもする気が起きなくて、そのままベッドに倒れ込んだんだっけ。



 ——着の身着のまま眠ったせいか、嫌な夢を見た。



 柴田が、知らない女の人と仲睦まじく暮らしている夢だった。彼は俺の知らない家で、俺の知らない笑顔を浮かべていた。彼の隣にいる女の人も幸せそうで、絵に描いたような幸せな家庭だった。そして、次第に家族が増えていって、彼らは年を取っていく。それなのに、俺はずっとちいさなからだのままで。透明な壁を挟んだような場所から、精一杯作り笑いを崩さないよう、眺め続けることしかできなかった夢だ。



 あんまりすぎる内容の夢に魘されていたのか。

 目が覚めた時、俺は溺れるような寝汗を全身にかいていた。



 もしかしたら、涙も流れていたのかもしれない。目の端がバリバリしている。首の後ろの方が熱い。四肢に力が入らない。額に張り付いた髪の毛が鬱陶しい。

 部屋のカーテンの向こうが青っぽいのは早朝だからか。中途半端な時間に目が覚めてしまったけど、体も心も倦怠感を訴えている。昨日からの汗か寝汗かは分からないけど、ベタつくのはなんとかしたい。でも、怠い。もう全てがどうでもいい気分になる。


 しばらくぼんやりと天井を眺めていたら、急に胸の奥がぞわぞわして、鼻の奥がツンとしてきた。

 いつもなら、しょうもない意地を張って堪えるところだけど。

 サイズの合っていない、男物の服に埋もれたまま、少しだけ泣いた。



 **



 この歳になると涙腺がクソザコなのですぐ泣く割りにガチ泣きするとめっちゃ疲れるし気恥ずかしいので二度寝した。そしたら昼前だった。クソ辛い。

 そして辛くても腹は減る。むしろダメージを受けた分余計腹が減る。布団の中でモダモダしていたけど、いよいよお腹からのクレームに耐えきれない。なにかご飯を食べなければ。そんで腹ごしらえしたらお風呂に入ろう。

 服と掛け布団諸々がこんがらがった中から這い出て、週末用の部屋着に着替える。そしたらキッチンまで降りていく。というかなんもしないで寝たから髪ヤバ。触っただけで爆発してんのがわかる。とてもつらい。


 シンとした家の中。父親は仕事だし、母親はじいちゃんの病院でいない。家族とはいっても、流石にこんなボロッカスな状態見られたくないから好都合か。とりあえず電気ケトルに水を入れて、スイッチオン。その間にカップ麺の準備をする。泣いた後のしぱしぱする目でも簡単に開けられるこのシール、素晴らしすぎる。お湯を注いだ後の蓋を閉めることができるのもポイント高い。


 五月の連休もおわって、なんだかシンとした雰囲気。初夏の爽やかな風が家の中を吹き抜ける。結構泣いたプラス寝起きで目が重い。ぼーっとしていたら大きな欠伸がでた。頭がほわほわする。俺はメガネを外すと、滲んだ涙をティッシュで拭った。


 ふと、急になんだか、自分以外に音をたてるものがないような気がした。いや、耳をすませば風の音や鳥の声とか、いろいろ聞こえてくるんだけど。気持ちのいい天気の休日、誰もいない家の中でひとり。腹をすかせてお湯が沸くのをただただ待っている。いまおれはとても惨めだ。

 そうやってつまんないことにしょげていると、電気ケトルのスイッチがパチンと鳴る音で現実に引き戻された。お湯入れなきゃ。俺は規定量ぴったりにお湯を注ぐと、そおっとカップ麺を持って席に着く。


 ダイニングテーブルに頬杖ついて、ぼんやりとカップ麺を眺めること数分。さっきから、空腹を刺激する匂いが漂いまくっていた。お腹がキリキリする。早く食べたい。……ちょっと硬くてもいっか。

 俺は辛抱たまらず蓋をペリペリと剥がして、箸で麺をぐいっとかき混ぜた。確かにちょっとまだ硬いかもしれない。でもまあ、食べてる間にちょうどよくなるだろ。いい感じにスープが溶けているのを確かめて、俺はご飯にありつくことにした。


「いただきます」


 熱々の麺にたっぷり息を吹きかけて冷やして、ずぞぞっと啜る。

 うん。うまい。オーソドックスなしょうゆ味イズジャスティス。塩っけがうれしい。

 湯気で曇ってしまったメガネをテーブルに置いて、もう一口。

 まあ、まだうまい。学生の頃までは大盛りのカップ麺におにぎり二個とか食ってたけど、今はこの普通サイズのがちょうどいい。大盛り食べたら途中で飽きる自信山の如し。


 ここで水を一口。後味リセットして一息つく。

 さっさと食べて、シャワー浴びなきゃ。



 ……今日、なんも予定ないな。どうでもいいけど。

 柴田はこれからデートかあ。

 柴田もなぁ、あいつ、いい歳だし親に色々言われてたりすんのかな。正月も実家帰ってなかったし。

 そしたら、俺なんかとずっと一緒じゃ幸せになれねえよなあ。


 右手に持った箸で麺をいじめる。なんともいえない薄茶色のペラペラした麺を引きずり出しては、口に入れずそのまま元に戻す。思わず、深いため息が出た。


 ……世間一般で言う『幸せ』があいつにとっても同じなのかは分からないけど。

 俺なんかが付きまとってちゃ、いつまでもそうなれないよなあ。


 あーあ。

 俺ってめんどくせえなあ。



 **



(あーははは。しんどい、なにこれめっちゃしんどい)


