いずみとたかの

「申し訳ありません! 間もなく復旧致しますので、そのまま動かずにお待ち下さい」


 上擦った声で一生懸命に場を落ち着かせようとするウェイトレスの言伝の一切を無視した僕は退店のために扉を開けていた。こむら返りする腹部から分かる通り、込み入った力に支配されていたことを知る。


 自転車に飛び乗り、一心不乱にペダルを漕いだ。まるで影にでも追い立てられているかのように、姿の見えない圧力を背負った姿は、傍目に見て迷惑千万だろう。帰路を照らす街灯を幾つも通り越えた先で、浮き足立った身体に差した熱が下がるのを感じた。高野は僕に何を見せたかったのか。ふと、疑問に思い、ペダルを漕ぐ足を止める。そして、薄汚れた街頭の下でそれを見た。


「これって……」


 とっさに口を押さえれば、悲劇の体現者として町の一角に立像する。趣味が高じて得た僕の知識は、帰路であったはずの道を枝分かれした、「はい」か「いいえ」に変えた。


 暗転を契機に割り切れなかったテーブル席は、男女が肩を並べる見れば仲睦まじい懇談に転換した。


「闇に乗じて食い逃げなんて、現代日本では大正ロマンに値するよ」


「あんたのしょうもない遊びに愛想を尽かしただけでしょ」


 間もなく泉は嘲笑混じりに反論した。ほとぼりが冷めやらぬ店内の妙な賑わいもあって、漠然と座していると、ウェイトレスが客に深々と頭を下げて回り始めた。我が地震大国に於いて、停電など慣れたものだ。不手際はあれど、ウェイトレスに怒鳴るほど逼迫してはいない。磊落な調子で待っていれば、明らかに浅い腰の角度と陳謝の言葉を置いて、ウェイトレスは小気味よく行ってしまわれた。杓子定規だと思われたウェイトレスの態度に差異があった。自転車乗りが残していったコーヒーカップはぽつねんと湯気を吐く。


「あんたって本当、人望ないよね」


「人望? あったら嬉しいが、なくても困らない」


 泉は虫を払うように対面を指差す。重い腰を上げて高野は黙々と席を移った。


「私以外に付き合いのある知人ないし友達もいないでしょう」


「どうだろうなぁ」


 泉の悪態などそっちのけで高野は天井を見上げる。


「今度は私に付き合ってよ。時間は腐るほどあるでしょ」


 泉はあの晩、高野の悪知恵もあり、霊樹を見つけれず、帰投を余儀なくされた。そのため、高野から会う約束を取り付けられた段階で早々にリベンジと位置づけて泉はこの場に及んでいた。


「いいね。


 折りをつけるように高野はコーヒーカップの残り汁を躊躇いなく啜った。


「意地汚い」


「それは褒め言葉だね、泉」


 泉の嫌味を舌の上で転がす高野は口角に可笑しみを湛えた。停電に託けて忽然と姿を消した自転車乗りの動向なども合わせて、肩を落とすなどの悔恨を抱いていても不思議はなかったが、背もたれに身体を預ける緩慢的な高野な態度にハッタリではない芯を感じる。


「俺はね、対処できない事柄はないと思ってるんだ」

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