第6話 週末TSロリおじさんと初詣

 とある住宅街の一角の袋小路、ある一軒家のカーポートの目の前。冬のよく晴れた寒空の下、スマートフォンとにらめっこをする柴田の姿があった。彼はネイビーのニット帽を深めに被り、ミドル丈のピーコートの中に薄いインナー用ダウンベストを着用しているが、冷たい風が体温を奪うのか時おり足踏みをしたり端末を持つ手を入れ替えたりしている。


「おはようー」


 そんな彼の背後から、親しげに声をかける声があった。

 予想していたものと違う声に不意を打たれ、柴田は驚きの声をあげ振り返る。


「うおっビビった」

「なんだ失礼なやつだな君は」


 そこには黒いニット帽に黒いセルフレームのメガネと、臙脂色のアウトドアブランドの防寒ジャケットを着込んで寒さに身を縮めている——男のままの——瑞稀がいた。


「あー、そうか。土日じゃないもんな、今日」


 柴田は右手に持ったスマートフォンをズボンのヒップポケットに仕舞いつつ、改めて瑞稀と向き合う。


「そうそう。あ、あけおめー」

「ん、あけおめ」


 時刻はすでに昼前だが、未だに眠そうな目元を指先でこすり、大欠伸を一つかました瑞稀が正月の挨拶を述べ、軽く腰を折った。柴田も気の抜けた挨拶を返すと、とりあえずといった感じで頭を下げた。正月くらい、畏まった気持ちで臨んだ方が良いのかもしれないが、いつもと変わらぬ空気に二人して鼻で笑い合う。

 そして二人はそれぞれのジャケットのポケットに両手を突っ込んで歩き出した。


「いや、寒いね今日は」

「んだから。ちゃっちゃと初詣行くべ。なんか屋台やってっかな」

「やってんじゃない? 甘酒あるかもよ?」

「甘酒かあ。ちゃんとアルコール入りの酒がいいな」

「去年は色々あったもんね。サザエのつぼ焼きとか」

「あーあったあった。ビールとか飲んじゃう?」


 歩みを進めるたび、よく乾いた道端の砂利が靴の下で鳴った。正月のシンとした街並みの中に、二人分のザリザリいう足音が反響する。首を縮め俯きがちな柴田の視野に、自身が履くスエードのショートブーツと、瑞稀の履く、量販店で投げ売りされている安物のキャンバススニーカーが交互に現れては消える。


 すこし、彼の胸中に、いつもは合わない歩調がしっかりと合っていることに対する違和感のようなものが生まれた。


「そういや、瑞稀は福袋とか買わんの?」

「んー? 特に考えてないわ」

「そんなもんか。でもそのコートにパンツ、大学から着てなかったっけ?」

「これー? 俺物持ちいいんだ」


 瑞稀はセルフレームのメガネの奥、目を細めてカラカラと笑う。


「そっすか」

「柴田くんはオシャレさんだもんなー」

「君だってスニーカーとかよく買ってるじゃん。……いや、あれはあっち用か」

「そうそう。お金がかかるのよ俺」

「……平日仕事だと私服着ないよなぁ確かに」

「柴田くんは私服勤務だもんね」

「まあね」


 彼らは世間話を交わしながら、ゆるい坂道を降っていく。目的の神社はこの坂の麓に参道がある。山を降りて、再び石段を登るのを考えると若干億劫な気持ちになるが、たまにはこうやって歩くのも悪くないと柴田は思った。



 **



「あ、一服していきません?」

 通りに面した大鳥居を潜り、数件の屋台を冷やかしつつ歩みを進めれば、長い石段の脇の方に設置された喫煙所を指差し瑞稀が柴田を誘った。

「いいね」

 工事で使うようなフェンスで囲まれ隔離されているような佇まいの喫煙所に、柴田は若干の切なさを覚えながら頷いた。


 二人は簡単な入り口を抜け、それこそ工事現場に置かれているような赤いスタンド付き灰皿がいくつか設置されている空間へたどり着く。そこでは先客が何人か紫煙を燻らせていた。


 複数の銘柄の煙が混ざり合った匂いが柴田の鼻をかすめる。

 彼の視界の隅では、先に喫煙所へ足を踏み入れた瑞稀がハイライトに火をつけ、うまそうに一服を始めている。柴田はコートの内ポケットからタバコとライターを取り出すと、混ざり合った副流煙の不快さを紛らわすため急くようにタバコへ火をつけた。