 考えれば考えるだけ無駄だと思って一日ゴロゴロしてたのにやっぱダメだわ。普通にしんどい。忘れたり考えるのをやめたりなんてできる訳がない。おかげさまで頭はモヤモヤ胸はムカムカ、晩御飯だってちょっとしか食べられなかった。その分アルコールで補ってやる。ダメな大人の特効薬はやっぱこれだね。傷心を癒してくれるのは第三とかじゃない本物のおビール様だけなんだ……。


 というかなんだ? 今頃柴田くんはよろしくやってんのか? あ? 普通ライブって夜にやるよな。じゃあ今まさにそういうことか。俺がひとり寂しくビール飲んでる今この時あいつはよろしくやってんのか、おお?


 ビールの空き缶を握りつぶす。そしてローテーブルに出しておいた次の缶を開封。俺はリビングのソファの端、クッションに埋もれつつビールを飲む。


 というかライブ一緒に行くとか、どういうことだよオイ。いやまあ文字通りだけどさ。そういや俺一緒に行ったことねえなオイ。てかライブハウスって酒出るじゃん。前に柴田くん『ライブハウスでベロベロになるの超楽しい』とか言ってたじゃん。

 それが、異性といくとかそういうことじゃん。はあ? 終わったら打ち上げとか行くんか? そんで終電ないね〜とかそういうことか? うわーちくしょう今度俺もやろ。


「———すげえ顔してんなぁ」


 いや違うわ。そういうことじゃない。え、俺が悪いんか? 結局今までなんもアプローチできてない俺が悪いんか? いやいや、柴田くんには俺が先に唾つけてたんだが? とんだ泥棒猫がいたもんだこのやろう。俺なんか柴田くん家にお泊まりもしたことあるんだが? なんならあいつのベッドも堪能させてもらったが?


「おいおい、それ何本目?」

「……なんだ、兄貴か。いたんだ」

「うーんこの冷たい反応」


 声の主を方を見ると、隣に愚兄が腰を下ろしていた。あれ、この人さっきまで親父と飲んでなかったっけ。ぐるっと首を回してダイニングテーブルを見てみるとすでに親父はいない。ああ。明日も仕事だから先に寝たんだろう。そんで、俺にちょっかいをかけに来た訳か。


「兄貴はなあ、もう、なんというか、なあ」

「なんだよその目は!」


 今日も兄家族が帰ってきていて、今お義姉さんと姪っ子ちゃんはお風呂に入っている。最早兄貴はお義姉さんと姪っ子ちゃんのオマケだ。たまにいい酒買ってきてくれる時だけ人権が復活するタイプのオマケ。基本的人権はない。今日はビールを持ってきてくれたので割と人権アリ。


 いやまあそれはおいといて、柴田くんを誘い出すだなんて一体全体どんな女なんだ?

 あいつのどこがいいんだろう。あんな気力に欠けてて生気がなくてモテる要素のあまりないやつのどこが?


 あれか、最近貫禄——やつれてるだけかもしれない——が増してきた髭か? あれ一度触ってみたい。あいつ結構自分で髭ワシワシする癖あるから、その度に触ってみたくなる。俺はその、あんま生えないタイプだし。純粋に気になる。


 それとも、意外と低くていい声してるとこか? 普段ふざけてばっかりだけど、普通に喋ると低音が心地いい。ただ東京から戻ってきた反動か、大学の時以上に訛りが混ざっているのは気になるところ。どこぞのおじいちゃんみたい。


 じゃあ、普段一緒に馬鹿やってるのに大事なポイントでちゃんとしてるところ? 結構服とかメイクとか髪型とか気づいてくれるし、肌寒い時には上着貸してくれたりするし。

 は? しゅきだが? しゅきなんだが? しゅきしゅきポイントしかないんだが?


「そんな不味そうにビール飲むなら返してくれよ。僕が買ってきたんだぜそれ」

「オッケーちょっと待ってて、今吐くから」

 なんか視界の隅で兄貴が喚いているのがうるさいので、お望みの通り指を喉に突っ込むフリをする。

「やらんでいいわ」

 兄貴は笑いながら俺の頭を軽く叩くと、テーブルから缶を一本取ってそのまま寛ぎ始めた。


 ちょうどその、時お風呂場のドアが開く音がした。もうしばらくしたら、お義姉さんと姪っ子ちゃんが上がってくるだろう。そしたら姪っ子ちゃんを愛でる作業に移ろう。ほんと赤ちゃんしゅごいの。マジ天使。俺こんなだけど、母性本能が、すごい、その、くすぐられるというか。とにかく生命の神秘感じる〜。