 冷たい空気と乾燥したいがらっぽさ、若干のメンソールの清涼感が混ざり合ったものが彼の口内に広がる。


 最初はしっかりと葉が燃え出すように、口の中に何度か空気を含むように。円柱の先、正しく燃焼が始まったのを確認すると、冷えた空気と一緒に肺へ流し込む。


 胸に引っかかるような、若干の抵抗感。

 柴田はゆっくりと煙を吐き出した。



「めっちゃ寒い日に外でタバコ吸うと、吐き出してる煙がどこまで煙なのかわかんなくなんね?」


 凛とした中に騒がしさを秘めた空気の中へ立ち上っていく紫煙。囲いの外からは、参拝客の賑わいがどこか別の世界の出来事のように聞こえてくる。


 鎮守の森に囲まれ弱まった風にたなびく煙を目で追いながら、柴田は独り言のように呟いた。


「なるほどぉ、吐く息も白いもんな」


 隣に立つ瑞稀が今まで気にしたことがなかったと笑い、限界まで息を吐き出そうとふざけている。柴田は彼の冗談めいた反応に苦笑いで返した。


「というかタバコどうすっかな。辞めっかなぁ」


 彼はタバコを一口を吸うと、呟きと一緒に煙を吐き出す。


「柴田くん禁煙すんの?」


 柴田の呟きをしっかりと耳にした瑞稀が、片手でメガネを持ち上げ聞き返した。


「なーんかどんどん値上がりするし、別になけりゃそれで良いし」

「そっかあ。なら俺もやめてみるかな」

「そう? じゃあ新年だし、これを最後の一箱にして禁煙してみますか」

「最後の一箱ってところが往生際悪くていいね」

「もったいないじゃん。大目に見てよ」


 二人は笑ながら長くなったタバコの灰を何度か落とす。


「じゃあ俺、今年車検だし車乗り換えようかな」


 すると、瑞稀がふと思いついたような軽さで新年の抱負を語った。


「お、何にすんの?」


 軽く煙を吐き出した柴田が、細い目を見開いて興味深げな反応を返す。彼は瑞稀の先を促すようにタバコの灰を指先で弾いて落とした。


「SUVとかどうよ?」


 瑞稀はタバコを摘んだ手を口元にもっていくと、はにかみながらイメージする車の種類を答える。


「おおー、いいねえ。ディフェンダーにするべ」

「何それ」

「ランドローバーのやつよ。これこれ」


 柴田が手元のスマートフォンを焦るように操作し、画像検索の結果画面を表示させ瑞稀に見せつける。どれどれと、それを見た瑞稀だったが、どうやら彼が想像していたものよりいささか本格的すぎたようだ。メガネのフレームの奥、眉間に皺がよった。


「うわー、イカついなあ」

「よくない?」

「もっと可愛いのがいいわ」

「じゃあFJクルーザーとか。ミニバンだけどデリカのスペースギアもいいな」


 柴田が再び端末を操作し、新しい画面を表示させる。

 しかし、その画面を覗き込んだ瑞稀は眉根を寄せたままだ。


「柴田くんそういうの好きなの?」

「うん。ロマンが溢れる」


 柴田は「こう、カンガルーバーとかウインチとかつけちゃってさ、かっこよくない?」と、身振り手振りを交えて語り続ける。それも今日一番の笑顔を浮かべて。


「なるほどねー?」

「ダメすか?」

「君のじゃなくて俺の車なんだよなあ」

「あっはい」


 柴田は「ごめんなさい調子乗りました」と謝りながら短くなったタバコを灰皿へ捨てる。フィルター近くまで吸いきったタバコは、灰皿の中に張られた水へ落ちると小気味好い音を立てて鎮火した。


「そんじゃ、まずはお参りしちゃいましょ」

 瑞稀は自身もタバコを灰皿へ落とすと、呆れたような笑みを浮かべて喫煙所を後にするように出口を指差した。

「せやな。ちゃちゃっと行ってなんか食うべ」

 先に吸い終わっていた柴田も頷くと、出口の方へ向き直る。

 彼らは囲いの中へ新たにやってきた利用者の前を手刀を切りながら喫煙所を後にした。





「そういやさ、柴田くん実家帰んないの?」

「あー……実家ぁ? 同じ県内だし、いつ帰っても、変わんないっしょ」

「そんなもんかねー?」

「そんなもんよっ。いやしかし、石段、しんどいなこれ!」

「万年運動不足さんだ」

「うっせ!」

「わっはっは」



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