 その後はしばらく姪っ子と戯れて、風呂入って。

 たっぷりブチ込んだビールと、兄家族に構ってもらえたからか、思っていたより楽になったのは嬉しい。俺は余計なことを考え出すより先に、さっさと床に就いた。




『ビアフェス、明日もやってんだっけか?』

『もし暇なら行くべ』




 日付が変わった頃、柴田からぶっきらぼうなメッセージが届いていた。



 ****



「そんでよー、おまえよー、昨日の今日か〜?」

「あー、うんー、んあー。……しんどかったんだわ、なあ」


 街の中心の公園で催されているビアフェスティバルにて、柴田が瑞稀に詰られている。丸テーブルに頬杖ついて半眼で柴田を睨みつける瑞稀は、レトロなターコイズブルーの開襟ワンピースに身を包み、すっかり初夏の装いだ。それに対面する柴田はビッグシルエットの白いシャツに黒いテーパードパンツという飾らない格好。側から見ればなかなか絵になるかもしれない光景だが、しかし柴田の表情は苦汁を嘗めきったように萎れていた。


「ああ〜ん? しんどかったぁ? ゆうべはおたのしみじゃなかったんですかぁ? オオン?」

「ンアッハッハァーンン……。いやあね、アレだ。なんかもうアレだったのよ。生きてる世界のレイヤーが違うというか、そのね?」


 奇妙な鳴き声の後、眉尻を限界まで下げて、これまた限界まで目を細めて苦々しい表情を浮かべた柴田がビールで唇を湿らせる。


「つまりだなあ、俺もいい歳だし、コミュ障とか、人間嫌いとか良くなってきてると思ってたんだけどさ、全然ダメだったのだわ」


 時折あーとかうんとかモニョモニョしたものを織り交ぜつつ、柴田は昨晩のことを説明した。

 曰く、例の取引先の女性と駅前で待ち合わせをした時こそ一対一だったが、ライブハウスに入るなりスタッフや他の客や演者ともバンバン絡みにいく、基本一人で淡々と酒を飲みマイペースに楽しむ柴田とは正反対の人だったという。


「もちろんライブ自体はよかった。めっちゃよかった。なんかもうそれ以外が申し訳ないというか辛いというか……」

「嫌な人だったん?」


 柴田は持て余した左手で得体の知れないジェスチャーをすると、再びビールで唇を湿らす。おそらく、その左手は昨晩感じた居心地の悪さを瑞稀へ伝えたいのだろう。


「いや、めっちゃいい人だった。聖人君子かって感じ。だから逆に申し訳ないというか、俺自身が気苦しいというか」


 柴田は「なんかすげえ俺にも気を遣ってくれてるのは超感じた。なんかライブハウスの店長さん? とも挨拶したし、ちょっと気になってたバンドの人とも話ししたし……」と身を捩じりながら続けた。すでにパイントで注文していたビールの半量が消えている。


「なるほど」

「でも俺ってどっちかというと石の下じゃないと生きていけないタイプじゃん。オレ、ダンゴムシ。そんで、すげえ純然たる陽の者って感じの、そういう人ってさあ、なんかもう壁がないじゃん。こっちのATフィールドめっちゃ無視してくるじゃん。やめてムリ優しくしないで陽の光を当てないでって感じでさ」


 アルコールの助けと、弁明のため饒舌になった柴田に対して、瑞稀の目が段々と哀れみの籠った優しいものになる。彼女はテーブルの真ん中に置かれたポテトフライを一本つまむと、指揮棒のようにそれを振って続きを促した。


「つまり?」

「お仕事だけの関係でいましょ? って思いました、まる」

「ああ〜」


 ひとまずの結論が出たところで、彼女は今日イチの笑顔を浮かべポテトを口の中へ放った。しばし咀嚼したのち、ビールで流し込む。


「多分向こうは俺のそういう感じわかってくれてこれからもいつも通りお仕事してくれると思うんだけど、なんかもうそういうの察してもらったのもしんどいのよ……。俺なんかじゃてんで釣り合わない、友好関係に含めていただくのも烏滸がましいというか……」

「拗らせてるねえ」


 瑞稀は頬杖のまま柴田に微笑みかける。すると彼は顔を苦々しく顰め、パイントグラスに残ったビールを喉へ流し込みたっぷりと溜息を吐いた。


「俺やっぱ人類向いてないな? ビールを飲ませろ。サケ、ノム。サケノンデ……俺は何になればいいんだ……?」

「まったく柴田くんはしょうがないなあ。よっしゃ次のビールおじさんが奢ったる!」

「いやったあ! 瑞稀ちゃんさすが! 超えらい! ワンダフォー!」

「うえっへへへい!」


 彼らは『翌日仕事なら昼から飲んで早めに解散すればビーハッピー』の原理に則り、初夏の日差しの下ビールをたらふく腹に収め、結局夜の十一時頃まで飲み屋などを転々とした。

 なお、言わずもがな柴田は翌日二日酔いに苦しむことになる。


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